語られざる韓国現代史の闇に切り込む「1987、ある闘いの真実」

「この映画は、観る人みんなが主人公」チャン・ジュナン監督インタビュー
(c)2017 CJ E&M CORPORATION, WOOJEUNG FILM ALL RIGHTS RESERVED

韓国現代史において「語られざる年」があった。

それは、長く軍事独裁政権が続いた韓国で、大統領を直接選挙で選ぶための改憲などを約束する「六.二九民主化宣言」が発表された、1987年。宣言の起爆剤となったのは、ある大学生の「不可解な死」を発端とした、約20日間にわたる民衆による大規模なデモだった。

ところが、民主化の礎を築いた歴史の重要な転換点であるにもかからず、韓国ではこれまで1987年の出来事と正面から描いた映画はほとんど存在しなかった。

その闇の時代に切り込んだのが、チャン・ジュナン監督だ。

帽子は妻である女優のムン・ソリがスタッフのためにオーダーしたもの
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――『タクシー運転手~約束は海を越えて~』(2017)や『光州5・18』(2007)のように1980年の光州民主化抗争については、これまでも映画化されてきました。そんな中、1987年を舞台にした映画がほとんど製作されなかったのは、なぜでしょうか。監督があえてこの時代に挑んだ理由とは。

チャン監督:実は、私も同じ疑問を抱き、この映画を作り始めたのです。80年代にあった悲劇が表出したのが1987年です。独裁権力から重要な権利を闘って勝ち取った、韓国現代史におけるとても重要な部分です。それにもかかわらず、なぜ誰もその話をしないのか、と。小説や映画のみならず、学会でも語ろうとしないことに違和感を覚え、怒りを感じたりもしました。だから、必ずこの話をしなければ、と思ったんです。

また、私自身も年を重ねて子供が生まれ父親になり、次の世代にどんな世の中を伝えていくべきかを考えた時、1987年の出来事が私たちの歴史の中で美しいものを持っていると感じました。さらに、自分が積極的に社会運動に学生運動に参加できなかったことに対する負い目。そんなものが混じって映画を作り始めました。

――韓国公開は2017年12月末。いわゆる「崔順実ゲート」事件で朴槿恵前大統領が弾劾訴追された直後の公開となりました。製作中には予想していなかったと思います。作っていて難しかったこと、難しくても作らなければいけないと思ったこととは。

チャン監督:実は、最初に作り始めたときは、「この映画はちゃんと完成して観客に見せることができるのだろうか」という心配をしなければならない時期でした。朴槿恵政権は自分たちに合わないコンテンツに対して弾圧を加えていたため、秘密裏に製作を進めなければならなりませんでした。実在の人物がたくさん登場する作品は、モデルにする人に会い、話をするのが基本なのですが、噂が広まることを懸念して、文献のみでリサーチを進め、シナリオを作っていきました。

キャスティング用のシナリオを俳優に見せ、少し経った時に朴槿恵元大統領の事件が起きました。カン・ドンウォンさんの場合は事件が起きる前から「小さい役割だけど重要な話をしていると思います。参加します」と意思を明かしました。感動しましたね。キム・ユンソクさんも映画がどうなるかわからない状態だったにもかかわらず、勇気を出して、ろうそくを灯して広場に行くような気持ちで参加してくれました。他にも「小さな役でもいから出演したい」という方がたくさんいました。

キム・ユンソク扮するパク所長は、脱北者であるがゆえに共産主義思想の撲滅に手段を選ばない
キム・ユンソク扮するパク所長は、脱北者であるがゆえに共産主義思想の撲滅に手段を選ばない
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ーー警察のパク所長を演じたキム・ユンソクさんは、拷問を受けて亡くなったパク・ジョンチョルさんの後輩だそうですね。

チャン監督:釜山にある高校の2年後輩です。だから、キム・ユンソクさんにとってはまた特別の意味があったと思います。韓国ではあまりにも有名な「机をたたいたら死んでしまった」言葉。当時、「そんなことがありうるのか」とニュースで話題になりましたが、「自分がそのセリフを言うなんて想像できなかった」と話していました。

――後輩だったにもかかわらず体制側の役だった、と。

チャン監督:キム・ユンソクさんは、私に「ひどい」とジョークを言いました(笑)。でも、「この強烈な悪役を軸に数多くの人々の葛藤を描く構造なので、際立っていなければいけない。だから自らを犠牲にして臨む」と語ってくれました。

パク・ジョンチョルさんの命日には、キム・ユンソクさんと釜山に行きました。ジョンチョルさんの家族に会い、「映画を作ります、見守ってください」と話しました。

後から聞いた話ですが、遺族の方は信じていなかったそうです。この映画を。なぜなら、これまでも映画化するという人はたくさんいたけれど、投資がうまく集まらなかったり、シナリオの段階であきらめたりしたケースが多かったので。今回も作ることができるか、と。

でも、映画を観て「とてもよく作ってくださりありがとうございます」と言ってくれた時、私はすごく安心しました。遺族の方々に迷惑になるのではと気がかりだったからです。

カン・ドンウォンさんもイ・ハニョルさんのお母さんに会いました。自宅で手料理をごちそうになって。でも、イ・ハニョルさんのお母さんは、まだこの映画を見ることができません。見られない、と。息子が倒れる場面を見るのはつらい、と。

デモをしても何も変わらないと思っていたヨニ(右)は、叔父が逮捕されたことで心が変化する
デモをしても何も変わらないと思っていたヨニ(右)は、叔父が逮捕されたことで心が変化する
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――歴史的な事件を描くにはいろいろな方法があります。『タクシー運転手』は一人の視点から見た光州でした。一方、『1987』は、多くの人の視点を盛り込み、丸ごと描くという、ある意味チャレンジな手法でした。

チャン監督:多くの人たちに言及しなければ、1987年を語ることができないのだと思います。つまり、多くの人がそれぞれの立場で最善の良心を守りながら歴史を変えていったこと。それが1987年の物語においてとても美しい部分だと思うのです。

先ほど申し上げたように、多くの人がこれをテーマに映画を作ろうとしたのですが、失敗しました。以前試みた製作者たちは、パク・ジョンチョルさんやイ・ハニョルさんを主人公にしようとしたのです。でも、ひとりの人物の苦痛だけを描こうとすると、答えを導くのが難しくなってしまう。

我々製作者の中にも、重要人物がたくさん登場することを心配する声もありました。しかし、私にとっては映画的に楽しい挑戦でした。このような形式、プロセスで映画を作ることは難しいけれど、チャレンジしてみたかった。それがこの映画を選んだもう一つの理由でもあります。

――映画の終盤のデモのシーンには、監督の妻である女優のムン・ソリさんも登場しています。監督が出演を依頼したのですか。

チャン監督:この映画を作ると決めた時、妻も一緒に参加したいという思いがあり、私も同じ気持ちでした。でも、実在の事件を扱っているので、ほとんどのキャラクターは男性で、女性は映画のために創り出したヨニだけでした。母親役を考えてみたりもしましたが、ちょっと無理があると思いました。本人もシナリオを見て、「目を洗って探してみても私に合う役はないと思う」と(笑)。民主運動家のキム・ジョンナムを女性にしようかとも考えました。でも、我々は歴史を扱っているので、事実を変えてしまうのは良くないと思いました。

それで、デモのシーンでバスの上に立つ役を演じることになったんです。群衆を撮影するシーンだったため、撮影当日は私はいろいろ気を使わなければならないことも多くて。彼女は『女優は今日も』という映画を撮り、監督としてもデビューしましたよね(笑)。まるで第二の監督のように、スクラムの組み方や、スローガンを叫ぶときのリズムなどを、自分が学生だった時の経験を生かして上手に指導してくれました。すごく暑い日だったのですが、彼女がカリスマ溢れる姿でスローガンを叫ぶと、エキストラの人たちがピシっとまとまって。この人と結婚してよかったと思いましたね(笑)

ハ・ジョンウが演じるソウル地検検事ほか、多くの人物が良心と葛藤する姿が描かれる
ハ・ジョンウが演じるソウル地検検事ほか、多くの人物が良心と葛藤する姿が描かれる
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――この映画ではいろいろな職業の人が自分の良心にいかに忠実に行動できたかということがわかります。中でも特に驚いたのが、刑務所の保安係長が最終的には良心に従い、いままでと違う行動をするということです。それも事実ですか。

チャン監督:はい、そうです。ある行動を保安係長が取らなければ、1987年の民主化抗争は起きなかったでしょう。一方で、この人物は実際は良い部分もあり、悪い部分もあった人物なので、論争が起きる可能性をはらんでいました。彼のせいで今もトラウマを感じ、つらい思いを抱えている人もいるのです。

韓国で公開された時は、予想していた通り論争となりました。「なぜこの人を立派な人として描くのか」と。しかし、私としては立派な人としてのみ描いたつもりはありません。

史実を描くのは、このような点ですごく難しいと感じました。30年も前のことのように思えますが、30年しかたっていないことでもあり、そんな部分で難しいことがたくさんありました。

――30年も経った、30年しか経っていないというのは、世代によって感じ方が異なると思います。映画を見た韓国の観客も世代によって違うと察しますが、反応で印象に残っているものは?

チャン監督:この映画を作ってよかったと感じたのは、ある観客が送ってくれた感想を読んだ時です。娘さんと一緒に見たそうです。娘が、「お母さんありがとう」と抱きしめてくれた、と。そういう話を聞くと、いまも心が揺さぶれます。

2017年にもろうそく集会で人々が広場に集まりました。若い人たちも広場を経験した世代です。共通の似た経験をし、互いに話すことができるというのは、美しいと思いました。日本はどうかわかりませんが、今、韓国では世代間でとても高い壁が生じて、互いに疎通が難しい部分もあります。でも、このような作品を通じて世代間で語り合えればいいなと思います。

――この作品を通じて日本の観客に伝えたいこととは。

チャン監督:1987年に韓国という小さな国、日本からはとても近い国で起きたある出来事ですが、普遍的なテーマを持っていると思います。

この映画は、観る人みんなが主人公。現代の韓国の人にとっては、「私たちがこんなにも熾烈で純粋だった時代があるのに、なぜ変わってしまったのか」と問うきっかけとなりました。人を信じるのは難しいかもしれないけど、それができたときにどんな奇跡が起きるのか。希望や勇気を持ち帰っていただければ、それ以上望むものはありません。

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映画『1987、ある闘いの真実』

9月8日(土)より、シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー

公式サイト

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