9月9日「共和国創建日」は北朝鮮住民の不幸が始まった日

私の北朝鮮での経験と韓国での経験を比べて考えると、同じ朝鮮半島で南と北が天国と地獄のような違いを見せている。その根本的な違いは...

=====没落が予告されたスタート

9月9日午前、北朝鮮は5回目の核実験を行った。1年内に2回の核実験を実施したことも異例なことだが、その間持続的に数えられないほどの弾道ミサイルを発射してきたので、まさに核・ミサイル開発に「没頭」していると言って過言ではない。

專門家らは9月9日の北朝鮮政権創健日を迎えて国力を誇示するために今回の核実験を行ったと見ているが、私は、北朝鮮指導部が近いうちに、9月9日を記念して非正常的な政権を礼賛し、核実験という挑発を敢行して喜んだことを痛切に後悔すると信じている。

1948年9月9日は、金日成政権の発足が公式宣布された日である。

北朝鮮ではこの日を「共和国創建日」として毎年記念しており、金日成と金正日の誕生記念日である太陽節(4月15日)・光明星節(2月16日)と、朝鮮労働党創建記念日(10月10日)と共に北朝鮮の4大祝日の一つである。共和国創建日ころには様々なイベントが盛大に行われ、共和国創建記念メダルも制定されている。

北朝鮮は、朝鮮民主主義人民共和国の創建を非常に誇らしく思っており、住民に対しては北朝鮮が「民主主義政権」であると宣伝している。

だが、なぜ私たちの目には北朝鮮が地獄のように映るのだろうか。

私の北朝鮮での経験と韓国での経験を比べて考えると、同じ朝鮮半島で南と北が天国と地獄のような違いを見せている。その根本的な違いは、韓国は1948年8月15日、自由民主主義・市場経済体制の政府を発足させた反面、北朝鮮は1948年9月9日、社会主義体制の政権を発足させたことからはじめる。

=====北朝鮮政権の誕生はソ連の朝鮮半島共産化作戦の一部

北朝鮮政権は、実は、1945年の独立以降38度線より北の地域に進駐したソ連軍によって企画され、徹底的にソ連軍の脚本に沿って設立の手続きを踏んだものである。ソ連が東ヨーロッパを共産化する時に作った「共産化マニュアル」に従って1945年10月10日北朝鮮労働党を創建し、女性同盟・農業勤労者同盟・北朝鮮民主青年同盟など大衆向けの政治組織を作って政治基盤を確保した。

その後金日成は、1946年2月8日北朝鮮臨時人民委員会を組織し、事実上の政府を立ち上げ、ソ連軍の組織的な指揮の下に土地改革や重要産業国有化など一連の「民主改革」というものを実施、北朝鮮政権樹立に向けた準備を整えた。

当時のソ連は、北朝鮮の小学校教科書の内容はもちろん目次も決めるほど、北朝鮮のあれこれに深く関与した。北朝鮮は、そのようなソ連軍の手でソ連式で作られた共産政権だったのである。

韓国は、国連の承認を受けて選挙を通じて建国された。一方、北朝鮮政権はソ連をはじめとする共産圏国家らの支援を受けて発足した。それから68年間、南と北は自由民主主義と共産全体主義という異なる道を歩んできた。

=====それから68年、北朝鮮体制の失敗あらわに

北朝鮮に関する浅い知識を自慢する人々は、1970年台までは北朝鮮が韓国より豊かだったと強弁する。しかし、それは金日成政権の経済運営が良かったからではない。日本帝国の植民地時代に築かれた産業基盤施設が北朝鮮に集中していたからである。金日成は抗日闘士として英雄視され、日本を「仇」と呼びながら憎悪を煽っていた。

そんな金日成が、皮肉にも日本植民統治が残したもののおかげで一時的に「北朝鮮人民を食べさせてくださる慈親」として名を揚げたのである。

それから68年。

北朝鮮政権を支持して支援していた共産国家は全て崩壊し、北朝鮮の共産主義経済も配給制がとっくに破綻しているほど限界を露呈した。住民たちが労働して生産したモノが住民に分配されない経済構造になってしまったのだ。

住民たちはそれぞれ食べていくために「チャンマダン」と呼ばれる闇市で商売をする間に、北朝鮮政権が敵視する資本主義と市場経済体制を自然と受け入れている。平壌で裕福な生活をして社会的に憧れの対象になっている人も「ドンジュ(金主)」と呼ばれる資産家である。つまり、北朝鮮の共産主義は完全に失敗した。

また、政権を世襲して今3代目の北朝鮮政権は、封建的独裁政権に変質した。首領だけを崇める独裁体制下で、北朝鮮住民は自由民主主義社会では当たり前な権利として保障される基本権を知らないまま、首領の奴隷のように生きている。その結果、北朝鮮は戦争でもない平和時期に数百万人が飢え死にし、公開処刑や拷問、殺人が横行する人間屠殺所と化した。

対外的には、国際社会の重なる制裁と圧力にも核保有のみが難局を打開する唯一の道であるとしがみついてきた結果、完全に方向性を失って暴走している。さらに、核保有と経済発展を並行すると「核・経済並進路線」を国家戦略路線としている。核・経済並進路線に関しては、ほとんどの専門家が「実現不可能」と指摘している。

北朝鮮が核開発を続けるほど北朝鮮住民の労力強制動員と収奪が深刻化し、国内経済が疲弊する上、隊北朝鮮制裁の強化と貿易孤立につながって北朝鮮経済は発展どころか「萎縮」の道に着くしかないということである。

実際に、金正恩政権は政権発足後たった5年の間に核実験を3回(2013年2月3回目、2016年1月4回目、2016年9月5回目)、弾道ミサイルの発射を40発近く行いながら資金を蕩尽し、国連安保理の制裁まで受けた結果、2015年には経済成長率がマイナスを記録した。北朝鮮の2016年度経済成績表もそれほど変わりはないと予想している。

今の北朝鮮は、住民の生活は蔑ろにして、核保有ばかり熱望し、全く現実性のない「ファンタジー」を国家戦略路線として叫ぶ、実におかしい集団になっている。

北朝鮮住民たちもこの事実に気づきはじめて軒並み脱出をしている。高級階層の人々もこれまで享受していた特権と権力を捨てて北朝鮮を去る。このような事態なのに、指導者金正恩は核・経済並進といった失政をやめる代わりに、側近の官僚も「姿勢不良」などの荒唐無稽な理由でむやみに処刑する恐怖統治に頼っている。もう、北朝鮮に未来はない。

私は、北朝鮮の全ての不幸は、1948年9月9日、ソ連が金日成を前に立たせて共産主義・社会主義体制の政権を樹立した瞬間から始まったと考えている。誇らしく記念する日ではなく、68年間の悲劇を反省して心に刻みつけて未来のことを悩むべき日ではないか。

イ・エラン 韓国・自由統一文化院 院長、1997年脱北

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