アレッポ崩壊の瞬間、私は決して忘れない

生きている限り、まだチャンスはある。私たちは困難の中でも続けていく。この偉大な革命の中で、自由と尊厳と正義の中で生きる権利を勝ち取るために。

イドリブ、シリア―― 2011年に祖国シリアで内戦が始まり、私が当たり前だと思っていた生活が狂わされてから約6年になる。普通の学生として大学に通っていた日々がなくなってから6年。毎日、シリアの崩壊、私の祖国の崩壊に対する世界の反応を目の当りにする。

私はこれからどこに住むのか分からない。脱出してからは、アレッポからそう遠くないシリアのイドリブに来た。私がかつて故郷と呼んでいた街の記憶は、今では世界中に知れ渡ることになった。1カ月ちょっと前に私が目撃したアレッポの陥落は、悲劇というものをはるかに超えるすさまじさだった。

私はイドリブで生まれ育った。だからイドリブにいるのに違和感はないはずだ。アレッポは母の故郷で、昔はこの古い街の祖父の家でよく夏を過ごした。とても魅力的で歴史あるこの街、アレッポが私は大好きになった。そんなにこの街が好きになるとは思っていなかった。高校を卒業した私は、すぐに荷物をまとめてこの大都市に引っ越し、勉強を始めた。またイドリブに戻ってくるとは思ってもいなかった。私の新しい故郷を追われ護衛されながら古巣に帰ってくるとは。

アレッポ、2010年6月 夜の9時半、涼しく心地よい風が吹いている。みんなが故郷と呼ぶこの美しい街の中を、シリア人や日本人の学生が駆け抜けていく。―― 少なくともこの時点では。この歴史ある街、アレッポの狭い小道を、私たちは大騒ぎしたり、大声で笑ったりしながら通り過ぎる。子供の頃、私が夏を過ごした同じ場所で。

この歴史ある町の青空市場の店が店じまいを始める頃、私たちは、何百年も前から埋められている古代の石畳の道の上を歩いている。

月は私たちの頭上で微笑み、建物は私たちにつぶやいたりささやきかけたりする。この場所は語る、すべての香りが物語る。この場所から、この夏の夜から、かつては現実だったこの思い出から離れるその度に、心がまた少し引き裂かれていく。

2011年6月 私は走っていた。今まででこんなに早く走ったことはない。自分の足が感じられない。この怪物たちから隠れたい一心だ。「シャビハ」と呼ばれる体制派のギャングたちだ。

大学近くで体制派に反対するデモがあり、抗議活動の中で国歌を歌っていた私たちは、彼らに取り囲まれた。走りながら私の頭の中では国歌がめぐっている。心臓は激しく大きく鳴り、止まってしまえば、もう後はないと分かっている。彼らは車で追いかけてくる。私はただ走るしかない。歩道に足が付くたびに私の中で国歌は大きく聞こえてくる。