「芥川龍之介全集を読む」

一つ気になるのは、その注釈のところにやたら「未詳」が多いことだ。

僕には、実際会ったことないSNSの友人がいる。彼の名は、ウダイ・アルヘルベシュであるが、アラブ地域では権威あるキング・サウード大学の医学部で小児科の准教授を務めている。でもその一面で彼と知り合ったわけではない。実は彼にもう一面がある。それは文学者という一面だ。ウダイ博士はこれまで2冊の短編小説集を発表している。それだけではなく世界文学のかなりの精通で、その評論をよく書く。世界文学の中でも彼は、芥川龍之介に特別な思いを寄せている。僕がたまに芥川龍之介作品をアラビア語に訳し、様々なところで発表しているのを見てくれた彼がTwitterで声をかけてくれてよく話をするようになった。あれ以来、彼は一貫して芥川龍之介全集をアラビア語に翻訳するようにと僕に勧める。特に今まで、アラビア語に翻訳される機会がなかった評論の作品を是非とも訳してほしいと熱望している。僕も芥川龍之介作品が大好きでこれまで15の作品を翻訳し、新聞、雑誌、ネット上のサイト、自分のブログなどに掲載して来た。

そこで僕は去年アラビア語に翻訳するという目的で、筑摩書房の芥川龍之介全集を購入した。

僕は全集を買う以前から芥川龍之介作品をいくつかをアラビア語に翻訳しアラブ系新聞や雑誌に発表している。特に『リチャード・バートン訳「一千一夜物語」に就いて』や『日本の女』のように、今までアラブ人に紹介の機会がなかった評論家としての芥川龍之介作品も含めている。

今回前述全集を読んで思った一点について書きたいと思う。

その一点は、注釈のことである。手元の全集にたくさんの注釈があり、一世紀以上前に書かれた作品を理解するのに非常に助かる。しかし、一つ気になるのは、その注釈のところにやたら「未詳」が多いことだ。一巻の『尾形了斎覚え書』という作品にタイトルに出る人物についての注釈に「尾形了斎について未詳。架空の人物か」と芥川龍之介が仮構した名前かと推測しているので、そうなんだなと思った。しかし今度は『さまえる猶太人』にヨーロッパの町の名前がいくつか並んで、その一つ「クラカウ」という単語の注釈に「未詳」と見た途端、待ったと思った。全集の奥付をもう一度確認したら、1986年9月24日の第一刷発行の2012年7月10日の第24刷発行で、本の中に、この文庫版全集は、1971年3月から11月に刊行された筑摩全集類聚版芥川龍之介全集を底本にしたものとあった。おそらくその注釈は1971年からのもので更新されていないではないか。

ならばと思って、早速インターネットで「クラカウ」と調べた。すぐ見つけた。芥川龍之介の仮構ではなく、ポーランドの古い都市で17世紀までポーランド王国の首都であったとわかった。それをきっけかに他の「未詳」を調べてみた。もちろん見つからないものもあったが、名前の殆どは実在した人物か、芥川龍之介の時代以前の文学作品に出て来る人物の名前かである。特に、『二つの手紙』という作品にDr. Wernerという名前が出てきて、注釈に「ヴェルナー博士について未詳。したがって以下に挙げられている実例とか書簡についても未詳。芥川の仮構とも考えられる。」という説明であったが、調べているうちに、同じ作品に芥川が出した「自然の暗黒面」という書籍を見つけた。それは、Catherine Croweという著者が書いた「The Night Side of Nature」というタイトルで1852にロンドンに刊行された本であった。著作権が切れているのでグーグルブックスでダウンロードできる。僕は実際ダウンロードし、全部ではないが、ところどころに目を通しみたら、芥川はヴェルナー博士や以下に挙げられていた実例とか書簡とか書籍とか全てを、その本から引用していたようだ。

芥川全集の初版が出た1971年や1986年ではインターネットという便利なツールが存在しなかったので、そこまで調べるのは難しかったのだろうが、2012年に出た第24刷はどうだろうか。

非常に重宝しているすばらしい全集だけに、勿体ない!と思ってしまうのだ。

そういうことを悉く先おき、僕が非常に驚いているのは、1927年に35歳の若さで亡くなった芥川がどうやって、20世紀末まで日本の一流の編集者たちが手に入れない情報や知識を得たのかということだ。やっぱりすごい!

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