就活生よ、突然、才能は開花しないのだ。

ありがたいことに、きっとすべての学生に大なり小なり何かの才能はある。ただし、それが開花するのは、いくつかの条件が揃った場合なのではないか。

見知らぬ女子大生の電車の中での会話。彼女は「決められたレールの上を行くなんてやじゃん」だから、「やりたいことを探している」そうある。「だけど、特に何かやってるわけではない」のだとか。「それにしても、あたしって親から何を受け継いだんだろう」「そういえば親も親戚も何か楽器を弾くのね。そうね、(私の才能は)楽器くらいかな、エレクトーンくらいは弾けるしぃ」だそう。

要約すると、親からの遺伝により私には何か才能が備わっているのだから、特別に何かをつきつめなくても自然に何か生まれつきの才能が発現するのを待っていればよいのだということ。

そういえば、私も子供の頃によく妄想していた。「私以外の人間は実は宇宙人。何かの陰謀で唯一の人間である私をだましている。戦わねば」という全人類宇宙人説、「たまたまこの両親に預けられているだけで、本当はどこかのお嬢様」というホントはお姫様説、「年頃になると突然ウエストがくびれてナイスバディに。当然モテるようになる」という突然羽化説などである。ここにあげたものは、「自分に本来備わっている特性が表に出ると、自分の生活が変化する」というタイプ。映画や童話にもこのタイプの物語は多い。アメリカドラマのHEROESも、突然超能力が発現する。

他者からの擁護や後押しにより、自分の中にある才能が芽生えるはず。そういった妄想は実に楽しい。自分の血の中に才能が埋めこまれているのだから、あとは楽しく待つだけである。望んでないけどナイスバディになっちゃった、しょうがないじゃん(これは女性なら、ある一定期間はキレイなのであながち間違いではない)。けちけちしてお金を貯めなくても、お嬢様だとわかってお金が降ってくるんだから、しょうがないしね。つまり、「ガツガツ努力しなくて、外部にある存在が自分の中にある宝を見つけ出して、自然にいい状態になる」のである。

普通は大人になるにつれ、これが妄想であることに気づくのだが、一部はそれに気づかないまま大人になってしまう。学生あたりはその境目だろう。そういう私も実は気づいてないかもしれない。未だに「音階練習しなくてもカルテットやってれば、チェロがうまくなる」とか「何もしなくても、いつまでも若く見えるはず」と思っている。

だから就活生を見ると自分を見ているようで、いたたまれない。彼らは、どこかの「いい」カイシャの人事が「君には才能があるかもしれない」「是非、うちに来てくれ」とラブコールを送ってくれるのを待っている。オレを採用試験で落とすのはオレ様の才能を見抜けない人事が悪いのだ。

ありがたいことに、きっとすべての学生に大なり小なり何かの才能はある。ただし、それが開花するのは、いくつかの条件が揃った場合なのではないか。特に、大学入試に勝ち残って入学したような学生ならまだしも、そうでないならその条件はさらに厳しくなる。条件を整えて超えるべき修羅場を用意して若者が育つのを待てる企業が、どれほどあるのだろうか。即戦力を欲しがる企業にそれを求めるのは難しいだろう。(即戦力なんて学生に求めるかねえとも思うが)。では家庭や学校がそれをしてきたかと問われると困るなあ。謝るしかない。

そんな中「見ててくれ先生、オレ天才だからすぐに卒論書けるよ」と言う楽天家の学生を見るとあきれながらもホッとする。たぶん、すぐには書けない。でも自分で書いてください。何かの才能が開花するかもしれないから。

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