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2018年08月16日 14時20分 JST | 更新 2018年08月16日 14時35分 JST

フォーワード・ガイダンス温故知新

フォーワード・ガイダンスが難しいのは、信じさせる行動は将来のものであり、またそれはその将来時点の最適行動ではない点です。

Toru Hanai / Reuters

7月30、31日(2018年)に開催された金融政策決定会合には何らかの変更があるのではないか?という憶測が事前にメディアにはありました。それは物価上昇目標が達成できないことへの再検証や、金融政策の枠組み変更や追加緩和というものでした。私には、検証は既に2016年に行われて以来、目新しいことが出てくるとは思えず、またその時にイールド・カーブ・コントロールが導入されてから、特に経済にショックもない中でほとんど現状維持の金融政策という印象だったので半信半疑でした。ただし、そのような憶測の中でも、金融機関経営に配慮するということについて、金融政策として如何なものかとは思いますが。

物価上昇目標達成時期見通しの下方修正なども事前に予想されていましたが、決定会合の決定は実際のところ、現状維持と言ってよいと思います。政策委員からは

量的・質的金融緩和政策の開始後、当初想定していた以上に、生産性と雇用が改善している

という楽観的意見があったようですが、私には投入労働時間の増加を伴う本物の雇用改善が起こっているなら、最近の経済成長鈍化から、生産性はむしろ劣化していなければならず、両方が改善しているとは思えません。(「最近の雇用状況について -平成29年度版「経済財政白書」を参考に-」参照。)

多少の変化としては、長期国債の政策目標から「ある程度変動しうる」として、0.2%程度までの上昇を許容するということがありました。これで利上げ方向に傾くなら、現状では賛同しかねますが、それでも0.1%増程度であれば大きな変更とは言えません。またこれは、取引が低迷する国債市場に活性化するために価格変動を許容するという考えもできるでしょう。黒田総裁は会見

長期金利の変動幅が非常に縮小して、取引高が減少傾向にあることも指摘されてい(る)

という認識を示しました。それなら効果の出ていない量的緩和を止めてしまえば良いと思いますが、むしろアメリカの利上げに対して日本の国債利回りが連動するのに備えたもののような気がします(「日銀の総括的検証と金融緩和の新しい枠組み」参照)。しかし、効果があるかは分からず、いずれにしても焼石に水でしょう。

私にとって意外だったのは、黒田総裁が会見

フォワードガイダンスは、欧米の中央銀行でも使われていましたが、日本銀行としては、金利に関するフォワードガイダンスは初めて導入します

と述べた点でした。フォワード・ガイダンスは、元々はポール・クルーグマン教授の有名な論文「It's Baaack!」で議論されたものです。クルーグマン教授はそこで経済がゼロ金利下限に到達した時に、どのような政策が考えられるかを議論しており、(財政拡大などで)将来物価が上昇する局面になっても、中央銀行は直ちに引き締めないこと(にコミットする)を論じました。つまり、将来の物価上昇が起こっても、かなりの期間利上げをしないと信じさせることでインフレ予想を起こそうとしました。ここでゼロ金利自体には景気を回復できず物価を上げられなくなったという現状を前提にしていることに注意して下さい。しかし、これまでの結果から、クルーグマン教授自身もIMFでのスピーチの中で、このフォーワード・ガイダンスは難しいことを認めたと伝えられています。

黒田総裁が、金利に関するフォーワード・ガイダンスを初めて導入したという認識ならば、それは異次元緩和開始当初の考えとは異なるということになります。異次元緩和当初は「期待を抜本的に転換させる効果」を狙って、単純にマネタリーベースを増やせば物価上昇期待が起こるとしていました(「日銀の総括的検証、何のため?・前篇」参照)。私はクルーグマン教授がマネタリーベースを増やせば直ちに物価上昇予想が起こるなどと言っているのを見たことがないので、クルーグマン教授の考えはリフレ派とは異なると考えています。

私が意外に思ったのは、フォーワード・ガイダンスの考え方は、金利に関するとしても、日銀にとって目新しくはないからです。政策金利がゼロに到達して以降、2001年の3月には政策決定会合の公表文書に、

消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、継続する

と入るようになりました。典型的なフォーワード・ガイダンスは、このようにゼロ金利を継続して物価がx%上昇してもしばらく引き上げない、というものです。しかし、日銀はこれを「時間軸政策」と呼びました。また、2016年のイールド・カーブ・コントロール導入時に、オーバーシュート型・コミットメントもありました。オーバーシュート型・コミットメント上では、物価上昇が

安定的に2%を超えるまで、マネタリーベースの拡大方針を継続する

としており、この時は金利ではなくマネタリーベースの「増加」にコミットしようとしたフォーワード・ガイダンスと見ることができます(「日銀の総括的検証と金融緩和の新しい枠組み」参照)。

今回の公表文書では

当分の間、現在のきわめて低い長短金利の水準を維持することを想定

とされましたが、これに対して一人の委員が

物価目標との関係がより明確となるフォワードガイダンスを導入することが適当であるとして反対した

とありますが、「当分の間」ではどういうコミットか曖昧だからでしょう。フォーワード・ガイダンスでは、約束を明確にするために、物価上昇目標を政策を切り替える参照値にするのです。一方、別の委員から

2%の「物価安定の目標」をできるだけ早期に達成する観点から、長短金利維持のコミットメントではなく、中長期の予想物価上昇率に関する現状評価が下方修正された場合には追加緩和手段を講じるとのコミットメントが適当

というのは、そもそも金融政策はコミットするまでもなくそういうものでしょうし、それで市場の予想に影響させようとしても「予想物価上昇率に関する現状評価」は委員会自身が決めることなのであまり意味がないでしょう。

このように、少なくても中央銀行のコミットメントの対象となるのはその行動です。従って、日銀が(政府に対し)「物価上昇」にコミットすると言うのは、物価をかなりの程度コントロールできない限り意味がありません。だから白川総裁の時に政府と協定した物価上昇はあくまで目標にしかならないのです。

た、中央銀行が物価上昇を短期間にコントロールできるなら、いちいち目標に掲げるまでもなく、さっさとやって物価を上昇させればよいでしょう。コントロールできないないけれど目標とするので物価が上がることを信じて下さいと言っても無理な話です。(「日銀の総括的検証、何のため?・後篇」参照)。つまり、量的緩和を伴うマネタリーベース・コントロールで物価が上がらないのは、クルーグマン教授が認めたようにフォーワード・ガイダンスでも期待インフレを起こすことは難しいからであり、ましてやこれだけ長くやっても物価が上がらないのはマネタリーベース増加自体にも効果がなかったということでしょう。

フォーワード・ガイダンスが難しいのは、信じさせる行動は将来のものであり、またそれはその将来時点の最適行動ではない点です。これを「時間非整合」といいます。物価安定が使命の中央銀行は、実際に物価が上がり始めたら、金利を早めに引き上げてしまうかもしれません。例えば、定期政策決定会合は休止し、物価が2%上昇してから半年後まで開催しません、と宣言してはどうでしょうか。それでも何かあれば臨時会合を開くことができる限り、インフレを予防するために臨時会合を招集して利上げしてしまうかもしれません。信じるか信じないかはあなた次第なのです。

コミットメントと関係するのは「レジーム」でしょう。「レジーム」のいう言葉は適当に使われているきらいがありますが、約束が確かに信じられるコミットメントになるような制度的枠組みです。極端なものとして先の例で、国会が中央銀行に臨時会合を開催する権限を停止した上で、物価が2%上昇してから半年後まで開催しない、という法案を可決して中央銀行の手足を縛れば、ゼロ金利を継続するというコミットはかなり強まるでしょう。そのような制度的枠組みはゼロ金利「レジーム」と呼んでよいでしょう。しかし、それでゼロ金利継続のコミットメントが強まることと物価が上がることとは同じではないので保証の限りではありません。だから、中央銀行の決定とは無関係の消費税増税でレジームが毀損したというは荒唐無稽なのです。

時間非整合問題が金融政策で議論されたのは、元々はインフレを防止するという観点でした。政府は失業などのある不況よりは、インフレの方が良いと考えるフシがあり、中央銀行に引き締めさせることを嫌うと考えられました。そのため、インフレが頻発するのは、政府が中央銀行に圧力を加えて、金融引き締めをなるべく回避させようとする、と疑われました。このような議論を経て、中央銀行を法的にも政府からの独立性を保証し、代わり中央銀行に説明責任を果たさせるために、物価目標を設定してそれから逸脱した場合には理由を説明させるという制度が導入されたりしました。

レジームが必要なのは、約束から逸脱する理由がある場合です。フォーワード・ガイダンスの時間非整合は、実際にインフレが起こった時には放置せずに中央銀行として抑制に努めることがむしろ逸脱です。皮肉なことに、当初は政府の意を汲む中央銀行はインフレを放置することが心配され、中央銀行の独立性が与えられました。黒田総裁下の日銀がコミットメントをサボってマネタリーベースの増加を怠ったわけではありません。単に効果がなかったからイールド・カーブ・コントロールに転換したのです。そして、そのような自ら思考錯誤して柔軟に手法を変えるのはむしろ称賛すべきことです(「黒田総裁と日銀のこれまでの5年と今後」参照)。また、それは黒田総裁以前の日銀にも少なからず見られたことです。

独立性や物価目標のレジームでインフレが終息したなら、それは良いことです。しかし、このようなインフレ防止レジームは、デフレ不況のためのものではありません。短絡的に日銀の独立性を否定しても不況は克服できないでしょう。今の物価上昇目標もインフレに対する元々の意義とは大きく違っていますし、もう見直しの時期にきているのでしょう。近いうちにこれについて書きたいと思います。