喜ぶべき第一歩が、ムコ多糖症と診断されるきっかけに

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は、耀が歩き始めた頃から、ムコ多糖症と診断されるきっかけになった時のお話をしたいと思います。

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は、耀が歩き始めた頃から、ムコ多糖症と診断されるきっかけになった時のお話をしたいと思います。

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耀が1歳になる頃、保育所の同じクラスの子どもたちは活発に動き出し、歩く子が増えていきましたが、耀はいつもお座りをしてじっとしていることが多いことから、

「大仏の耀くん」

と先生にあだなをつけられていました。

歩きだすのが遅いのかと少し気になりましたが、おばあちゃんからは、私をはじめ、妹たちも1歳2ヶ月で歩き出したと聞いていたので、そういえばお姉ちゃんの海里の時もそうだったなぁと思い出していました。

1歳のお誕生日に受けた鼠径ヘルニヤの手術から無事に自宅に戻り、ハイハイは活発にするようになったものの、それから2か月後の1歳2ヶ月になってもいっこうに歩く気配は見られません。

12月に入りクリスマスの頃はつかまり立ちはしますが、すぐにはいつくばり、異常に早いハイハイで部屋中を駆け回って(?)いました。

歩き出さないのは、やはり体が硬いことが原因で何か影響があるのかもしれない...などと不安になったりしましたが、それについては医師が個人差の範囲と診断していることだし、焦ってもしょうがない、成長はその子それぞれなんだからと、考えるようにしていました。

そして! 忘れもしない大晦日の晩、私が大掃除をしながら紅白歌合戦を見終わり、除夜の鐘が聴こえだしたその時、耀がニコニコ笑いながら私の方へ歩いてきてくれたのです! 今でもその光景をはっきりと覚えています。たどたどしい一歩一歩で私のところまでたどり着きました。一年の最後の最後に、サプライズプレゼントのような成長した姿を見せてくれた耀を抱きしめました。

この喜ぶべき第一歩がムコ多糖症と診断されるきっかけになるとは、この時は知る由もありません。先天性代謝異常症ムコ多糖症は成長するにつれて病気が進行します。

冬休みの間に上手に歩けるようになった耀でしたが、その頃から荒い息遣いが目立つようになります。おばあちゃんからも指摘され、かかりつけ医に気管支ぜんそくと診断され、それからずっと気管支拡張剤を飲み続けることになります。起きている時はいつもゼーゼーハーハー、眠っているときはいびきのような大きい寝息を立てて、しばらくするとそれが途切れるので、途切れるたびに耀の様子をうかがっていました。

そのような中でも耀は元気に保育所に通い、私はフルタイムで仕事をして山のような洗濯物を持ち帰る毎日です。仕事柄残業が多く、保育所の終了時間にお迎えに行き、その後 実家のおばあちゃんに子どもたちを預けて、また仕事に戻ることはしょっちゅうありました。

そんなある日、おばあちゃんが「耀くんの姿勢がおかしい」と指摘します。お尻を突出して膝を曲げて歩くのです。どの子も歩き始めはそのような姿なのかもしれませんが、耀は歩き出して3か月経ってもその独特の姿勢のままです。

一緒に遊んでいる従弟たちとは明らかに違うその姿は、妹たちからも言われます。保育所の先生も同じことを心配され、ちょうどいいタイミングで箕面市で行われた1歳半検診の際に医師に相談します。長年子どもたちを診てこられたことが一目でわかるベテラン医師は、耀を何度か歩かせてみるものの異常とは言われませんでした。

その後も耀を預けるたびにおばあちゃんや妹たちからやっぱりおかしいと言われ、保育所の先生からも同じことを伝えられ、母親の私も体の硬さや姿勢の違いは分かっているのですが、かかりつけ医には「個人差の範囲」、検診した医師も異常とは言いません。そしてかかりつけ医はわが家にとって名医です。本当にそうなのです。それまで子どもたちはもちろん、私たち夫婦も何かあるごとにしっかり診断してくださり、処方される薬で治ってきました。

間に挟まれるようになった私は、どうすることもできません。おばあちゃんに指摘されるたびに「じゃあ、どうしたらいいの!」と言い返し、気がおかしくなりそうでした。

そのような間も耀の病状は進行しているのでした。

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