骨の病気で背が伸びなくても、楽しく成長していけばいい

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は私が勤めていた自動車販売会社で学んだこと、そして耀が2歳の誕生日を迎えた頃のお話をします。

現在中学3年生の私の長男、耀は進行性の難病「ムコ多糖症」を持って生まれてきました。今回は私が勤めていた自動車販売会社で学んだこと、そして耀が2歳の誕生日を迎えた頃のお話をします。

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私は長年、自動車販売会社で働いていました。

職場に恵まれ、やりがいを感じながら仕事を続けていました。在職中に受付事務職から当時はまだまだ男性中心の営業職へと変わり、若輩者の私がベテランの男性たちと肩を並べるなんてちょっと恐ろしいような気持ちもありましたが、一台売るとまた一台、そこからご紹介や乗り換えなど仕事に没頭する毎日が始まりました。

手続きの書類を取りにお客様の家へ伺うと奥様がお昼ご飯を用意して待っていて下さることもありました。お見合いのお話をいただいたこともあります。結婚して子どもが出来てからは、晩ごはんのおかずにしなさいと手作りのお惣菜をおすそ分けして下さったり、子どもが生まれたからと大きめの車に乗り替えた方の、そのお子さんが立派に成長されて免許を取って仕事に通うために車を買ってくださったことなど、お客様とのつながりでありがたく嬉しいエピソードを言い始めるときりがありません。

もちろん数えきれないくらいの失敗や悲しいこと、悩んでしまったことも幾度となくありました。長年勤めているとお客様の人生の一コマを垣間見ることもあり、まだまだ小さい範囲ですが世間というものも知りました。そんなことを積み上げながら仕事に取組む毎日を過ごしていました。

そのような中、店頭に車いすの息子さんを連れて車の購入を考える女性が来店されたことがありました。まだ私に子どもがいない頃、当時は今のように車いす対応の車が少なく商談までには至りませんでしたが、その後、年下の女性社員が障がいのある子どもの命に対する言葉を声に出しました。きれいごとを嫌う彼女の正直な意見だったかもしれませんが、

~それは絶対ちがう!~

強く心の中で思ったことを覚えています。

また外回りをしていると、時々見かける男性がいました。その背の高さから小学生のように見えるのですが、そうではないのです。見かけるときはいつも同じような時間にバスから降りて、一歩一歩しっかりと地に足をつけて歩いておられました。

お得意様の中に、お子さんが入退院を繰り返されているお家がありました。長女の海里の少しあとに生まれたお子さんで、おまけに出産は私と同じ病院で産科の担当医師まで同じ、と言うご縁のあるお客様です。お留守のことが多く、今回もそうだったらメッセージを置いて帰ろうと思いながらお家に伺うと、全開させた道路沿いの窓から香ばしい匂いを漂わせて家族でにぎやかに焼き肉をされているではありませんか!

「橋本さんも食べていって~」(私は旧姓で仕事を続けていました)

と奥様がお誘いくださり、促されるまま中に入ると、退院した3歳の息子さんが満面の笑顔で私を迎えてくれました。畳の上に横になり天使のような笑顔で見つめてくれました。

さて話は前回の続きに戻ります。今から13年ほど前のことです。

保育所の先生からのお手紙から、箕面市立病院を受診して、耀が「骨の病気である」ことが分かりました。医師から骨が折れやすく折れると治り辛いと聞いたので、

耀には、

「お遊びのときにジャンプしたらアカンよ。耀くんはおケガしたら治りにくいからね。」

と言いきかせていました。

耀の2歳のお誕生日は、骨の病気で背が伸びなくても、楽しく成長していけばいい、家族一緒に過ごせたらいいと、耀が今こうして元気でいることに感謝してお祝いしました。

市立病院へは耀の硬い体のために少しでも良いということで、リハビリ科に通いました。私の仕事は土日祝日が出勤だったので、その代休に予約を入れて通います。

保育所の担任の先生方もリハビリを耀の保育所での生活に取り入れるため、わざわざ病院へ来られ見学してくださいました。

子ども用のリハビリルームは、色とりどりの遊具があり、耀は部屋の中に入ると大はしゃぎです。

大好きな滑り台を滑り降りると、ボールをとばし、また滑り台へと、いつものように気管支ぜんそくのため息をゼイゼイハーハーさせて、汗だくになりながら、元気に歩き回ります。私は歩き出すのが遅かった耀がこんなに活発に動くようになったことが嬉しい反面、骨が折れないだろうかと心配でなりませんでした。

理学療法士さんは、木の玉を上から転がすおもちゃをわざと一段高いところに置き、耀に伸び上がって遊ばせたり、耀を寝かせて楽しく関わりながら、腕や足を伸ばすストレッチを施されます。保育所の先生は近くまで寄って来てメモを取られていました。

仕事中でもわが子の『骨の病気』のことが気になります。何かもっと情報がほしいと思い、看護師をされているお客様にアドバイスを頂こうと、車の調子伺いの際、長男が骨の病気と診断されたことを話しました。

すると彼女の表情は明らかに変わり、ただねぎらいの言葉をかけられるだけでした。頼りにしている先輩に電話をすると、私は実に冷静に話したのですが受話器の向こうからすすり泣く声が聞こえてきます。

その時、「自分の周りの誰にも相談できないな」と感じました。

リハビリ科に数回通ったある日、小児科を受診することになり、医師の指示で眼科で目の検査を受けました。

「耀くんの骨の写真や体の状況から思い当たることがあります」

小児科医師が慎重に丁寧に仰るには、 同じ小児科に耀に似た病状の子どもさんがいらっしゃる、ただ特徴的な症状として、「目の混濁」があるはずなのだが、耀くんにはそれがない。

でも専門医のところへ行けば、その病気の患者さんがひと目で分かるはずなので、是非受診してほしい。

そして、大学病院の紹介状を頂きました。

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