服好きファッションエディターが、ヌーディストビーチに行って裸になってみた

ヌーディスト村日記①
Tomoko Marugame

裸になるってどんな気持ち? 服好きファッションエディターが、服なんて着ない!というフランスのヌーディストリゾートに行ってきた話。ドキドキ続きのヌーディスト村日記を連載で伝えます。

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ヌーディストが集う街

やってきたのは南仏。キャプ・アグド(Cap d'Agde)という街には、世界でも指折りのヌーディストビーチがある。そしてビーチを含む広いエリアは、ホテルやレジデンス、スーパーマーケットやレストランなどを揃え、まるでディズニーランドのように、料金を払って入場するのである(!)。

その名も、「ヴィラージュ・ナチュリスト(Village Naturiste)」。「ナチュラリスト村」という意味で、この単語がそのままバス停の名前にもなっている。しかも終点なので、街を走るバスが「ナチュラリスト村行き」とその名を掲げているのをしばしば目にする。

ナチュリストとは、本来の語義は「自然主義者」的なものなのだが(natureという単語は英語のnatureとほぼ同じ)、どうやら、ヌーディストが自称として好む語のようで、「ヌーディスト」と指す内容は一緒だ。

堂々と「ナチュリスト村」と書いてある入り口モニュメント
Tomoko Marugame
堂々と「ナチュリスト村」と書いてある入り口モニュメント

↑バス停そばに、「ナチュリスト村」と書かれた立派なモニュメント。

ナチュリストの楽園に入場

さてヴィラージュ・ナチュリストへの入場料は、車で来ていなければ1日8ユーロ。「4日〜7日出入り自由になるチケットは45ユーロ」と、テーマパーク顔負けのしっかり料金体制だ。一見すると小さな観光案内所のような場所で、お姉さん(服着てる)にお金を払い、歩いてすぐのところにある通用口のような粗末な鉄の扉の前でおじさん(服着てる)にチケットを渡し、中に入れてもらう。ギイ〜・・・。

さぁ、もうみんな裸なのかしら・・・?!とドキドキするも、眼前に広がるのは駐車場。ちらほら歩いている人もいるなと思っても、服を着ている。

数年前、一番初めにヌーディストに興味を持って調べた時、ヌーディスト村なる場所では住んでいる(滞在している)人はもちろん、働いている人もヌードだ、という記述を見た気がする。なので、働いている人も真っ裸で、お客と差がない装いなのか、という期待を抱いていた。

だから、通用口風扉から入ってしばらくして郵便局を見つけた時、つい用もないのにドアを開けてみたのだ。郵便屋さんも裸なのかしらと。すると、郵便局の制服と、その向かいにシワがよったお尻が目に入った。職員=制服着用、お客=裸。おじさん(おじいさん?)は後ろ姿しか見えなかったけれど、初心者の私はそのゆるんだお尻と、股の向こうにぶら下がる"何か"を認識して2秒で扉を閉めてしまった。

いつどこで脱ぐのか

そうしてなんとなく浜辺を目指しながら歩き、ふと思い至る。「あれ、どこで着替えれば・・いや、服を脱げばいいんだろう?」。そう、本来着替えは、あられもない姿を見せちゃいけないから人目につかない場所でやるけれど、裸を見せていい場所ならば、どこで脱いでもいいのでは? いやそれにしてもTPOがわからない!

こんなに脱ぐぞと気張って来たのに、どうしたものか。と思いながら周りを見ていると、車で来ている人(圧倒的多数)は、サーファーが車の中でウェットスーツを着込むように、車で着替え(脱ぎ)を済ませているようだった。ビーチカルチャーが村を支配している・・・。

結局、トイレで下着だけ外し、ビーチで上に着ていたワンピースを脱ぐという、段階的脱衣を採った。南仏の太陽の真下で、レーヨン100%のぺらぺらのワンピースをガバッと脱ぐ。私は裸だ。

露出度の変化

段階的、と言えば、バカンスシーズンにフランスに来た時点でもう脱衣は始まっていたのかもしれないとも思った。キャプ・ダグドに着いた時、フルレングスのデニムを履いているのなんて私だけ。

少女もおばちゃんもおばあちゃんも腕を出して足を出している場所で、東京では重ね着してしまうようなワンピースを一枚で着る。それがふさわしいと思わせる、土地柄の朗らかな圧力があった。裾が風をはらんで心地がいい。肩と背中がまっすぐ太陽を受け取っている。

その土地の風土とか文化的な感覚で露出度が変わるというのはよくある。中東に行けばきっと私は真逆に肌を覆うだろう。と考えると、ナチュリスト村はその段階の最たるものとも言える。

そこでは「露出」の基準値がぐんと下がり、「見せてはいけない部分」は消滅する。はしたなさもみっともなさもない、露出の極みを享受する場所。それがキャプ・ダグドなのかもしれない。