オバマ大統領の広島訪問を控えて23歳のボランティアガイドが思うこと。

最初は原爆を伝えたいという思いよりも、シンプルにせっかく広島に来てくれた人達に喜んでもらいたいという思いが強かったと思います。

どうも、平和公園のオバマこと村上正晃です。(自称)

昨年の春に大学を卒業後、現在は、夜アルバイトをしながら、昼は雨の日以外毎日平和公園でガイドをしています。

自分がこのようにガイドをしているのには理由があります。

ガイドを始めた(平和公園に通い出した)のは2年前。大学4年生の4月です。実は最初はガイドをしようなんて気持ちは全くなくて、外国人がたくさんいる平和公園で英語の勉強がしたいと思い平和公園を訪れました。

そして平和公園を訪れる外国人と鶴を折ったりしていました。

鶴を折る合間にガイドの方から説明を受けたり資料を読むようになったりし、そして少しずつ自分でもガイドをするようになりました。

最初は、原爆を伝えたいという思いよりも、シンプルにせっかく広島に来てくれた人達に喜んでもらいたいという思いが強かったと思います。

しかし、少しずつガイドをするようになり勉強していく中で自分の無知を実感しました。

広島に生まれて広島で育ったのに自分は何も知らなかった、、

平和公園も何度か足を運んだことがあるけど、原爆ドームのことや、慰霊碑、供養塔のことなど何も知りませんでした。

そして同時に被爆者と話したり歴史を勉強していく中で、〝これは知らないといけない。伝えないといけない。大事なことだ〟と考えるようになりました。

自分に原爆について教えてくれているのは、胎内被爆者で10年間毎日平和公園でボランティアガイドをされている三登浩成さんです。

ガイドのモットーは「事実を正確に、分かりやすく、心に響くように」

これは自分も常に意識しています。

ガイドをしていく中で、若い世代が伝えていくことの重要性を感じています。

それは、今まで伝えてきてくれた被爆者やガイドの人たちが高齢化、減少しており、その想いや知識を自分達が引き継いでいけるのは今しかないという思うからです。

もう1つは、若いからこそ伝えられることもある、ということです。それは特に同世代や下の世代、または親の世代から「とても分かりやすかったし、思いが伝わって来た」と声をかけてもらうことがあるからです。

もちろん簡単ではないけど、原爆を経験していなくても伝える事が出来るし、そうしていかないといけないと思っています。

そのような思いから大学卒業後このような道を選びました。

(ガイドの風景ー原爆ドームの南東約160メートルにある爆心地を指差す)

冒頭で平和公園のオバマと書いたのには理由があります。

オバマ大統領はアメリカ初の黒人大統領として知られています。選挙の際は〝Yes we can〟や〝Change〟という言葉で国民の心をつかみました。長い間人種差別、黒人差別などが続いてきたアメリカで、この人ならなにかを変えてくれるかもしれない!そのような期待を込めて多くの国民が彼を支持しました。

そしてオバマが大統領に就任した2009年。

ちょうどその年、、

「三原東高校のオバマこと村上正晃です。Yes!We can!」といって生徒会選挙で演説し、生徒会副会長に就任したのが自分です。(会長ではないんです)

今思えば恥ずかしいかぎりですがいい思い出です。

しかしこれは自分が調子に乗って言った訳ではなくて(少しは乗ってましたが)、立候補した人のスピーチの前に推薦者のスピーチがあるのですが、そこで友達がフリを入れてきたのです。

「僕が推薦するのは三原東のオバマこと村上正晃君です。村上君はサッカー部でも、、(中略)、、です。ではお願いします!」

というフリがあったので緊張でドクドクだったけど(えーい、やるしかない!)という気持ちでやったところ、1割が笑い、5割が失笑、2割が無反応で残りの2割には睨まれました。

つまり、

全校生徒500人の前ですべりました。

ただ、そのかいもあって(⁉︎)見事選挙に勝利し生徒会副会長になったのです。

そういう意味では平和公園のオバマを名乗る資格があると思います。(勝手に)

もちろんその時はアメリカの大統領に興味なんてないし、オバマさんはテレビで見るすごい人、それこそ原爆についても1年に1回8月6日の8時15分に考えるだけの普通の高校生でした。

そう考えると、今こうやってオバマ大統領が広島に来るということで、問題が身近にあるというのはなにか不思議な感じがします。

さて、〝Yes we can〟、〝Change〟という言葉で大衆の心をつかみ大統領になったオバマは、スピーチの名手として知られています。

その中でも全世界から注目を集め、後に彼がノーベル平和賞を受賞するきっかけになったのが、2009年4月にチェコのプラハで行われた演説です。

その演説の中の一部(日本語訳)を紹介します。

「私たちは、20世紀に自由のために戦ったように、21世紀には、世界中の人々が恐怖のない生活を送る権利を求めて共に戦わなければなりません。そして、核保有国として、核兵器を使用したことがある唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任があります。米国だけではこの活動で成功を収めることはできませんが、その先頭に立つことはできます。その活動を始めることはできます。

従って本日、私は、米国が核兵器のない世界の平和と安全を追求する決意であることを、信念を持って明言いたします。」

このスピーチに日本の被爆者や世界の反核活動家、そして核兵器のない世界を望む多くの一般市民が賛同し、歓喜しました。

そしてそれから7年経つ今年、オバマ大統領の広島訪問が決定しました。

この期間に核兵器全体の数は減少していますが、核兵器開発は並行して進められており、イスラム国の台頭やシリア問題による米露関係の悪化などにより、核廃絶への道は進んでいるどころか後退しているといえます。そして当のオバマ大統領も、核兵器のメンテナンスという名目で爆発の伴わない核実験を行ったり、「戦争を抑止するためには核兵器が必要」という核抑止力を柱とする政策を取っています。

被爆者の中にはプラハ演説を聞いて涙したが、その後の行動から、「裏切られた」と感じている人達もいます。

だから今回の訪問を手放しに喜ぶことは出来ないし、してはいけないのではないかと思います。

ただ、アメリカの現職大統領が広島に初めて足を運ぶという意味では、とても歴史的なことだし、勇気ある決断だったと思います。

しかし大事なのは来ることではなくて来て何をするのか、そしてその後何をしていくかです。

現在多くの批評が流れていますが、それは現時点では判断出来ないし、じっくりと見ていたいと思います。

それよりも、自分が今回の訪問を控えて一番大事だと思うのは、これをきっかけに自分達一般市民がもっと関心を持ち、学び、伝えていくことです。

そう思うのには理由があります。

それは、オバマ大統領の任期は2017年1月で終わり、次の大統領に変わるからです。

もしオバマ大統領が核兵器廃絶を訴えても、残された任期で全てを無くすことは出来ません。

また、もしそう訴えたとしても次の大統領が核兵器が必要だと言ってしまえばそれでおしまいです。

だから、リーダー任せにするのではなくて、核兵器は絶対に使ってはいけない、持っていてはいけない、という考えを一般市民の間で共有し、〝核兵器は絶対悪〟という考えを構築していくことの方が長い目で見た時に一番の核廃絶の力になるのではないかと思います。(核兵器禁止条約の為に)

では、〝核兵器は絶対に使ってはいけない、持っていてもいけない〟という考えを共通の意識として作っていく為にはどうしたらいいか?

それは簡単です。

広島、長崎で起きたことを知ることです。

自分は核兵器廃絶の為にガイドを始めた訳ではないし、実は今でもガイドの目的全てがそれな訳ではありません。被爆者の思いを知ってほしい、せっかく広島に来たんだから満足して帰ってほしい、身の回りの問題に無関心でいて欲しくない、そのような思いも含めてガイドをしています。

けど、やっぱり広島、長崎で起きたこと(被爆者と話したり被爆の実相)を知った時に核兵器は〝絶対に使ってはいけないし、持っていてもいけない〟と強く思うようになりました。

過去に起きたことを学ぶのは過去の為ではなくて、今や未来の為だと思います。

よく、〝未来〟〝平和〟という言葉を聞きますが、それは〝過去〟や〝戦争〟を知ることで初めて作っていけるものだと思います。

だから、今回のオバマ大統領の訪問をきっかけに、一人一人が原点に戻って被爆の実相を学び、〝核兵器のない世界〟を目指していく流れが出来ればと思います。

オバマ大統領頼みではなくて、自分達で変えていくということです。

故ローマ法王 ヨハネパウロ二世が広島を訪れた際、このような言葉を残しています。(資料館の一階に碑が展示されています。)

「戦争は人間のしわざです。

戦争は人間の生命を奪います。

戦争は死そのものです。

過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことです。

ヒロシマを考えることは、核戦争を拒否することです。

ヒロシマを考えることは、平和に対しての責任を取ることです。」

今回のオバマ大統領の広島訪問をきっかけに、一人一人が責任を持って考えてみてください。

もちろんオバマ大統領にも、パフォーマンスで終わらないように責任感を持って広島を歩いて欲しいと思います。

最後にオバマ大統領や、平和公園に来るみなさんに訪れてもらいたい平和公園の大事な場所を簡単に説明して終わります。

○原爆供養塔

地下室には身元不明の遺骨約7万人分、身元が分かっていても引き取り手のない遺骨815人分が収められています。

○韓国人原爆犠牲者慰霊碑

広島への原爆により約2万人の韓国人が亡くなりました。

○レストハウス地下室

平和公園内にある被爆建物。爆心地から170メートルという近距離だがたまたま地下室にいた1名の男性が生き残り、地下室はほぼ当時のまま保存されています。

○峠三吉の碑

被爆者の想いが詰まった言葉です。峠三吉はアメリカの占領下プレスコードが敷かれている中で原爆の悲惨さを伝える詩を書き続けました。

○学徒動員慰霊碑

広島では約7000人の学徒動員中の中学生が犠牲になりました。

○爆心地

原子爆弾は原爆ドームの南東約160メートル、島病院の上空600メートルで炸裂しました。

○原爆ドーム

原子爆弾の被害の象徴。核兵器廃絶を訴える無言の証人。

5月27日、オバマ大統領が広島に足を運びます。

途中でも書きましたが、大事なのは来ることではなくてきて何をするか、その後なにをしていくか。

それをしっかりと見ていたいと思います。

そして自分達一般市民がこれをきっかけに学び、伝えていくことが大事だと思います。

71年たつ今だからこそ学ぼう。

そして伝えていこう。

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