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2018年09月19日 16時23分 JST | 更新 2018年09月20日 17時26分 JST

絶滅寸前の名字を何度も変えたいと思った自分。いま、存続させたいと考えるようになるまで

9月19日は「名字の日」です。

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「名字の日」(9月19日)にちなんで、自分の名字にまつわる話を書きたい。

私の名前は「錦光山雅子」と書いて「きんこうざんまさこ」と読む。

錦光山」は、京都の東山で、江戸時代から昭和の初めまで「粟田焼」という京焼(焼き物)を作っていた窯元の家の姓だ。

由来はともかく、子どもの時には、この名字を変えたいと何度も思った。からかいやいじめのきっかけにもなったから。「中国人」と言われたし、「力道山」みたいな響きから「きんどうざん」とも言われた。だから、人に名乗ったときの反応が大嫌いだった。

中学校の入学式の会場で新入生のわたしの名前が呼ばれた途端、数百人の生徒たちがドッと沸き、死ぬほど恥ずかしかった光景はいまも忘れられない。

このときのトラウマは、大人になっても引きずった。

少し前まで、病院で患者を呼ぶときは「名字」で呼ばれることがあった。大きめの総合病院で待っているとき、「錦光山さん、きーんこーうざーんさーーーん」と呼ばれると、周囲が「なにいまの?名前?」と笑い含みでざわつく。その中を歩くのがどうにもいやだった。だから、数十秒の間を置いて立ち上がったものだ。

望まないのに、自分を周りから浮き立たせる「名字」と周りの反応に、明らかに自意識過剰になっていたと、今は思う。

この名前がいいんだ、とアイデンティティの一つとして受け入れられるようになったのは、大学生になってからだ。

それまで「おかしな名字」と言われ続けてきたのに、「きれいな名字」と言われるようになった。環境が変われば、受け止めも変わる。説明しなくても「錦光山」の由来を知っている人が周りにポツポツといるようになったのにも驚いた。

さらに、大学の卒業論文で「錦光山」を選んだことで、つたないながら、江戸時代末、いったんは行き詰まった「錦光山」が、販路を求め、海外にどう打って出ていったのかを知り、別の文脈で「錦光山」が位置づけられていることも知った。苗字を受け入れる気持ちが、徐々に整っていった。

東京国立博物館サイトから
シカゴ・コロンブス世界博覧会に出品された七代錦光山宗兵衛作「色絵金襴手双鳳文飾壺」(1892年)

■珍名への反応あれこれ

それにしても「珍名」なので、すぐに覚えられるのは仕事で有利ではあるが、いろいろなことが起きる。

電話口で名乗ると、会社の名前か部署の名前と勘違いする人が少なくないようで「"錦光山"のなに様でいらっしゃいますか?」と聞かれたことが何度もある。

名前自体、なかなか正確に伝わらない。「きんこうわん」「きんこうさん」「きんこう」「きん」様ですかーー?何度も言い返してめんどくさくなって、間違ってても「はい」と言ってしまうこともある。

名字の説明も、試行錯誤してきた。特に「錦」の説明がスムーズに行かない。

5年ほど前までは、小錦の「錦」が割とスムーズだった。やはり著名人の名前の一部を使うのが効果が高いようだ。だが、ここ数年は「小錦」がかつての大相撲力士だとすぐに頭に浮かぶ人が減ってきたせいか、「?」というリアクションをされるようになった。

なので、「錦糸町の錦」とバージョンを変えてみたが、地方の人には通じないこともあった。見かねた職場の先輩が「錦鯉はどうだ!」と提案してくれて、いまは「錦鯉」で説明している。

それでも、名前を書く段になると、間違われることが多い。むしろ、最初から正確に書ける方が少ないんじゃないかと思うほどだ。自分の名前を間違えられて激怒する人もよくいるが、もう何千回レベルで間違われているので、わたしはなんとも思わない。

むしろ「人間は名前を間違えるものだ」という寛容さすら生まれてきた。

ときには、うならされる間違いもある。

「金鉱山」や「綿光山」「金光山」「光光山」「金剛山」「錦江湾」「金光寺」。先日送られてきた映画の試写会招待のはがきには「錦子山雅子 様」と印刷されていた。

勘違いだけでなく、みなさん、迷いながらなのだろう、発音から想像力を駆使して当てて下さったと思われる、様々な漢字の「きんこうざん」をこれまで見てきた。

■「錦光山」は存続できるのか

いま、「錦光山」を名乗る人は、何人いるのだろうか。叔父の錦光山和雄によると、京都と首都圏にいる「錦光山」をあわせて「たぶん10人弱」という。結婚で相手の名字に変わる親戚もいたので、減っているのではないかと思う。

以前、叔父と食事した際、「錦光山」姓が存続できるのかどうかが話にのぼった。叔父も心を痛めていて、娘たち(私のいとこ)が結婚を控えていた時期、「錦光山」を名乗れないか、と頼んだことがある、と明かした。当然、娘たちから「そんなこと、結婚間近になって急に言い出さないでよ!」と怒られたという。

叔父はロンドンに赴任していたとき、クリスティーズのオークションで「錦光山」の焼き物に出会って以来、「錦光山」の足跡を本格的にたどり始めた。

取材を重ね、今年、70歳で「京都粟田焼窯元 錦光山宗兵衛伝」という本にまとめた。それだけ、この名字やルーツに誇りを抱いている。

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ただ、絶滅を避けるために、「婿養子」で名字を存続させようとしても、いまどき至難の業だ。以前東北地方に赴任していたとき、「長女」の女性が、「婿を取って家を存続してほしい」という親の求めに素直に従った結果、結婚のハードルが上がり、相手に出会えないまま年を重ねていたのを思い出す。

■たまたま夫が外国人だっただけで...

「錦光山」という名前は、いまや紛れもなく、私の「アイデンティティ」の一つだ。

由来だけでなく、秋の紅葉に彩られた山が浮かぶような、漢字の組み合わせの美しさ。大げさかもしれないが、「錦光山」という名字は「文化財」のようなものだと思っている。その一方で、「錦光山」を名乗る人がいずれ消えるかもしれない、という危機感も抱いてきた。

そして2011年、フランス人の夫と結婚する際、外国籍の配偶者とであれば、ざっくり言えば、法律婚でも

①自分の名字のまま

②相手の名字に変える

③自分と相手の名字を抱き合わせる

ーーのいずれも実現できると知って、とても驚いた。

結局、私は①を選んだ。

留学中にアメリカで産んだ息子はいま、日仏米の3つの国籍を持っているが、日本で名乗る名字と、フランス、アメリカで名乗る名字は違う。出生届を出す際、日本では「錦光山」、アメリカとフランスで「夫の姓+Kinkozan」にしたからだ。

本当は、日本でも「夫の姓+錦光山」にしたかった。でも、出生届を出す際、「夫婦の名字のどちらかに」と言われた。アメリカとフランスではそんなことは問われなかった。

これから先、彼が名字を変えない限り、世界のどこにいても「錦光山」(Kinkozan)を名乗っていく。事実上の「選択的夫婦別姓」があったから、絶滅寸前の名字を少なくとも1代先に渡すことができた。

ホッとする半面、複雑な思いもある。なぜなら、夫婦別姓を望む日本の女性たちの多くが日本人と結婚し、相手の姓に合わせていることを知っているからだ。

日本人同士の結婚なら、どちらかの姓を選ばないといけないのに、たまたま結婚相手が外国人だっただけで、別姓を選ぶことができるなんて。

「ダブルスタンダード」のもとで、選べた自分と、選べなかった人たち。同じ国でも制度のせいで、こんなことが今も続いているなんていいのだろうか。そう思わずにいられない。