思いやりが、ビジネスのメインストリームに躍り出る日

「思いやり」の心を持つことが、あなたの脳に利益を与える・・・と言ったら、なに言ってるの、この人ぉ・・・と、かなりの確率で思われるのではないだろうか。
足成

■思いやりが脳に効く!?

 「思いやり」の心を持つことが、あなたの脳に利益を与える・・・と言ったら、なに言ってるの、この人ぉ・・・と、かなりの確率で思われるのではないだろうか。

 などと想像しながら、勇気を出してこの記事を書いている。

 思いやり、これは英語にするとCompassion(コンパッション)なのだが、実は相当に訳者泣かせの言葉だ。

さまざまな英語の文献に出てくるコンパッション、ときには慈悲、あるいは慈しみ、憐れみの心、同情心などと訳されることもあるが、どんぴしゃな日本語にならない。

 それで仕方なく説明モードになってしまうのをお許しいただくと、

「苦しみの本質を理解し、相手がそこから解放されるように手助けすること」とも言える。

さらに補足すると、「相手の想いを理解すると同時に、それに溺れることなく解決や成長に向かう手助けをすること」

 実のところ、「リーダーシップ」や「コミュニケーション」といった言葉と同様に、座学ではなく実践であることが、大事なポイントだろう。とっても複雑で洗練された理解を要するため、誤解や誤用の落とし穴も多い。

 それはいいけど、何が脳に良いの?とシビレを切らす方がいるといけないので、最新の脳科学が解明しつつある、思いやりと脳の関係を整理しておこう。

 概ねわかっているのは、次のような効用だ。思いやりをもつことによって、あなたの脳は、

●レジリエンス(立ち直る力)

●免疫力

●脳の異なる機能を統合し、高機能にする

 といった能力が強化される。これは具体的には、慈悲の瞑想(メッタメディテーション)と呼ばれる瞑想の実践との相関関係によって、近年の研究で確認されている。

「情けは人の為ならず」(=自分のためになる)というのは、脳のレベルでも言えるということだ。

■思いやりにもとづくリーダーシップ

 であればビジネスの現場でも注目したいところだが、日本では「思いやりの経営」などと表現すると、なんだか生ぬるい話をしているように受けとられるかもしれない。しかし日本よりはるかに血も涙もない経営!?がスタンダードになっていそうなアメリカにおいて、従業員支持率ナンバー1(!)となったCEOが主張する経営の秘訣こそが、コンパッション=思いやり、なのだ。

 以前のブログでもご紹介したとおり、それは、ビジネスに特化したSNSとして成長をつづけるリンクトインのジェフ・ウェイナーで、直近の業績見通しは下方修正されているものの、依然として成長を続けている。

 ジェフ・ウェイナーは思いやりのリーダーシップについて、「それはけっして生易しいものではない」ことを強調している。そして、その生易しいものではないことを実践しつづけることを通して、人が育ち、組織が活性化され、結果として彼はシリコンバレーでもっとも注目されるトップリーダーとなっている。

■しかし本物の思いやりは、かくも厳しい

 かねてよりコンパッションを仕事の現場で実践し、まさに慈悲(彼女の場合は、こう訳すほうがぴったりくる)の体現者となっているのが、ジョアン・ハリファクス老師だ。このハフィントンポストの創設者であるアリアナ・ハフィントン女史をはじめ、多くのトップリーダーのメンターとしても知られる、禅僧にして医療文化人類学者。

 彼女は40年にわたって、死にゆく人々の看取りや医療者・介護者の育成、医療機関や刑務所等での人材育成に携わっている。

 私はニューメキシコ州サンタフェにある老師が主催するUpaya Zen Centerを訪ね、ワークショップに参加させていただく機会を得た。そこで学んだのは、ジェフ・ウェイナーが主張し、昨今多くのビジネスリーダーが注目するコンパッションに関する、本物中の本物の教えであった。

ハリファックス老師は、まやかしのコンパッションに次のように警鐘を鳴らす。

1.賞賛・感謝・相手に受け入れてもらうなどの見返りのためのコンパッションはコンパッションではない⇒災害時パニック状態になった人に怒鳴られながらも救いの手を差し伸べつづけられるだろうか?

2.セルフ・ケアなきコンパッションは「病的利他主義」。自分の心に豊かさやリソースがなければ、コンパッションは成り立たない。⇒多くの苦しみや責務に取り囲まれた時、自分のための休息(瞑想のための時間、トイレ休憩、適切な食事と睡眠など)を許し第一の優先事項とできるか?

3.結果に対して「こうなってほしい」と期待や執着するのはコンパッションではない。結果への期待・執着は相手へのコントロール、思い通りにならない焦燥感を生む。期待・執着を手放し、それでも100%の存在を持ってサポートする。⇒大切な人が悲嘆にくれている時、その苦しみを目の当たりにした自分自身の動揺をなんとかしたいがために、「明るく笑ってほしい。今すぐに!」と思ったことはないだろうか?

4.選り好みのコンパッションは、偽物である。他人の状況は基本的には分からない。全ての人に他人には知り得ない何らかの苦しみがあり、幸せになりたいという願いがある。⇒苦手な人さらには敵対していた人にも、平等な見方ができるか?

5.小さな行為も大きな貢献も、どちらもコンパッションである。上記のハードルを越えようとするだけでも尊いこと。コンパッションも経験によってはぐくむことができる。

■栄光なき思いやりの行為――それでもなぜ、人はそれを選ぶのか

 ここまで心を割いても、見返りも結果も期待しないのがコンパッションなら、なぜそれを選び続ける必要があるのか?ハリファックス老師もダライラマも、コンパッションは人類の永続のために必要不可欠であり、単に心地よい贅沢とは違うと断言する。

 コンパッションとは苦しみの本質を見抜くプロセスであり、それなくして人間は同じ間違いを繰り返し続ける。それは、ビジネスの場でも、国家間の紛争でも、環境問題でも同じことだ。

 誤ちを繰り返し相手を非難しつづける、そんな負のサイクルから抜け出すためには、コンパッションを持ってしかない、とそろそろ多くの人が気づき始めている。LinkedIn CEOジェフ・ウェイナーが経営と人材の主軸にコンパッションを置いたのも、そうだったからではないか。

■コンパッションは知識や感情ではなくアクション

 それでは、この生易しくないコンパッションを育むにはどうしたらよいのか? 50年近い瞑想実践者であるハリファックス老師は、「自己認識を高めること」と言う。

 自分の身体と心に何が起こっているか、即座に気づく力――そこに見返りを求める心はあるか、結果への執着は、自分の価値と合っているか、憶測だけで相手の状況を決めつけていないか、などに気づく力がまやかしのコンパッションを突き抜けて、苦しみと問題の本質を捉える。

 4日間のワークショップを終えて、サンタフェ空港で飛行機を待つ間、目の前の車いすの男性が、「財布の落とし物を見つけたんだけどどうしたらいい?」と言っている。何とかしなきゃとあたふたしている私を、隣の女性がすぐさま「空港セキュリティを呼びましょう。中を開けて持ち主の名前を確認しましょう。」と迅速にフォローしてくれた。 

 日本人的な「手伝ってあげたい。でも目立ちたくない」という気持ちが、私のあたふたした態度になったのだ。わかっていたものの私自身のコンパッションの道のりは長くて遠いと痛切に感じたのだった。

(一般社団法人マインドフルリーダーシップインスティテュート理事 木蔵(ぼくら)シャフェ 君子)

関連動画 TEDWoman2010 ジョアン・ハリファックス「慈悲そして共感の真の意義について」

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