コンテンツの作り手は質をどう担保するか? マーケティングに学んだデータの重みと客観の難しさ

マーケティングの仕事で学んだことは、ジャーナリズムにもつながっていた。林さんは、メディアに期待する役割を「きっかけを作ること」と語った。

2万人が登録するクリエーターネットワークをベースに、様々なデザインや事業提案を手がける企画制作会社「ロフトワーク」代表取締役の林千晶さん。自社内にオープンな学びの場を設け、3Dプリンターを体験できる「ものづくりカフェ」も開いている。誰もが簡単に情報発信できる時代に、コンテンツの作り手は質をどう担保するのか、メディアに求められることは何か--。化粧品会社のマーケティング担当から通信社の記者を経て、今、ネットを使って活躍する林さんが見つめる「メディアの未来」は......。

●花王で学んだ「データ」と客観へのこだわり

林さんは大学卒業後に花王に就職し、希望通りマーケティング部の配属になった。マーケティングに興味を持ったのは、それが「生活者のニーズと企業の提供できることをつなぐ仕事」だと感じたからだ。きっかけは、大学時代に次々と発売された「午後の紅茶」や「お~いお茶」などのお茶飲料。それまで、お茶は家で飲むものでお金を出して買うものではなかったが、お茶飲料は急速に市場を広げた。「優れたイノベーションとは、それが登場すると『当たり前』になり、それまでなかったのが不思議に思えるもの」。消費者が意識しない「隠れたニーズ」を掘り起こす側に回りたいと思ったという。

〝ビッグデータ〝などの言葉もない時代だったが、花王では「自分がどうしたいかではない。人々は何を求めているか。技術を見よ、データを見よ」とたたきこまれた。早朝に出社し全国の店舗から寄せられるデータを分析して、毎日8時半から始まる会議に臨む。全ての発言がデータをもとにすることが求められた。

一方で、マーケティングの「起点」となる仮説は、一人称の主観から始まる。世の中の人々が、これから求めるものは何か。「隠れたニーズ」を主観で設定し、市場調査を踏まえて、それが1年後、2年後に市場として育つかを予測し、商品開発やプロモーションを仕掛けなくてはならない。「遅いのはもちろん、早過ぎるのもダメ」なマーケティングの世界で、「自分の主観と社会とがどれほどズレているか、その距離を測る」ことが求められた。

●「自分がどれほど主観的か」を意識できるかがカギ

入社から3年。仕事は順調で大きなプロジェクトを担当する話もあったが、そのまま会社につかっていくことに不安もよぎった。「もっと広い世界、異なる価値観を見なければ」と思い立ち、何も考えずに会社を辞めた後、ボストン大学大学院ジャーナリズム学科へ留学した。卒業後、共同通信ニューヨーク支局のアシスタント記者になった。

マーケティングの仕事で学んだことは、ジャーナリズムにもつながっていた。大学院では、「真実はない。あるのは事実だけ」と教えられた。でも、感情や解釈を抜きに客観的事実だけ伝えると、受け手は内容を認識できない。経済記事には「データで語れる」可能性も見えたが、善悪の判断が必要とされる事件などの記事には難しさを感じた。

主観と客観とのつきあい方は、花王時代に学んだ「自分と社会とのズレを意識する」ことと重なった。林さんは「自分がどれだけ主観的か」ということを強く意識するという。「たとえば、選挙の結果報道を見て感じる違和感。自分がいる世界は、マスメディアの報じる世界とは違う世界ではないかとさえ映る。ジャーナリストは『自分が見えている世界がどれだけ客観と離れているのか』を常に意識しなければならない。ジャーナリズムやメディアは難しい」

●メディアに求められるのは「受け手が考えたくなる」問いかけ

そうしたなかで、林さんは「伝えたいことがあるとき、受け手がその意味を『考えたくなる』かたちで情報発信できたら」と思うようになった。

その一つの解として、「Safecast」の事例を挙げる。東日本大震災後、原発事故周辺地域で個人に測定装置を渡して放射線量を測り、1800万カ所以上の放射線データを集積。Google Mapsでリアルタイムのモニタリング結果を表示した取り組みだ。

当時、国の「安全」宣言が報じられるなか、「本当に安全なのか、信頼できる情報が欲しい」というニーズは高まっていた。「安全かどうかの判断は、人によって異なる。赤ちゃんを生んだばかりの母親は、わずかでも『危機』と感じる。でも、交通事故と危険率は変わらないと思う人もいる」。大事なのは、判断のプロセスを共有することだと林さんは言う。Safecastの取り組みは、小さなデータが多く集まることで、そうした判断材料を提供したと考えている。

従来、「感情や解釈が入らない事実」だけを伝わるように伝えるのは難しかったが、林さんは、このSafecastの事例に新しいメディアの可能性を感じているという。「テクノロジーを使うことで、人が認識しづらい『事実』の理解を助けてくれる。結論に至る前のプロセスを提供することで、新しい問いも生まれてくる」。林さんは、メディアに期待する役割を「きっかけを作ること」と語った。

●プロフィール

林千晶 (ロフトワークの共同創業者、代表取締役)

2万人が登録するクリエイターネットワークを核に、新しいクリエイティブサービスを提供する同社を2000年に起業。Webデザイン、ビジネスデザイン、コミュニティデザイン、空間デザインなど、手がけるプロジェクトは年間500件を超える。学びのコミュニティ「OpenCU」、デジタルものづくりカフェ「FabCafe」などの事業も展開している。MITメディアラボ 所長補佐、グッドデザイン審査委員、経済産業省 産業構造審議会 製造産業分科会委員も務める。1971年生まれ、アラブ首長国育ち。早稲田大学商学部、ボストン大学大学院ジャーナリズム学科卒業。

2015年1、2月開催の朝日新聞社・未来メディア塾「イノベーション・キャンプ」で、審査員(アドバイザー)を担当。