妊娠がわかってすぐに大学3年生になった。
私は親に言うよりも早く大学のお世話になっている先生方に報告した。
先生方の反応はほぼお祝い一色。
一つだけ問題があったのは、彼の夏からの交換留学がすでに決まっていたことだった。
辞退するのか、私も一緒に留学について行って海外で産むのか、選択しなければならなくなった。
先生、先輩、学生部、何人にも留学について聞いた。
しかし私には海外で産むということに不安しかなかった。
頼れる人も周りにいない中で初めての出産、子育てをすることは想像がつかなかった。
できれば日本で産みたい、その方が安心。
しかし彼が留学に行くと決定するのであれば付いて行くしかないと思っていた。
ふたりで妊娠、出産、子育ての流れを共有して、共に楽しみ成長すること、それが1番大事にしたいものだった。
これと同時並行して考えていったのが親への報告と説得だ。
私は母には言い出せず、まず父にこっそりと言った。
「妊娠した。」
どんな顔をするのかなと思ったら、意外にも笑っていた。
のちに聞いたところによると、驚きすぎて笑うしかなかったらしい。
母には父から伝わった。母に伝わってからの日々が大変だった。まずは会話を拒否された。
「話しかけないで。今忙しいの。」
辛かった。
そして苛立った。
おそらく大学生の子供が妊娠したという事実をなかなか受け入れられなかったのだろう。
母は30代で私を産んでおり、バリバリのキャリアウーマンだった。
そして自らの考えを強く持ち、その考えに従わなければ怒られた。
当時の母の考えは、学生で子供を育てる=自分のやりたいことをあきらめる、というものだった。
「子供のためにやりたいことやめるの?子育てするなら退学すれば?学生なんだから子供なんて作らないで学業しなさい。なんであんな人と結婚するの?ここまで大切に育ててきて信じてたのに!」
様々な言葉を浴びせかけられた。
私は、専業主婦になるつもりも、学業をやめるつもりもなかったから諦めることはひとつもなかった。
それよりも一つの新しい物事にチャレンジできるチャンスだとも思った。
言ってしまえば、好きな人と一緒にいられて、かつ、とても大事なライフイベントを共に体験していけるということに喜びさえ感じていた。
唯一断念したことといえば、ハワイへの留学計画がすぐに実行できなくなっただけで、それもいつかすればいいやと思っていた。
どんな言い合いをしたかあまり鮮明には覚えていない。
「なぜその道を選ぶの?理解できない。」
「私の価値観はお母さんとは違う!」
この繰り返しだった。
険悪な雰囲気の毎日が過ぎていく中で、母は次第に、子供を産むことについては私の意志の強さに折れるしかないと悟っていったみたいだった。
父は話し合いの蚊帳の外にいた。しかし、しばしば私を慰めてくれていた。
ただ、彼の留学についていくことだけは両親ともに絶対反対だった。
そして今後の話し合いをするべく、彼と私と親の顔合わせの日々が始まった。
文:柳下桃子