「不確実性の時代」に入ったタイ タクシン時代の終焉と新たな治世の始まり

新国王が左右する国の行方 赤いマグマはくすぶり続ける

2017年10月30日、タイは新しい時代を迎えた。

前年の10月13日に88歳で亡くなったプミポン・アドゥンヤデート前国王(ラマ9世)の荘厳な葬儀が前日に終わり、1年に及んだ喪が明けた。近く執り行われるワチラロンコン国王(ラマ10世)の戴冠式をへて名実ともに新たな治世が始まる。

日本でもおそらく再来年には天皇が退位し、平成から新たな時代に入るが、タイの代替わりは政治的、社会的、あるいは経済的に、日本とは比べものにならないほどの大きな影響を国民に直接与える。国王次第で世の中が様変わりする可能性があるからだ。前国王の時代が70年続いたため、ほとんどのタイ国民にとっては初めての経験であり、期待以上に不安感が強いように見受けらえる。

◆新国王の動きに身構える軍

5日間に及んだ葬儀は絢爛豪華な一大絵巻のごとく展開された。前国王の遺体は26日に荼毘に付され、29日に王宮に納骨された。この間、王宮周辺は黒と原色が交錯した。王宮前広場(サナムルアン)に特設された黄金色の火葬場を強い日差しが照らした。騎馬兵に先導された金色の山車、英国風の近衛兵の赤い制服と国花ゴールデンシャワーの黄色い花束・・・。

他方「最後のお別れ」を惜しむ人々は一様に黒い装束に身を包み、カメラマンや報道陣にも喪服の正装が義務づけられた。炎天下、私も黒装束で行列を待った。ボランティアが飲料水やジュース、冷たいタオルを差し入れてくれても、滝の汗が下着をつたう。人々は忍耐強く前国王の肖像を抱え、隊列が通りかかると涙した。逝去から葬儀の前まで王宮で受け付けた一般弔問客は1300万人近くに上った。火葬された26日には20万人以上が王宮前に押し寄せた。

中所得国入りを果たしたものの、人件費の上昇や技術革新の遅れで成長が停滞する「中進国の罠」に陥って久しいといわれるタイだが、長いスランプを経てGDP成長率は今年3%台後半を記録しそうだ。服喪期間が終わり、個人消費は上向きつつあり、首都バンコクではコンドミニアムや商業施設の建設ラッシュが続く。それでも国の将来はどうなるかと水を向けると、口を濁す人が多かった。考えたくないという人もいた。

立場の違えはあれ、「不確実性の時代」の到来を誰もが感じているようだ。ガルブレイスの著した経済史的文脈ではなく、政治的な不透明さが将来を見通しづらくしているという共通認識だ。新しい時代の中心には新国王がいる。その一挙手一投足を固唾を飲んで見守るのは何より、権力を掌握している軍だ。

◆タクシン時代は終わりか?

タクシン元首相派政権を崩壊させた2014年のクーデター以来、タイは軍事政権下にある。この間、軍のシナリオ通りにコトは進んできた。クーデターの大義名分は、タクシンと反タクシン派の長年の対立を収めるというものだったが、前国王の病状が深刻化するなか、代替わりの時に軍が事態を掌握していることが大きな目的だったとみられる。

過去繰り返されたクーデター後の民政移管手続きに比べても、今回は選挙の実施時期を延ばしに延ばした結果、前国王の逝去から葬儀までを軍が実際に取り仕切ることができた。その間、将来の改正が困難な不磨の大典のような憲法をつくり、総選挙後も5年間は権力を握り続ける体制を築き上げた。

対外的にも軍政には追い風が吹いた。オバマ時代の米国はクーデターを批判し、軍事援助を凍結した。しかしトランプ政権は一転してこれを解除、プラユット首相の訪米を受け入れ、首脳会談で歓待した。米国の政権交代に加え、民主化や人権擁護を無視する中国の影響力がアジア全体で増すなか、カンボジア、マレーシア、フィリピンといった周辺国の政権も権威主義的な動きを強めているため、タイ軍政の強権的政権運営が相対的に目立たなくなっていた。

国内では、政権の座から降りても根強い人気を誇るインラック前首相を、在任中のコメ担保融資政策で国家財政に損害を与えたとして職務怠慢罪で訴追した。インラック氏は判決直前に国外逃亡したが、厳重な警備をかいくぐれたのは軍の意向、少なくとも暗黙の了解があったと疑われている。いずれにしてもタクシン氏に続いて妹のインラック氏が国外脱出したことで、21世紀初頭から続いた「タクシン時代」の終焉も指摘されている。

◆鶴の一声の破壊力

対外関係が順風となり、主要な政敵が国内にいなくなったことで、軍にとっては盤石の体制が完成したはずだ。ところが、これを覆す可能性がひとつだけ残っている。「国王の鶴の一声」だ。軍や軍出身者が中枢を占める枢密院、官僚、王党派とされる人々も新国王と十分な意思疎通ができているようにはみえないところが、将来の予測を難しくし、政治・社会の不確実性につながっている。

即位間もない新国王は1月、軍政が練り上げた新憲法案のうち、摂政を置かずに国王が海外に出られるよう条文の修正を求めた。皇太子時代から息子の住むドイツを頻繁に訪れてきたが、条文改正で、海外に滞在中も権力を持ち続けることが可能になる。さらに憲法に明文規定がない事態への対処を憲法裁判所長官らの合議体の判断に委ねるという条文の削除を要求した。非常時に国王が政治介入する余地を広げる修正と解釈されている。

憲法案は非議員の首相を認め、施行から5年間、軍が上院議員を選任するなど政党や政治家の弱体化をめざす非民主的なものだと批判を浴びながらも、国民投票で多数の賛同を得た。これが新国王の意向で 変更され、4月6日、公布・施行された。

続いて5月、政府に属していた王室事務局と王宮警察を国王の管轄下に置く法律が制定され、人事権や収入が国王に移った。経済誌フォーブスが世界で最も裕福な王族と認定するタイ王室の財産が国王の意思によって運用されると明記する法改正が7月に国会を通った。王室財産局のトップの任命権も国王が握った。

国政上の重要な変化だが、審議の過程はほとんど公開されず、施行日に申し訳程度の報道がなされただけだった。国王の権限が突然大幅に強化された事実についてほとんど知らされていない国民の多くは一方で、ドイツ滞在中にショッピングする新国王のただならぬ姿をYouTubeで見ている。

◆「一発逆転」への期待

タイでは過去、社会に大きな対立があるとき、必ずしも選挙や司法がそれを解決してきたわけではない。1970年代以降、プミポン前国王が仲裁や調停を担ってきた。

今世紀に入り、政局は、有権者の多い東北部・北部の農村部や都市貧困層を支持基盤とするタクシン派(赤)と、軍部や司法、官僚といった既得権層、都市中間層を中心とする反タクシン派(黄)の激しい対立を軸に展開してきた。前国王も病状が悪化した晩年には調停力を失い、度重なる流血の争いを収めることができなかった。

14年のクーデター以来、軍が力と不敬罪でタクシン派を抑え込む状態が続いているが、今後、新国王の立ち位置によっては状況が大きく変わることもありうる。

政治にはかかわらない日本の象徴天皇のような立場を選択することも本人の自由だ。しかし憲法案修正の経緯などをみると、その道を選ぶ可能性は小さそうだ。前国王のような調停役を務めることも難しい。そうした役割を支えたのは、前国王の徳に対する国民の敬愛であり、次の治世に引き継げるものではない。

プラユット首相は「平穏な状況が続けば、来年11月には総選挙を実施する」と話している。タクシン派は今世紀の選挙で全勝してきたが、現在国内に有力な指導者を持たず、選挙制度も不利に変えられた。タクシン家のメンバーのほか、主要なリーダーは拘束されるなどで動きを封じられている。

政治活動の再開が認められた時、選挙運動だけでなく、かつてのように街頭に集結する力が残っているか。新国王の戴冠時に出されるであろう恩赦にタクシン、インラック両氏が含まれる「一発逆転」に期待をかける向きもいる。他方、代替わりを乗り切った軍内部も人事をめぐる派閥間の駆け引きがあり、王党派も一枚岩とはいえない。新国王との間の取り方に軍も枢密院も苦心しているようにみえる。

微笑みの国はいま、混沌とした不確実性のなかにある。

柴田直治

注目記事