ハリウッド・イン・(East)Germany

ロケ地になったホテルはまだハンガリーにあるのだろうか、と思っていたら、映画のロケ地は旧東ドイツのはずれの街、ゲルリッツであった。

今年のアカデミー賞で、プロダクション・デザイン、衣装など四部門で最優秀賞、そしてベスト・ピクチャー、編集部門、オリジナル脚本賞など5つの部門でノミネートされた映画「グランド・ブダペスト・ホテル」は、最近の映画の中でも映像が抜群に美しく、豪華キャストで細部にわたり凝った映画だ。

東欧の豪華ホテルで繰り広げられる人間ドラマを、かつてベル・ボーイ(見習い)の"ゼロ"・ムスタファが、過去と未来を去来しながら語る。師匠と仰ぐ伝説のコンシルジェ、「グスタフ・H」は最高級のおもてなしを志し、富裕な熟女マダムたちから人気がある。そんなある日、ひいきのマダムが何者かによって殺害される。マダムの遺産をすべて我が物にしようとした息子は、ムシュー・グスタフが高価な美術品を相続したことが気に入らない。犯人の嫌疑をかけれたグスタフはゼロを伴い、逃亡する。名優レイフ・ファインズを主役に、オムニバス方式の映画を撮る名手、ウエス・アンダーソン監督の長編作だ。シリアスな役が多いファインズが、古式ゆかしきコンシエルジェの風格を保ちながらも、ゼロと繰り広げるコミカルな演技は絶妙だった。

それにしてもロケ地になったホテルはまだハンガリーにあるのだろうか、と思っていたら、映画のロケ地は旧東ドイツのはずれの街、ゲルリッツであった。ポーランド国境でもあるナイセ川に面したゲルリッツは、川を隔てたズゴジェレツの街と1945年まで歴史を共有するひとつの街であった。17世紀、三十年戦争でザクセン公国の一部となったが、1815年のウイーン会議でプロイセン王国の一部となり、1945年、ドイツの敗戦でポーランドとの国境がオーデル・ナイセ川に定められたため、ゲルリッツの西側はドイツの街として残り、東側がポーランド領にと、街は分断された。

第二次世界大戦の戦渦を逃れたゲルリッツは、500年前から建設され、およそ4千棟の建物が文化財保護の対象となっている。石畳の道、昔ながらの中庭、旧式の市電なども残っており、風情あるドイツの街並みを古いままに残している。

近年、ゲルリッツはハリウッドに映画ロケ地として注目され、ジャッキー・チャン主演「80日間世界一周」(2004年)、「朗読者」(2008年)、「イングロリアス・バスターズ」(2009年)、なども一部、旧市街で撮影された。今春はエマ・トムソン主演の「ベルリンでただ一人」(公開日未定)がゲルリッツで撮影される予定だ。街の住民からはエキストラが募集され、600人が応募している。「ベルリンでただ一人」は、ドイツ人作家、ハンス・ファラダ(1893-1947)の作品で、ベルリンに住むごく普通の夫婦が第二次大戦中、息子の戦死を機に反ヒットラーのレジスタンスとなるという設定である。

さて、「グランド・ブダペスト・ホテル」の内装ロケは、ゲルリッツにある元デパートで撮影された。1913年の豪華なデパートを建てたのはあるユダヤ人の商人だった。19世紀末から20世紀にかけてゲルリッツには700人ほどのユダヤ人が住んでいたが、ナチスにより強制収容所に送られ、ユダヤ人コミュニテイーはもう存在しない。

20世紀初めの豪華な内装から戦後の社会主義風な内装を、時代ごとにすべて入れ変えた映画プロダクションはさすが、アカデミー賞を受賞しただけある。ステンドグラスの天窓、ホールが五階分ほど吹き抜けのアールヌボー風の建物はヨーロッパでももうあまり残っていない。百年前の歴史的建物を維持するためにはかなりの費用がかかり、長らく「空き家」であった。現在の所有者は、ドイツ人投資家で、医療機器で富を得たヴィンフリード・シュトッカー氏である。

実は、昨年末から、シュトッカー氏がある新聞と行ったインタビューが、物議をかもしている。このゲルリッツの"名物デパート"は今のところロケ以外に用途が決まっていないため、難民のための催しを行いたいとある団体が問い合わせたところ、シュトッカー氏はむげに断ったという。

シュトッカー氏は地方新聞で「ドイツの難民法を濫用する人々のことは支持しない」と語り、「大量の難民は歓迎ではない」、「旅好きのアフリカ人("ネガー"という蔑称も使用)はボートに乗って移住しようとするべきではない。国に留って自分たちの国をよくすることに努力しろ」と続けた。さらに、ドイツへの難民が増加していることに関して、「すでにイスラム教信者たちは国(ドイツ)の中に国を作ろうとしている。あと50年もたてばゲルリッツの聖母教会やケルン大聖堂のてっぺんに(イスラムの象徴である)三日月があるかもしれない」と外国からの難民受け入れに対して、反対の姿勢をとった。

リューベック大学の名誉教授職にもあるシュトッカー氏の発言には、大きな反響があった。ゲルリッツのプロテスタント教会はシュトッカー氏の外国人に対する差別的発言を批判し、リューベック大学の学生団体は名誉職からはずすべきと主張したほか、リューベックの地元政治家たちもシュトッカー氏を批判。一方、ネットではベルリンの極右政党の党首がフェースブックで彼を支持するサイトを作り、三ヶ月あまりで6千人以上が「いいね」ボタンを押している。

氏は即刻、インタビューの内容を撤回する謝罪文を発表。自分が経営する会社には50カ国から来た従業員が雇われ、妻は中国人であると述べ、「外国人と共存していること」をアピール。かつてシュトッカー氏自身も旧東独から西へ逃げてきた「難民」であった。しかし、「ネガー」という蔑称を使うことに対しては、「表現の自由」に基づき、今後も使うと公言した。

氏の発言に対して、トルコ系、アフリカ系の団体、および高校教師など複数の人々は「民衆扇動の罪」でシュトッカー氏を訴え、目下、ゲルリッツの検察庁は、シュトッカー氏を「民衆扇動の罪」で捜査中。ドイツでは、公の場で特定の人種への憎悪、ナチスの礼賛、ナチス風敬礼、ホロコーストの否定など、いわゆる「ヘイトスピーチ」は刑法で罰則の対象となり、罰金、あるいは最長で5年の禁固刑を科せられる。

一方、ドイツ統一から25年が過ぎた現在、外国人への暴力は、旧東独の州で多い。特に昨年、東南部のザクセン州では、外国人が襲撃される事件が前年に比べて90%増えている。

背景にはコソボやシリアなどの国々からの難民申請者が増えており、昨年は20万人を超え、難民への風当たりが厳しくなっていることがある。もっとも、ゲルリッツにはドイツ領であったズデーテン地方(ポーランド、チェコ)を追われたドイツ難民が戦後、多数、流入してきたことがあった。

地元警察は警備を強化し、難民や外国人の安全を守るため、市民団体も団結しているが、残念なことにドレスデンからゲルリッツまでの地域は最もネオナチが多い地域と知られるようになり、旧西ドイツから訪れる人は少ない。せっかくハリウッドに注目され、ドイツで最高の映画ロケ地、「ゲリウッド」を自称して街の美しさをアピールしているのだから、安心して外国人が訪れられる街であってほしい。

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