ミュンヘンはカラフル

9月からの難民流入でメルケル首相への批判が強まっている中、ミュンヘンでは11月9日、右派による「反難民・反外国人デモ」が市民や警官らによって阻止された。

ドイツで「水晶の夜」といえば、1938年11月9日、ナチスの暴徒が全国のシナゴーグやユダヤ人の経営する店を襲い、火をつけた日を指す。ショーウインドーの窓ガラスが粉々になったことで、水晶の夜と名づけられた。ユダヤ人へのヘイトスピーチは、やがて財産没収、虐殺へとつながっていった。

このため、戦後、11月9日は暴力によってユダヤ人の人権が踏みにじられた日として、追悼の日となっている。

9月からの難民流入でメルケル首相への批判が強まっている中、ミュンヘンでは、この日、右派による「反難民・反外国人デモ」が阻止された。

かつてヒットラーが反ユダヤ・反外国人への演説でナチス発祥の地となったミュンヘン。右翼的なデモ隊(予想された数をはるかに下回るわずか百人)が街の中心部へと繰り出そうとしたところ、外国人との共存を訴える「ミュンヘンはカラフル」(München ist bunt)などの団体をはじめ、一般市民3千人と2千人の警官に阻まれ、右派によるデモは途中で解散するという事態になった。

反右翼集会に、三千人の市民が集まった

ミュンヘンのオペラ劇場から遠くない街の中心部、オデオン広場には過去への警鐘として、外国人排斥があってはならないと、大勢の市民が、集まった。「難民歓迎」の垂れ幕を持っている市民もいるれば、社会民主党(SPD)、左翼のリンケ党などの旗、サービス業の最大労組であるヴェルデイー(Verdi)の垂れ幕もあった。ドイツは労働力が不足していることから、「難民は将来の労働力になる」と、商工会議所や労働団体をはじめ、経済界も難民流入を支援している。

ドイツ最大の労組、ヴェルデイーも難民を歓迎している

「ミュンヘンは(さまざまな人種が共存するという意味で)カラフル、(ナチスの)茶色ではない! へイトスピーチや人権を踏みにじろうとする動きにはあらゆる力で抗する覚悟です!」と壇上にあがった市長は拍手や声援で迎えられた。街の象徴でもある場所で、右翼的な集会ができないよう、ミュンヘン市も外国人を歓迎する集会の主催者「ミュンヘンはカラフル」を支援している。

「さまざまな人種がいることはよいこと」

とはいえ、見知らぬ外国人を大量に受け入れることに戸惑いがないわけがない。ある市民が言う。

「子供の頃、敗戦で旧ドイツ領を追われてきた難民が近所に大勢、住んでいたことを思いだした。ドイツ人の難民でさえ近くに住むことは不安だった。宗教も異なり、ドイツ語を話さない難民が大量に入国することは確かに不安だ。だからこそ、早めにドイツ語を習わせ、教育や職業訓練を受けさせ、社会に溶け込めるように手助けすることが急務だ」

現在、ドイツでは難民施設が襲撃されるケースが増えている。特に外国人の居住率が低い、東の州では反イスラムを叫ぶ運動が活発化している。東の州では失業率が高く、景気が低迷している地域が多い。這い上がれないドイツ人たちは将来の不安にかられている。一方、ミュンヘンの住民はいまや四人に一人が外国人。「これだけ経済的に豊かになったのだから困窮している人々を助けるのは当然の義務」という気持ちが強い。

しかし、難民流入反対派の怒りをどのように鎮めながら、今後、難民を社会に取りこむべきか。今こそメルケル首相をはじめとする政治家たちの手腕が問われている。

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