異常ホール効果を利用した、不揮発性メモリーの新しい記録技術開発

それを実証したのは、今回が世界初。

電流を流す配線部に安価でありふれた鉄系の磁石を使うことで、記録書き込みエラーが極端に低くなる新しい「面内電流型磁気メモリー」を作製することに、国立研究開発法人産業技術総合研究所(以下、産総研)スピントロニクス研究センターの久保田均総括研究主幹らの研究チームが成功した。

配線部を磁石にすることで発生する異常ホール効果で、記憶層の磁化の変化の確実性が高まり、記録の信頼性が高まることは、理論的には予言されていた。

が、それを実証したのは、今回が世界初。省電力で、安価な不揮発性の磁気メモリー(MRAM)の実用化につながる成果で、2018年1月に創刊されたNature Electronics 2月号に掲載された。異常ホール効果を利用して磁化を確実に制御できることを提唱した谷口知大主任研究員、それを実証した論文第一著者の飯浜賢志さん(日本学術振興会特別研究員)に研究開発の狙い、経緯、今後の展望について聞いた。

産業技術総合研究所スピントロニクス研究センターの久保田さん(右)、飯浜さん(中)と谷口さん

―― まずは、スピントロニクス研究の現状を伺います。

谷口氏: スピントロニクス研究というのは、一言でいうとナノメートルサイズの磁石を使って、メモリーなど電子デバイスを作ることを目指す研究です。磁石はご存じのようにN極とS極(磁化)があり、この向きを制御することで0と1を記憶させたのが磁気メモリーになります。コンピューター、スマートフォンなど多くの電子デバイスのCPUのメモリーに使われるDRAM(ディーラム:Dynamic Random Access Memory)に対し、磁気メモリーはMRAM(エムラム:Magnetic Random Access Memory)と呼ばれます。

―― どんな構造なのですか?

谷口氏: さまざまな構造がありますが、現在広く研究されている磁気メモリーの核心部分は、磁気抵抗(TMR)素子です。基本的にはナノサイズの2つの磁石(強磁性体)の間に1nmほどのごく薄い絶縁層を挟んだ三層構造となっています。磁気抵抗というのは、磁石を流れる電流の電気抵抗が、磁化の向きによって変化する性質です。素子の上と下の磁石の磁化が同じ方向ならば、電気抵抗は小さくなり、流れる電流は大きくなります。一方、磁化が逆方向を向けば、抵抗は大きくなり、流れる電流は小さくなります。磁化が同じ方向なら「0」、逆方向なら「1」として記憶し、下部の磁石の磁化を一定に保ち、上部の磁石の向きを外部磁界やスピン注入(後述)によって変えることで、記録を出し入れするのです。実は、この素子の絶縁部に酸化マグネシウムを使うと、出力電圧が極めて大きくなることを湯浅新治センター長が2004年に発表し、世界的に注目されました。今ではこの酸化マグネシウムを使うのが世界の主流です。

図1:今回作製した面内電流型磁気メモリーの模式図

電流を流す配線部に鉄系の磁石を使い、記録層にスピンを注入して情報を書き込む(左)。その素子を使った大容量メモリーのイメージ図(右)。

―― 磁気メモリーの利点はどこにありますか?

谷口氏: DRAMは、電源を切ると記録がなくなってしまいます。このため、常時電流を流すことになり、消費電力が大きくなります。スマホなどの電池がすぐなくなってしまうのも、これが原因です。しかし、MRAMは電源を切っても磁化の向きは変化せず、記録を保持することができます。こうしたメモリーを不揮発性メモリーといいます。MRAMには、省電力な不揮発性のほかに、何度書き換えても劣化しない、高速動作など、優れた性質があります。これまで、いくつかのMRAMが開発されてきました。磁化の向きが面内水平である4kbの「STT-MRAM」(スピン注入型MRAM)を、ソニー(株)が2005年に世界で初めて開発。2008年には、磁化が磁石層に垂直な「垂直磁化STT-MRAM」を(株)東芝、産総研などのグループが世界に先駆けて開発。このように、日本勢が強い分野であり、今では、米国などの企業が大容量化に成功しています。

図2:面直電流型(左)と面内電流型(右)素子のイメージ図

面直型は、抵抗の高い酸化マグネシウムの絶縁体を挟んだ素子に直接電圧をかけていた。面内型は素子の下層(非磁性材料)だけに電流を流すことで上層の磁石に記録する。

―― 今回の研究の経緯を説明してください。

谷口氏: TMR素子は、先ほどお話したように磁石の間に絶縁体を挟んだまま、上下の電極から電圧をかけ、磁化を制御しています。これを「面直電流型」といいますが、大容量化のために薄膜のサイズを小さくしていくと、絶縁部が破壊されるなどして書き込みエラーが出やすくなる問題がありました。それを解決するため、従来の構造の下に金属で通電性の高い非磁性材料を敷き、その非磁性体だけに電流を流したらいいのではないかと考えました。これが「面内電流型」です。こうして、新たな視点の研究が始まりました。 非磁性体に電流を流すと「ホール効果」が起きます。ホール効果とは、非磁性金属に電流を流すことで電流と磁界に直交する向きに電子が移動する現象です。上部に磁石があるので、非磁性体に電流を流すとホール効果で磁石に電子が入ります。これがスピン注入です。

―― スピン注入をもう少しご説明いただけますか。

谷口氏: 電子には電気を担う電荷という性質の他に、小さな磁石としての性質があります。これをスピンといいます。金属に電気を流すと電荷だけでなくスピンも流れます。これをスピン流といいます。この注入されたスピンによって記録層の磁石の磁化を制御しようというのが、面内電気型の発想です。こうすれば従来の素子には電圧がかからないので、破壊されることがありません。しかしながら、この構造でも問題は解決されませんでした。

図3

配線部に非磁性材料を使った磁気メモリーでは、スピンを注入しても記録層の磁化が上向きから下向きに反転できず、横向きで止まってしまい、書き込みエラーが生じていた(左)。配線部に磁石を使うと、記録層の磁化が完全に反転し、エラーが生じにくい(右)。

―― どういうことでしょう?

谷口氏: 実は、面内電流型からスピンが注入されても磁化を確実に制御できなかったのです。磁化を変え、メモリーを正確するには、向きを180度反転させることが重要です。ところが、非磁性体材料では磁化が上向きから変化するとき、完全に下向きにならずに横向きで止まってしまったのです(図3)。これでは情報の書き込みが不確実で、読み込み時にエラーが発生してしまいます。これを解消しようとしたのが、今回の研究の前提です。産総研は、面内電流型の研究に取り組んでいる米国の国立標準技術研究所、およびフランスの国立科学研究センターと共同研究を2014年にスタートさせました。その中で生まれたのが、下の配線部の素材を磁石に置き換えるというものです。

―― それを谷口さんが予想されたのですね。

谷口氏: その通りです。下の材料を磁石に置き換えると確実に磁化の向きを制御できることを理論的な計算で予言し、2015年に発表しました。磁石でも、非磁性金属と同じように電流を流すと、電流と磁化の方向に直交する電圧が発生します。この現象は、非磁性体のホール効果と区別する意味で、「異常ホール効果」と名付けられています。

―― ホール効果と何が違うのでしょうか?

谷口氏: 非磁性体のスピン・ホールでは、注入するスピンの方向は変えられません。下の素材から上の磁石に注入する場合は、横向きのスピンの電子しか注入できないのです。そのため、記録層の磁化の制御が十分でなかったと考えられます。一方、強磁性体(磁石)の場合、理論的には、異常ホール効果によって注入されるスピンの向きは、強磁性体の磁化の方向によって制御できることが確かめられました。これが本当なのか、実際に応用できるのかを示すには実験で確かめなくてはなりません。

―― その実験を担ったのが飯浜さんなのですね。

飯浜氏: 私は、もともとは東北大学で、磁化のダイナミクスに関する研究を行ってきました。2年前から日本学術振興会の博士研究員となり、産総研でスピン異常ホール効果を用いたスピン注入の実験に携わってきました。試行錯誤の連続でした。最初は、プラチナマンガン、コバルト鉄、コバルト鉄ボロンなどの多層構造の強磁性体薄膜で、異常ホール効果によってスピン注入されるか実験しました。ところが、強磁性体の薄膜に電流があまり流れず、スピンの注入は全く検出できませんでした。

―― 失敗ということですね......。

飯浜氏: そこで、強磁性体に電流が流れやすいようにコバルト鉄ボロン、銅、コバルト鉄ボロンのシンプルな素子構造にして電流が流れやすいようにしました。しかし、2つの強磁性体、つまりスピンを注入する層、受け入れる記録層の性質が似ていて、固有の共鳴周波数が近かったため、狙った実験をすることができませんでした。

―― 共鳴とはどういうことですか?

飯浜氏: 同じ振動数に反応する2つの音叉(おんさ)の一方をたたいて振動を加えると、もう一方の音叉も振動し大きな振動(音)になります。また、長さが同じ2つの振り子の片方を揺らすと、もう片方の振り子も揺れだし、やがて大きく振れるようになります。このように、物体が特定の振動(固有振動数)を外部から受けて大きく振動する現象を、共鳴といいます。磁石の場合も同様のことが起こります。磁石に交流電源による交流磁界(交流電流のように周期的に変化する磁界)を当てると、磁化の向きが磁界の向きに振動します。この時、交流磁界が特定の値になると、弱い磁界の変化でも磁化の向きが大きく振れます。スピンが注入されると、それによって磁化の変化が起こります。2つの強磁性体の共鳴現象がそろわなければ、スピンが注入されたことを観測できるのです。

図4:谷口さんの予想を証明するために使われた、飯浜さん作製の薄膜素子

配線部にコバルト鉄合金の磁石を、記録層にニッケル鉄合金の磁石を使い、その間に胴を挟み込んだ。株の磁石層に電流を流し、上部の記録層の磁化の変化(振動)を分析した。

―― そこで新しい素子を開発したということですね。

飯浜氏: 図4のように、下部の配線部に厚さ20nmのコバルト鉄合金、記録層に当たる上部に4nmのニッケル鉄合金を使いました。2つの磁石の間には、磁気的に分離する意味で抵抗の小さな銅(厚さ6nm)を挟み込む三層構造にしました。薄膜に外から磁界をかけると、当り前ですが、上と下の磁石の磁化は外部磁界と同じ方向に向きます。外部磁界をかけるのは、実験をやりやすくするためです。この状態で薄膜に交流電流を流すと、周期的に変化する交流磁界によって記録層の磁化も交流磁界の後を追うように振動します。また、磁界の変化によって記録層の左端と右端に直流の電圧がかかります。これは、異常ホール効果とは異なる別の「異方性磁気抵抗効果」という現象によるものです。これを基本状態として、厳密にデータを集めた上で、次の実験を行いました。

―― 交流磁界なので、電圧信号は目まぐるしく変化しますね。

飯浜氏: その通りです。次の実験では、交流磁界をかけて記録層を振動させた上で、配線部のコバルト鉄合金に直流電流を流しました。異常ホール効果によって銅層を通じて、記録層にスピンが注入されます。すると、注入したスピンに合わせて、記録層の磁化が変動します。この時、記録層の左右の端の電圧も変化します。さらに、直流電流により、電圧の変化の幅は拡大しました。一方、直流電流の向きを逆向きにすると、電圧の変化幅は狭くなりました。これは直流電流の流れを逆向きにしたことで、注入されるスピンの向きが逆向になったためと考えられます。つまり、この実験で異常ホール効果によるスピン注入を証明でき、将来的に「スピン異常ホール効果」によって磁化の上向き・下向きを反転させることができる、ということを示せたわけです。

図5:スピンの共鳴現象のイメージ図

下部のコバルト鉄合金の磁石に電流を流すと、異常ホール効果で記録層のニッケル鉄合金にスピンが注入される。その影響で記録層の磁化が大きく振動(共鳴)する現象(図の大きな円)が確認された。スピンが注入されていないと記録層の磁化の振動は小さいまま(図の小さな円)。

―― 性能、効率はいかがですか?

飯浜氏: どのくらい優れた素材であるかを示すものとして、スピン注入効率という指標があります。直流電流で動いた電子のうち、何個が記録層に移動したかというものです。例えば4個の電子が流れ、1個が注入されれば25%ということになります。今回のスピン注入効率は、電圧信号幅、外部磁界などの測定データから15%という数字が出ました。これは従来の、実用化されている非磁性体材料の素子に比べても遜色のないほど高い効率といえます。大事なのは、今回、安価な鉄系の磁石を使ったという点です。

図6:スピン注入効率のイメージ図(右)

電流を流すと、異常ホール効果で電圧が生じ、電子が上部に移動する。電子には磁石の性質(スピン)もある(左)ことからスピン注入と呼ばれる。スピン注入効率とは、電流で移動した電子のうち注入された電子の割合。25%とは4個の電子が動き、そのうちの1つが上部に動いたことを意味する。

―― 谷口さんの予測が確かめられたということですね。

谷口氏: はい。2015年の論文発表時には、異常ホール効果を使った面内電流型のスピン注入効率まで予測できなかったのですが、今回の数字は、異常ホール効果を使った面内電流型MRAMが、安価でありふれた鉄をベースとした磁石から作れるということを示したことになります。

―― 今後の展開について、お聞かせください。

久保田氏: 今回の素子は、従来の非磁性材料の弱点であった書き換え時のエラーを少なくし、信頼性を高めるものになります。しかも、安価で作れるということで、面内電流型MRAMの実用化に向けて大きなステップになります。今後は、磁化反転が確実にできるか、書き込みが正確かなどを繰り返し、素子構造の改善や材料の最適化に取り組んでいきたいと思います。今回の成果は若い2人を中心とした立派な成果です。飯浜さんは、4月から東北大に移りますが、今後も何らかの形で共同研究を進めていきたいと思っています。

―― これからも共同研究を楽しみにしております。本日はありがとうございました。

参考文献

  1. Taniguchi, T. et. al. Spin-transfer torques generated by the anomalous Hall effect and anisotropic magnetoresistance. Phys. Rev. Applied3, 044001 (2015)

Nature Electronics 掲載論文

Nature Electronics1, 120–123 (2018) :10.1038/s41928-018-0026-z | Published online 8 February 2018

Author Profile

飯浜 賢志(いいはま さとし)

日本学術振興会特別研究員PD(産業技術総合研究所)

「高周波電流、超短パルス光等を使って磁石の示す高速なダイナミクスを解き明かすことや新しい物理現象の観測を目指して研究を行っている。」

谷口 知大(たにぐち ともひろ)

国立研究開発法人産業技術総合研究所 スピントロニクス研究センター主任研究員

「ミクロな磁石が示す豊潤な物理現象を理論的に解明することを目指して研究を行っている。」

久保田 均(くぼた ひとし)

国立研究開発法人産業技術総合研究所スピントロニクス研究センター 総括研究主幹

「スピントロニクスデバイスの実用化を目指し、基礎物理と産業応用の両面から幅広く研究に取り組んでいる。」

【国立研究開発法人産業技術総合研究所 プレスリリース】

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