神経科学研究に間違いが生じているのは「必要かつ十分」という語句が不適切に用いられているからだ、という主張がある。
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1946年に発表された著名な評論『政治と英語』でジョージ・オーウェルは、「もし思考によって言語の堕落が起こるのなら、言語による思考の堕落も起こり得る」と主張している。これは科学にも当てはまるのだろうか。つまり、言語の誤用や乱用によって研究が堕落し得るのか。そう考える2人の神経科学者がJournal of Neurogenetics に興味深い論文を発表し1、生物学における誤った言い回しが思考の混乱を生み出すだけでなく、間違った結論さえ導き出しかねないと主張している。
彼らが批判しているのは「necessary and sufficient(必要かつ十分)」という語句だ。これは頻繁に用いられ、遺伝学、細胞生物学、神経科学に限っても毎年約3500編の科学論文に登場する。新しい流行というわけではなく、19世紀以降ずっと用いられてきたことが、Nature アーカイブで分かる。
適切に用いられた場合の「必要かつ十分」は、2つの事象間の特別な関係を示す。例えば、「もし、あなたが朝食代を支払えば、その場合に限って、私が昼食代を支払う」は、「あなたが朝食代を支払うことは、私が昼食代を支払うために必要かつ十分である」と記述できる。これに対し、情報通信研究機構 未来ICT研究所(兵庫県神戸市)の吉原基二郎(よしはら・もとじろう)とカリフォルニア大学サンディエゴ校(米国)の吉原基行(よしはら・もとゆき)は、「必要かつ十分」を研究論文に用いることには問題があり、使用を控えるべきだと主張する。語句の裏にある論理が、この批判の核心にある。
吉原親子は、「必要かつ十分」が「~と関連している(linked to ~)」や「~にとって重要である(important for ~)」の簡潔表現のように誤用されることがあまりにも多いことを指摘した上で、こうした不注意な用法が、特に遺伝学において科学者を間違った方向に導くことがあると説明する。
遺伝子が1つの現象のために必要かつ十分だという主張がなされることは多いが、厳密な論理によると、この遺伝子だけでその現象が起こる、ということをこれは意味してしまう。例えばeyeless 遺伝子は、網膜の発生に確かに必要だが、十分ではあり得ない。もし十分だとしたら、論理的に「eyeless 遺伝子が存在すれば、網膜が発生する」ということになるが、実際には、網膜の発生には他の遺伝子や他の因子も必要なので、それは正しくない。それでも、「eyeless 遺伝子は網膜の発生に必要かつ十分」と、誤って記述されることが多いのだ。
こうした誤用に異論を唱えることは、単なる言葉の厳密性以上の意味があると、吉原親子は主張する。例えば、この誤った「必要」と「十分」の組み合わせが、行き過ぎた厳しい基準を作ってしまうにもかかわらず幅広く用いられてきたために、「必要かつ十分」の基準が満たされないという理由で、「司令」ニューロンとして認定されなかったものがある(ある1つの行動を開始させるために必要かつ十分なニューロンというのが、司令ニューロンの定義として誤って合意されてしまった)。
その外された1つが、魚類と両生類で敏捷な逃避反射を引き起こすマウスナー細胞だ。実際に「必要かつ十分」の間違った論理に合致する司令ニューロンは数個しか知られていないため、司令ニューロンというコンセプト自体が無効にされてしまったと吉原親子は述べている。また彼らは、「必要かつ十分」に比べてほとんどの場合適切な「indispensable and inducing(不可欠かつ引き起こす)」の使用を提案している(ただし、現時点では彼らの論文でしか使用されていない)。
この語句は広まるだろうか。「必要かつ十分」は、論理的基盤とは無関係なお互いの了解の下に使用されているのだ、と反論する生物学者たちがいることは間違いない。おそらくそうであっても、オーウェルは、この点までも見通していた。「誤った語法は慣習と模倣によって広まり、思慮分別を備えた人々や備えているべき人々の間で広まることすらある」。
Nature ダイジェスト Vol. 15 No. 9 | : 10.1038/ndigest.2018.180938
原文:Nature (2018-06-14) | : 10.1038/d41586-018-05418-0 | The phrase 'necessary and sufficient' blamed for flawed neuroscience
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