亜鉛の意外な価値

自然界の至る所に存在し、古代から広く使われてきた30番元素亜鉛(Zn)。

自然界の至る所に存在し、古代から広く使われてきた30番元素亜鉛(Zn)。ありきたりで面白みに欠けると見なされることが多いZnだが、その存在を軽んじてはいけない、とチャルマース工科大学のAnders Lennartsonは反論する。

Credit: ANDERS LENNARTSON

ある教授にこう言われたことがある。「亜鉛(Zn)じゃ印象に残らないね」。だが、そもそもなぜ注目に値する元素とそうでない元素があるのだろう。そして、なぜZnは注目に値しない部類に入るのか。確かに、Znの酸化還元反応は多様性に富んでいるとはいえない。Zn(I)は珍しく、最近の計算からはZn(III)の安定な化合物が存在し得ないことが示唆されているのだ(参考文献1)。また、Znはd電子をなかなか離さないため、その化合物はdブロック元素におなじみの鮮やかな色を呈すこともない。

Znを含む12族元素は、d殻が満たされているため、厳密には「遷移元素」ではなく「典型元素」である。しかし、遷移元素との境界にあり、かつては遷移元素に分類されていたことから「ポスト遷移金属」や「honorary(名誉)遷移金属」とも呼ばれる。

Znの最初の発見者は不明(参考文献2, 3)だが、その化合物は古代から広く使用されており、ローマ時代にはすでにZn鉱石と木炭と銅(Cu)を混ぜて真ちゅう(黄銅;Cu-Zn合金)が作られていた。ところが、揮発性の高さからZnの単離は難しく、初めて単体が得られたのは中世のインドだったとされている。

一方、初めて商業生産されたのは中国だった。当初はあまり化学者たちの関心を引かなかったZnだが、18世紀に入ると、その重要性が認識されるようになる。例えば、Znめっきは鉄(Fe)の優れた防錆法であり、マンガン電池やアルカリ電池などの乾電池ではZnが負極として使われてきた。また、酸化亜鉛(ZnO)の微粒子は日焼け止めに、塩化亜鉛(ZnCl)ははんだ付け用フラックスとして使用されている。

Znは人間の生命維持にも不可欠な元素で、人体には約2 gのZnが含まれている。遺伝子の発現を制御する転写因子や生体内の化学反応を触媒する酵素には活性中心にZnを持つものが多く、Znがなければ我々は1日たりとも生きられないだろう。

Znのルイス酸としての性質に依存する酵素には、炭酸デヒドラターゼやアルコールデヒドロゲナーゼ、インスリン分解酵素がある。特に、「ジンクフィンガー(亜鉛の指)」と呼ばれるタンパク質の構造モチーフは有名で、この構造内でZnは、ペプチド鎖の折りたたみを助けるとともに、基質結合部位を提供している。

さらに、Znは有機化学の分野でも重要な意味を持つ。1849年、Edward Franklandは、エチル遊離基(フリーラジカル)を単離しようと考え、密閉ガラス管の中でヨウ化エチル(C2H5)とZn粉末を加熱し反応させた(参考文献4, 5)。そして、その生成物に水を1滴加えたところ、なんとガラス管から青緑色の火柱が噴き出したのである。この生成物こそが、初の主族有機金属化合物、ジエチル亜鉛((CH)Zn)であり、この発見によって事実上、有機金属化学という分野が誕生する。

これより前の1830年に、すでにWilliam Christopher Zeiseによって、ツァイゼ塩(Zeise salt)と呼ばれる有機金属化合物(K[(CH=CH)PtCl]HO)が報告されていたのだが、当時はほとんど注目されなかったのである。ちなみに、(CH)Znは空気中で自然発火するが、当時は乾燥窒素(N)やアルゴン(Ar)の入手が容易ではなかったため、有機化学の先駆者たちは勇敢にも、水素(H)を不活性ガスとして使っていたという。自然発火性の物質と可燃性ガスの代表であるHを一緒に扱うとは・・・私なら遠慮したいところだ。

有機Zn化合物の応用は幅広い。例えば、古文書の劣化を防ぐため、書物を(CH)Zn蒸気で処理する試みがなされたことがある。実際に効果はあるものの、危険過ぎるため現在では試す人のいない方法だ。また、ノーベル賞を受賞した「クロスカップリング反応」でも、有機Zn誘導体が使われる。一般に、有機Zn系の試薬は、有名なマグネシウム系試薬であるグリニャール(Grignard)試薬よりも反応性が穏やかで選択性が高い。こうした特徴が注目され、最近は複雑な官能基を配した新しい有機Zn試薬が次々に合成されている(参考文献6)。

有機Zn反応の選択性に関する珍しい例に、1995年に報告されたSoai(硤合)反応(参考文献7)がある。ジアルキル亜鉛は、触媒がなければアルデヒドと反応しないが、触媒の存在下では、ジイソプロピル亜鉛はプロキラルなピリミジルカルボキシアルデヒドと反応し、キラルなアルコールを生成する。この反応は、生成物であるピリミジルアルコールが自らの生成を触媒する、自己触媒反応である。

それだけでも十分素晴らしい反応だが、この反応は、新たに生成したピリミジルアルコールの方が触媒として元々存在したピリミジルアルコールよりも光学純度が高いという点で特別だ。さらにこの触媒は、片方の光学異性体の生成を促進するだけでなく他方の異性体の生成を抑制しており、ラセミ触媒であっても、統計的な偏りがわずかに存在すれば、こうした増幅現象が起こるのである。

このように、有機Znの反応性だけをとっても、Znの印象が薄いとは決して言えないだろう。

doi:10.1038/nchem.1848

著者: ANDERS LENNARTSON

参考文献:
  1. Schlöder, T., Kaupp, M. & Riedel, S. J. Am. Chem. Soc. 134, 11977-11979 (2012).
  2. Weeks, M. E. Discovery of the Elements 6th edn (Journal of Chemical Education, 1956)
  3. Gmelins Handbuch der Anorganischen Chemie. Zink, System-nummer 32 8th edn (Verlag Chemie, 1924)
  4. Seyferth, D. Organometallics20, 2940-2955 (2001).
  5. Frankland, E, Experimental Researches in Pure, Applied, and Physical Chemistry (John van Voorst, 1877).
  6. Knochel, P. et al. in Chemistry of Organozinc Compounds (eds Rappoport, Z. & Marek, I.) 287-393 (Wiley, 2006).
  7. Soai, K. et al. Nature378, 767-768 (1995).

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Nature Chemistry5, 724(2013年8月号) | doi:10.1038/nchem.1717

Nature Chemistry5, 804(2013年9月号) | doi:10.1038/nchem.1731

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