ヨルダンのテロで「もう1つの11月9日」を経験した私が思う 〜トランプ報道への付き合い方〜

11月9日という日は、11年前から良かれ悪しかれ私に影響を与えた日としてある事件を思い出させる。

先日11月9日、米大統領に注目が集まり、日本含め世界の各メディアでは新しい波乱の幕開けと報じられた。

この11月9日という日は、11年前から良かれ悪しかれ私に影響を与えた日としてある事件を思い出させる。

ヨルダン、という中東国をご存知だろうか。

観光地として知られる死海、インディジョーンズの映画の舞台となったペトラ遺跡が存在する国である。

11年前の11月9日、ヨルダン首都アンマンで「3ヶ所同時多発テロ」が発生。

当時10歳の私は、アンマン在住の小学生であった。

*********************************

2002年。ヨルダンの首都、アンマン。夜9時頃。

家から1,2km先のホテルがテロにより爆破された。

家付近にあるホテルを含む3カ所で自爆テロが発生し、

「テロ」の実態やそれがもたらす恐怖に対し無知であった幼い私は、両親の顔に出る恐怖の表情をただ傍観し続けた。

当時、在留邦人数が200人程度であった点を考慮すると、両親が抱えた不安は計り知れない。

テロ発生から数日後、私は両親に付き添い爆破されたホテルを"見物"しに行った。

そう、何かを期待した訳でも、緊張感があった訳でもなく、近所を散歩する気持ちで"見物"しに行ったのだ。

...辺り一面に散らばった大きな瓦礫の破片、

綺麗なホテルだったとは信じがたい薄暗さ。

しかし、私は小学生ながら違和感を感じた。

爆破により破壊されたホテルという残骸の他に、無残な事件の跡が見られない。

人々が「日常」を過ごしている。

ホテルを見つめ、笑顔で話す人々。

爆破後の瓦礫の間で跳ね回る子供達。

ほんの数日しか経っていないにも関わらず立ち入り禁止にもなっていない。

ヨルダン人がテロや爆破事件と隣り合わせの生活を強いられていた訳ではない。

ヨルダンは中東地域の中でも比較的安全な国であり、大規模テロは発生しなかった。

深刻かつ無残なテロ報道と、人々の温和な表情のギャップ。

収集された、瓦礫としか言い表せないホテルの残骸と、子供の遊び場と化す明るい景色。

爆破により最上階の天井まで貫かれた殺伐とした穴と、その穴から見上げることの出来るあまりにも綺麗で真っ青な空。

ホームだと認識していたヨルダンの人知れぬ顔を見てしまった様な心地の悪さがあった。

当時の幼い私は、「気持ち悪い」という言葉で片付ける他なかった。

*********************************

3つの爆撃地のうちの1つであるRadisson SASホテルでは、900人もの人を招待した結婚式が開催中であった。

爆破により多大なる被害を受け多数の負傷者をもたらしたと同時に、花婿と花嫁の父を含む40人弱が殺害された。

当然ながら、その事件1つでヨルダンが危険な国であるというレッテルを貼られるのは、日常の平穏な生活を知っている者からすれば理不尽な話である。

平穏な日常を知り、テロという非日常を経験した私も、自身が見たヨルダンが全てであるとは思わない。当時幼かった私はヨルダンの全てを知っていると思い込み心地の良さを感じていたが、今になって、自身が受けた印象やヨルダンに関する周囲からの言葉で全てが理解できていた訳ではないと強く感じる。

11年前に起きた3ヶ所同時自爆テロが恐怖の記憶として、もしくは忘れ得ぬ事件としてヨルダン人の心に残っていたとしても、世界のメディアがその出来事を取り上げる際に使用する"恐怖"や"事件"という言葉と、現地で暮らすヨルダン人のそれとでは全く違う「土台」の元で成り立っている。

「土台」とは何なのか。

私はその「土台」こそ、今日の日本人が1つの思想や意見に集まり易い原因を作っているのだと感じている。

近年、欧州諸国で多発したISISなどのテロ組織によるテロ事件がメディアで大いに注目され、中東やテロに対する日本人の認識に変化が見られるだろうという考察を多数の専門家が出していた。

しかしその注目は、一時の盛り上がりを見せた後に直ぐに冷め始める傾向を見せたのみならず、"中東=危険"、"イスラム教徒=テロ"という非常に表面的且つ誤解で埋め尽くされた「当たり前とされる文言」を日本人の間で再確認して幕を閉じた様に感じられた。

先程触れた「土台」とはこの「当たり前とされる文言」を指しており、多くの人が持つメディアやインターネットへの信頼感と安心感が影響し、自分の意見と同様の主張をメディア上で確認することでさらに確立したイメージでが作り上げられてしまう。

この憤りは近日の話題にも当てはめる事が可能だ。

あなたの周りにドナルド・トランプを批判している人はいるだろうか。

その批判の理由は何を要因として生み出されたものなのか。

「日本へのマイナスな発言を常にしていて、その発言に嫌悪感を抱くから」

「過激な発言しかしていないから」

「トランプ批判をするメディアや専門家の投稿がSNSで流れてくるから」

当然ながら、トランプ氏が掲げる政策や発言の一部には日本人として批判するべきものも多くあるだろう。

しかし、メディアが切り取った1つの事象が100を体現している訳ではないという点に関しては理解が深まるべきだ。

頭で理解していると思っていても、その前提となる無意識のバイアスがかかり、正しく物事の評価ができない国民が多いままでは、今後益々複雑化した政治が動いていくであろう国際社会の情勢をただただ一面的に受け取る日本人が増えてしまうのではないかと、複雑な思いを抱えざるを得ない。

ー日本が危険な状態に陥るのでは。

ー厳しい世界を生きることになるのでは。

先日の大統領選を受けこの様な意見を目にするが、

これらの言葉に本当に共感するからこそ、

恣意的に切り取られ流される情報に踊らされず、独自の意見を持ち続けたい。

注目記事