ある卒業生より:一橋大学法科大学院生自死事件にあたって

彼のような人をこれ以上出したくないのです。

先月、一橋大学の正門近くで同性愛者であることをアウティング(暴露)されて自殺した法科大学院生の追悼集会があり、同大学卒業生である私も参加させていただきました。当日は天候が不安定であったにも関わらず、学内学外から人が集まり、静かに故人に思いを馳せました。

本稿は、追悼集会で参加者それぞれが故人と事件について思いを語る中で、私が語らせていただいたものをもとに書かせていただいたものです。このたびご縁があり、こちらに投稿させていただく運びとなりました。ご一読いただければ幸いです。(なお、私は故人とのつながりはなく、報道を通じてでしか事件について存じ上げません。)

参考:「同性愛を暴露されて転落死した一橋大院生の追悼集会「本当のことが知りたい」それぞれの思い」

私は一橋大学大学院に、性的マイノリティに関する研究をするために入学しました。特に一橋が性的マイノリティ研究で有名だったわけではなく、私が希望する研究ができて、ジェンダー研究所があって、国立ということで学費が安いことから選択しました。

性的マイノリティだけを研究対象とした教授は全国を見渡してもかなり少なく、そのような研究室も大変少ないのですが、ジェンダー研究所がある大学であれば、研究所に所属する教授に見識があることが多く、授業で性的マイノリティについて取り上げることがあるからです。

実際、入学すると性的マイノリティに関する研究をしていた院生も何人もいましたし、先生も授業の中で性的マイノリティ(その多くが同性愛者のこと)を自然に取り上げていました。学内にはLGBTもいましたし、そうでない性的マイノリティもいました。カミングアウトしている人もいれば、一部の人たちにだけカミングアウトして、普段はクローゼット(カミングアウトしていないこと)の人たちもいました。

性的マイノリティというアイデンティティーを持っていないものの、既存の男女のカテゴリーや性愛に違和感を持っている人たちもいました。このように、一橋大学には性の多様性について自然と考えられる環境が確かにありました。

おそらく今、この文章を読んでいる方々の多くは、このような実態があることをご存知なかったのではないでしょうか。一橋大学と言えば経済人の大学という印象が世間にありますし、関西では知らない人もいる大学です。そして今回の事件の故人も、おそらくこのことを知らぬまま、命を落としてしまったと考えられます。このように性的マイノリティが性的マイノリティのコミュニティーに繋がらず、苦しみを抱え込んでしまうことは珍しいことではありません。

確かに以前に比べれば、性的マイノリティに対する理解は進んでいます。近年同性愛者の権利において著しい発展を遂げているアメリカの影響を受け、日本でも同性愛者の話題がニュースとして取り上げられるようになりました。

毎月報道される性的マイノリティの話題には学校や職場といった生活圏の当事者が登場するようになり、その存在はテレビの中の芸能人やゲイタウンである新宿二丁目のママだけではなくなってきています。また、企業や自治体がLGBTを対象とした取組みを行うことがブームとなっている印象を受けます。

しかし、それはごく一部でしかありません。性的マイノリティへの理解は取り組んでいるところとそうでないところで大きな格差がありますし、性的マイノリティの理解推進を行っている人々でさえ、なぜ当事者たちが生き辛い思いをしているのか分からないまま、このブームに流されているという感覚さえあります。それも仕方がないのかもしれません。

日本の生活圏にいる性的マイノリティの動きは始まったばかりで、必要としている人々の多くに浸透するに至っていないからです。それは多くの当事者が自覚するところであり、浸透にはまだ時間がかかることでしょう。それでも確かに、動きは存在し、一橋にもその動きの一部はあったのです。

それゆえ、性的マイノリティに関する悲惨な事件が他にもある中で、今回の事件は一層痛ましく、私の心に深く突き刺さりました。一橋にもある性的マイノリティの動きに繋がることができた私や私の友人がいた一方で、なぜ彼は繋がることができなかったのだろうかと。繋がりさえすれば、彼は死を選ばなかったのではないかと。

事件の報道後、一橋の卒業生でかつ性的マイノリティに関する研究をしていたことから、知人から事件について聞かれましたが、私は事件について報道以外何も知らず、満足に答えることはできませんでした。「あなたたちと出会えていたら、こうはならなかったのかもしれない」という言葉も投げかけられました。私も同様に思っていたため、後悔の念に苛まれました。

しかし実際のところ、彼が私たちを含め、大学内の性的マイノリティに理解があるコミュニティーに繋がることは、難しかったのではないかとも思ったのです。それは彼が所属していたのが法科大学院であり、かつ彼が大学院生であったことにあります。

同じ一橋大学でも私が所属していた社会学では、ジェンダーやマイノリティの研究があるため、教授も学生も性的マイノリティに理解がある人が集まりやすく、そのような話題についても話しやすい環境でした。私の友人の多くも社会学出身の学生です。しかし、他の学部の授業で授業の題材として性的マイノリティが語られることは、あまりないように思われます。

笑いの対象としての性的マイノリティではない、日常の性的マイノリティについて話題にすることが少ない場合、理解者の存在が表面化しにくいことが考えられます。このことから、性的マイノリティ当事者や理解者が同じ法科大学院にいたとしても繋がりにくかった可能性があります。

また、大学院生というのは学部生とは異なります。平日、休日問わず常に研究について考える人が多いため、研究の関係者以外の他人との交流が少なくなりがちです。サークルに参加する人もほとんどいません。法科大学院生であればなおさら、他の学部の授業に参加することもないことが想像されるため、より孤立しやすい状況であったと推測されます。

このような理解者を得られにくく、孤立しやすい状況の中で、故人はハラスメント相談室と健康センターを利用していました。私も在学時代、学生相談室や健康センターを性的マイノリティであることとは全く別の問題で使用したことがあるのですが、そういったものをそれまで使用したことがなかった私は、そこで自分の状況を説明することにひどく疲労しました。

精神的に追い詰められているときにつらい状況を説明するというのは、とてつもなくエネルギーのいることです。それでもそのつらい状況をなんとかしようと胸の内を明ける作業は、故人にとって自分の命を守ろうと必死に闇に抗う闘いだったのではなかったのかと私は思います。

そこで全く的外れなことを言われてしまったとき、そしてもう他に方法がないと思ってしまったときの絶望というのは、おそらく当人にしか分からないものでしょう。その思いを想像すると、なんともやりきれず、耐えられなくなります。

もし私が理解ある友人や教授に出会えていなかったら、私がいたような理解ある環境を知らずにいたら、私も故人と同じ道をたどることがあったのかもしれません。そして今、どこかで故人と同じような思いをしている人がいるかもしれません。そのような人がいることを簡単に想像できてしまうほど、これは起こりうることなのです。

理解者と繋がり、そこから性的マイノリティに関する研究の道を選択し、更にコミュニティーを広げていった私や、私のような学生に出会えた友人たちと、繋がれなかった故人の差は、大きく違うように見えて実は紙一重です。

もちろん、性的マイノリティ当事者や支援者がいる環境に繋がったところで、望んでいた反応が得られない可能性もあります。同じ性的マイノリティでも、ゲイがレズビアンの女性カップルならではの問題を想像することができるとは限らないですし、トランスジェンダー間でも手術を望む人、望まない人で大きく意見が異なったりします。ポリアモリー(複数愛)と同じように扱われることを不服に思うバイセクシュアルもいます。私自身、性的マイノリティであることを他の性的マイノリティに疑われますし、実際違うのかもしれません。

しかし、年齢が同じであれば思想が同じではないように、日本人であれば梅干が大好きとは限らないように、自分と同じ性的マイノリティというのも厳密に言えば存在しないのです。そういった違いがある中でも、故人が味わったであろう自分の意志とは無関係に向けられる異常者という視線に将来を奪われる感覚の経験とその視線への恐れは、程度の差はあれ、持ちやすいのがこのコミュニティーの特徴です。繋がることできっと何かがあったと思います。

助けを必要としているあらゆる大学の人に、日本中の人に、世界中の人に、故人がいたこと、故人以前にも同じように性的マイノリティであるために苦しんだ人たちがいたこと、そして私たちが存在することを知ってほしいと心から願います。彼のような人をこれ以上出したくないのです。

注目記事