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くず鉄置き場で働いていた彼は、吃音のため兵役に就くことが叶わなかったという。あまった部品として何千もの戦闘機のエンジンが解体され、スクラップされているのを目にした。そこで、第二次世界大戦時に活躍した戦闘機の終幕を傍観するかわりに、ソプラタは広大な土地をオハイオ州に購入してそれらを集め始めた。
同潤会シリーズの中でも「東洋一」と呼ばれた江戸川アパートメントの元居住者に、往時の様子をうかがいました。日本に初めてアパートという概念を持ち込んだ同潤会が、どんなコミュニティを育んできたのか、そこに暮らした人の思い出や写真と共に振り返ってみましょう。
長く忘れ去られてきた日本の「廃墟」を映し出す新しい写真集は、不思議な魅力に満ちている。
デトロイトでは今でも、1800年代に建てられた住宅や、20世紀の有名な建築家がデザインした高層ビルを見て回ることができる。この街の建造物は幾層にも及ぶ歴史を教えてくれるが、危機にさらされてもいる。崩壊したり、壊されたりする建物も多いのだ。
ブラッドリー・ギャレットは自身を「プレイス・ハッカー」と呼ぶ。この変わった趣味を持ったオックスフォード大学の地理学者は立入禁止のスポットに侵入するために施錠された入り口をかいくぐり、有刺鉄線が張られたフェンスをよじのぼる。彼が訪れるスポットは、忘れ去られた地下鉄の駅から、ボロボロになった劇場、ずいぶん昔に閉鎖になった炭鉱などだ。
1959年当時、長崎県沖にある端島、別名軍艦島、幽霊島では5000人以上の人が暮らし、働いていた。アメリカのマンハッタンよりも濃密なにぎわいを見せていた炭鉱の街。忙しい人たちのために学校、レストラン、そして映画館もあった。島の経済は繁栄し、最新のアパート棟が建設され、島は日本で最も大きなコンクリート建造物となった。しかし突然、みんな島から離れてしまった。
廃墟となった場所を旅することがブームになりつつある。人けのない不気味な場所を探検するスリルを愛する人は必ずいるものだ。 しかし時には、裏庭のすぐ近くで、時間が止まっているかのような薄気味悪い廃屋を発見することもある。であれば、旅行する必要はない。
かつて工場やボート、バスだったものを改修した家は見たことがあったが、廃棄された橋が住宅になったものは見たことがなかった。しかし、アメリカのウェブサイトArchitizerによると、サミュエル・ナゲッテ建築事務所が昨年デザインコンペティションで発表したものはまさに橋を住居にしたもので、そのコンセプトにはかなり驚かされる。