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能登半島の先端にある妻の家に帰省していて、大地震に見舞われた番場琢さんが、被災時の状況や避難の様子を報告しています。交通とライフラインが寸断された現地からの貴重な情報です。
熊本地震で被災し、全区間の6割が不通となっていた南阿蘇鉄道。全線開通に「おめでとう」と祝福の声が広がっています。
2004年10月23日に起きた新潟県中越地震から今年で18年。最大震度7を記録し、68人が犠牲になった災害を写真で振り返ります。
「もはや私たちでなくとも出来る」。11年前、臨時災害放送局としてプレハブのスタジオで女川の被災町民らが有志で始めたラジオ番組が終わる。この言葉の真意をプロデューサーに聞いた。
福島県の被害が少なかった地域の出身だという明典さん。「ニュースの中の福島と、目の前の光景は別世界でした」と当時を振り返ります。
JICA海外協力隊として、日本の常識が通用しない教育現場で活動した芳岡孝将さん。世界での経験は、日本にどんな変化を起こすのだろう。
PRESENTED BY JICA
東日本大震災からの「復興五輪」という名目に、何の実態が伴ったのか。東京五輪直前、今も帰還困難区域となっている福島県浪江町津島地区の人々は、国と東電を相手取った訴訟の判決を待っていた。
7月5日は、熱海市伊豆山の上流から下流にかけて5カ所を重点的に行方不明者の捜索する。
今もブルーシートに覆われたままのところがある。その多くは空き家で、修理費の公的補助の対象外とされた。被災地の復興はまだ完了していない。
5月4日までに同県牧之原市で損壊が確認された建物は125棟にのぼり、罹災証明と被災届け出証明の申請はこれまで70件あった。