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ソーシャルメディアの炎上対策が求められる中、駒沢大学の山口浩教授は、ソーシャルメディア上の人格をリアルな人格と切り離して、情報発信者を炎上から守る「分人」の法人化を提唱している。しかし、現実の運用を考えると、「分人」を炎上から守るには多くの課題がありそうだ。しかも、制度化を推進すればするほど、国家による監視社会の足音が忍び寄ってくる。「分人」を維持するためには、何が求められるのだろうか。
2013年5月に「ネットメディア界の黒船」として、鳴り物入りで始まったネットメディア「ハフィントンポスト日本版」。メディアとしての地位を確立したオリジナルの米国版のように、ネットにおける「良質な言論空間」を目指している。果たして、荒れがちな日本のネット言論空間で、コメント欄の民意を集約して、専門家ブロガーが代弁する民主主義的な空間は実現するのだろうか。
「ハフィントンポスト日本版」や「ブロゴス」、「Yahoo!ニュース 個人」といった、ブロガーの記事を集めて、情報を発信するネットメディアが勢いを増している。ブロガーとネットメディアの関係性は、作家と出版社の関係に似ているが、ネットメディアはどこまで新しい書き手の発掘に貢献できるのだろうか。
インターネットを活用した選挙運動の解禁によって、発信手段が増え、爆発的な量の情報が飛び交うようになった。そこで重要となってくるのが情報の「公平性・中立性」だ。情報発信の担い手が多様化する中で、「公平・中立」は誰が、どう担うべきなのか。「公平・中立」をやめて、「偏向」を堂々と認めてはいけないのだろうか。
インターネットを活用した選挙運動の解禁をきっかけに、政治に関する情報がソーシャルメディア上で活発に流れるようになった。意見が異なるのは当たり前という米国と異なり、同質性を求めがちな日本で、ソーシャルメディアを活用した政治の議論は活発化するのだろうか。
ソーシャルメディアの空間がコントロールの難しい「万人の万人に対する闘争」と化す中、闘争を助長しかねないものとして、「2ちゃんねるまとめ」や「NAVERまとめ」、「Togetter」など、ユーザー自身がネット上の情報を編集できる「まとめサイト」の存在がある。
親切を装ったデマの流通や、炎上による誹謗中傷合戦、匿名アカウントからの突然の爆撃など、荒廃した側面が目立つようになってきた。まさに「万人の万人に対する闘争」が生まれているソーシャルメディアの荒野で生き抜く術はあるのか。