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東日本大震災の津波で43人が犠牲になり鉄骨だけが残った、宮城県南三陸町の防災対策庁舎が、震災遺構として保存されることになった。佐藤町長が6月にも正式に表明する。
南三陸町の防災対策庁舎をめぐり「保存」か「解体」かで、町が真っ二つに割れている。「被害を伝えるために震災遺構として残すべきだ」という声もあれば、「震災を思い出してしまう」という声もある。津波被害のシンボルをどうすべきか、人口1万4000人の町が揺れている現場を追った。
東日本大震災の津波で43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、県が町に代わって2031年3月まで管理し、保存する方針を固めた。震災遺構として保存の是非が問われているが、町は県の考えを受け入れる公算が大きい。
復興庁の小泉進次郎政務官は10月19日、東日本大震災の津波被害を受けた震災遺構の保存について、「地元の理解があって残す意味があるものは、なんとかしたいという問題意識を持っている」と述べ、国として検討する意向を示した。岩手県宮古市の震災遺構「たろう観光ホテル」の視察後、同県岩泉町内で記者団に答えたことを岩手日報が報じている。
東日本大震災の遺構として扱いが注目されていた、宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、町は撤去する方針を固めた。佐藤仁町長が近く正式表明する…