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日本人は議論が苦手だと言われている。が、これは「自分の意見をはっきり言わない」ぐらいに理解されている場合が多いようだ。議論の種類や方法について語られることは滅多になく、無遠慮な恫喝で他人を黙らせるのが「議論の上手い人」と見なされてしまう。
特集「最強チームの作り方」では、チームで仕事やプロジェクトを進める際の考え方やヒントを探ります。今回はチームを導く「議論」について。「現実を変えない意見を言うのはほとんど時間の無駄です」と話すのは、ベストチーム・オブ・ザ・イヤー実行委員会 委員長に就任した 明治大学文学部 齋藤孝教授。
これまで、7回、ギロンについて論じるなかで、欧米的なギロンと日本的なギロンの相違については、概ね理解をいただいたのではないかと思う。今回は、日本のギロンでよく耳にする『理屈はわかったが(説得されたが)、納得しかねる』という決まり文句を取り上げたい。
今回は、衆議一決という予定調和的結果としての全会一致を暗黙の原則、言いかえれば、独白(モノローグ)の連鎖の展開の結果、各自の意見や考えは、"自ずと"あるしかるべき点に収斂してくる現象を特徴とする日本的なギロンが示す、「私」が容易に「我々」になるブラックボックスとも言える過程について取り上げることとする...
そもそも、「考える」と「思う」という言葉の概念的な存立基盤の相違を強く認識することなく、対立的な「考える」と「思う」を日常、無反省に混濁して使うと言うことに、問題の本質があるのではないか。つまり、言葉を定義しない日本人は、意識することなく、「思う」を前提に「考える」を語るのである。
言葉の定義は非常に重要である。しかし、日本人は、漢字の導入によって、幼形成熟してしまい、抽象概念に弱いと言われるやまと言葉(『漢字と日本人』高島俊男を参照)を日本語の基層にもつことによるのか、言葉≒概念の定義に対しての感度が低く、かつ、苦手であるといえる。