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11月13日には、仙台地裁の裁判官によって、被災校舎や周辺の裏山などの現地視察が行われた。
東日本大震災の津波で43人が犠牲になり鉄骨だけが残った、宮城県南三陸町の防災対策庁舎が、震災遺構として保存されることになった。佐藤町長が6月にも正式に表明する。
乗客と運転士合わせて107人が死亡、負傷者562人を出した2005年4月25日のJR福知山線の脱線事故から、まもなく10年を迎える。
大川小学校の被災校舎をめぐって保存か解体かを決める地元住民による初めての話し合いが行われ、アンケート投票の結果、保存を求める意見が最も多くなりました。
東日本大震災の津波で児童ら84人が犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の被災校舎について、地元住民が市に震災遺構として保存を求めていく見通しとなった。
東日本大震災の大津波で、学校で最大の悲劇の場所となった宮城県石巻市の大川小。壊れたまま残る旧校舎の前で、先生の息子の大学生が震災のことを語り始めた。
被災者たちは、まだ真実が世間に知られていないと言う。その痛みから社会が何かを学んで一歩前に進まないと、被災者の「治癒」は始まらないのだろう。韓国の「セウォル号事故」と重なり、途方に暮れた。
東日本大震災の大津波で、多数の友人や恩師を亡くした宮城県石巻市の大川小学校の卒業生達が4月6日、仙台市で「母校の校舎を遺して」と意見表明を行った。子どもたちの学習支援を通じて心のケアを行ってきたNPOが主催した。
2011年3月11日の東日本大震災で発生した津波により、74人の児童と10人の教師が犠牲となった宮城県石巻市立大川小学校。大川小の事故を取材し続けているフォトジャーナリスト加藤順子さんが、今回の提訴に至った経緯をリポートする。
東日本大震災の大津波で、児童と教職員84人が亡くなった宮城県石巻市立大川小学校の災害で、死亡・行方不明の児童23人の19家族が3月10日、石巻市と宮城県に対して、1人当たり1億円、計23億円の損害賠償を求めて仙台地方裁判所に提訴した。8人の父親が、代理人の弁護士らと共に仙台地裁を訪れ、訴状を提出した。