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いままでは、テレビはテレビ、ネットはネットだった。広告は広告、番組は番組、だった。でもこれからそこは垣根がどんどん低くなってどこからどこまでがこっちとそっちなのか、わからなくなる、どうでもよくなるんじゃないだろうか。
先週、7月23日〜25日に開催された日経BP主催のモバイル&ソーシャルWEEKと銘打たれたイベントで、ソーシャルテレビアワードが発表された。
『白ゆき姫殺人事件』という映画が公開されていて、面白く観た。地方都市で起こった殺人事件について、テレビとソーシャルメディアが呼応しながら情報が錯綜する。twitterで盛り上がればテレビがとりあげ、それがまたtwitterで増幅していく。フィクションだが、すでに現実はこうなっているのだと思う。
学生時代に筒井康隆の小説にハマった。文庫で出ていたものをすべて読み尽くし、その後は単行本が出るたびに即買いしたものだ。深みのある長編もいいけど、初期の短編はとにかくどんどん書くのだと若さと勢いで書かれていて、破天荒さに魅惑された。
"テレビの不便さ"を克服するにはもちろん、リモコンを改良するとか、EPGを見直すなどの機器の課題があるし、WEBやスマートフォンを使ったサービスやアプリも考えられるだろう。でも少し違う角度でソーシャルメディアの活用も考慮すべきだと思う。
言ってみれば学校もメディアなのだなと思う。あるいは、学校をメディアと捉えることでスクーは独自性を獲得できているのかもしれない。リアルの大学なども、自らをメディアと捉え、先生たちが授業を放送と捉えることで、授業の価値が高まるのではないだろうか。
広告とコンテンツの境目をなくそう、コンテンツとして十分面白く、結果として企業の伝えたいことも伝わるような作り方、ブランドコンテンツの試みがあちこちではじまっている。テレビとネットの融合がそれをさらに求め、加速すると思う。ソーシャルテレビという言葉は、そんな大きな動きの象徴のようなつもりだ。
コンテンツはコミュニティになっていく。そんなことを何度かこのブログで書いてきた。そのための環境が整いつつあるのだ。"ソーシャルテレビ"というと、放送中の番組についてツイッターでつぶやきあう、リアルタイム性の話になる。それが第一歩なのはまちがいない。