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あらためてその周囲を散策したり、外苑前駅、青山一丁目駅、代々木駅、千駄ヶ谷駅、信濃町駅等からの周辺最寄駅からのアプローチや、外苑西通り、外苑東通り、青山通り、明治通り、首都高速からの周辺景観を確認しまして、都心に今のような聖地としての広大な緑の空間が残されていることがひとつの奇跡なのだ、という思いを強くいたしました。
太平洋戦争末期、敵の空母を沈めるため人間が操作して体当りする魚雷、いわゆる人間魚雷が開発され、出撃した。その誕生から70年が経つ。
4月7日、旧日本海軍の戦艦「大和」が太平洋戦争中の1945年に沈没してから69年を迎えた。
旧日本軍の潜水艦「伊169」は、珊瑚礁の水深42メートルの海底に今も静かに眠っている。
駆逐艦「文月」は、トラック諸島の水深37mの海底に、ほぼ原型を保ったまま、珊瑚礁の海底に横たわっている。沈没からちょうど70年を迎えた今、激戦をかいくぐった駆逐艦は魚やダイバーに囲まれて、静かな余生を送っている。
アメリカ国内で、産業界をはじめ中国への関心が高まる中で、やっぱり最後まで日本を向いてくれるのは、日系アメリカ人ではないかと、2000年ごろから外務省が全米各地から日系アメリカ人のリーダーを日本に招待するプログラムを始めた。
東京大空襲の真実を捉えた写真をGHQから守り抜いた男がいた。
旧日本海軍の艦上攻撃機「流星」のコックピットを覆う風防が、熊本県八代市で国内で初めて発見された。戦争遺跡の発掘や保存・活用を進めている「熊本の戦争遺跡研究会」が2月23日に発表した。
小野田寛郎さんが亡くなっていたことが、1月16日に分かった。戦争が続いていると信じ、太平洋戦争終了後も29年間、フィリピン・ルバング島のジャングルで潜伏を続けた元陸軍少尉だ。
1941年12月8日、日本軍はアメリカ、ハワイオアフ島の真珠湾を攻撃した。太平洋戦争の開戦である。あれから72年の歳月が経った、2013年12月7日(現地時間)、犠牲者を追悼する式典が真珠湾に面した公園で開かれた。約2500人が参列し、攻撃が始まった午前7時55分に黙とうを捧げた。
オアフ島パールハーバー、世界中からの観光客が足を運ぶハワイの一大観光スポットです。ただし、日本人観光客の割合は少なく、私自身仕事で足を運ぶ以外、なかなか訪れる気にはならない場所でした。様々な感情が去来し、痛みばかりが増すのみなので、なんとなく避けていたきらいもあります。