「憎しみの連鎖を断とう」を終戦70周年の合言葉に- J.R.ジャヤワルダナ演説(9月6日)を記念して

恨み合いや憎しみ合いは、東アジアの国々が抱えている最大の不幸である。
Sri Lanka opposition leader Junius R. Jayewardene waits to vote for the general election, the first in the country in seven years on July 21, 1977. (AP Photo)
Sri Lanka opposition leader Junius R. Jayewardene waits to vote for the general election, the first in the country in seven years on July 21, 1977. (AP Photo)
ASSOCIATED PRESS

2015年。日本の民衆は「終戦70周年」を厳粛に受け止めている時に、中国では「抗日戦争勝利記念」を祝った。今年から軍事パレードと化した式典には、日本を囲む主な周辺諸国の首脳が参加。演説に立った習近平は日本に対する恨みを口にした。中国でさらに日本に対する憎しみを露にする「国家哀悼日」や「烈士記念日」などが新たに制定され、今後、反日教育にも力を入れると言われている。慰安婦問題などの韓国側からの日本に対する恨(ハン)も深い。

恨み合いや憎しみ合いは、東アジアの国々が抱えている最大の不幸である。いつまでも隣人といがみ合い続けるような関係は辛い。心穏やかに過ごしたい。隣国とは仲良く出来ないからといって、日本にエンジンを付けて、仲良く出来る隣人を探して引っ越すことも出来ない。東アジアと共に生きるしかない。

2015年に日本は終戦70周を迎えた。世界を巻き込んだかつての戦争が無数の人間の尊い命と尊厳を奪った。当時を生きた全ての日本人は、直接または間接的に加害者と同時に被害者として戦争に巻き込まれた。70年前の日本は火と血の海だった。この国の人々だけが、2度にわたり世界で誰も経験したことがない原子爆弾投下によって想像を絶する脅威まで強いられた。言葉に出来ないほどの辛い経験をさせられ日本は、平和の尊さの最大の語り部としての使命を負わされた。

今年は、「終戦70周年」だけではなく「日韓国交正常化50周年」も重なり、周辺諸国との友好関係が芽生える年になると期待に胸を膨らませた人も多い。一年も折り返し時点が過ぎても期待に添うような雰囲気は全くと言って良いほど見受けられない。東アジア一円がむしろ期待とは真逆の方向に進んでいる。

「70年前の悲惨な映像」と「安保法案関連の映像」が交互に流れた今年のお盆の時期のテレビ映像。日本も憎しみの連鎖に乗っかろうとしているのかと、お盆に帰ってきた先祖もゆっくりは出来なかったのでは無いか、と思えてならない。隣国との関係を修復出来たら、日増しに膨張している軍事費を民の幸せのために使うことができ 、何よりも心安らかに過ごせる。

少なくとも東アジアにおける国家首脳の言動を見ると国家間の友好的な関係は築けそうになく、国家に任せてはならないられないと見せつけられているようにも思える。その点、国家を超えた民衆の交流は歴史も長く、こっちの方がよっぽど安定もしている。先に進んでいる大らかな民際交流を国家が助けるどころか、むしろ民衆の交流の足を引っ張っている。邪魔をするだけならまだしも、国家の枠組みに分かれて戦おうと民衆を煽っているようにも見える。国家の挑発にも誘惑にも乗ってはならない。民衆と国家とで友好関係構築の方法論が違うとは思わない。民際が出来てなぜ国際は出来ないのか。その点、国家首脳は民衆から学べることがとてつもなく多い。ましてや一国家首脳や一内閣の任期と比べ1人の人間の寿命の方がはるかに長い。そのため国家首脳などが去った後に民衆が尻拭いをしなければならないような痼りを任期中に作ってはならない。

終戦70周年、抗日戦争勝利70周年、日韓友好50周年を迎える今年。東アジアにとっての持続可能な関係性を作り上げるキーワードはないか。

ちょうど64年前の1951年9月4から8日にかけて開催されたサンフランシスコ講和会議でのスリランカ代表の演説。J.R.ジャヤワルダナは、ちょうど9月6日に壇上に上がった。

ブッダの言葉から「憎しみは憎しみによってではなく愛によってのみ消える」という言葉を引いて、日本への真の自由と独立の支持を諸外国に強く求めた。東アジアの憎しみに満ちた現状打破に向けての唯一のキーワードは外でもない。「憎しみは憎しみによってではなく愛によってのみ消える」である。

国家は、武器を持つ前にまずはぜひ「憎しみは憎しみによってではなく愛によって消える」と叫ぶ必要がある。国家同士が出来ぬなら民衆が代わりに叫ぶしかない。戦いをほのめかすこの国の首相と自分の考え方が違うことを世界に示すため「I am not Abe」というプラカードが日本で話題になった。いずれの国であろうとも、自分の首脳が国際的に平和を呼び掛けるなら、賛同するが、争いの言葉を口にするなら反対することが望ましいだろう。国家(国際)は戦いに向けて暴走すればするほど民衆(民際)は、平和や越境に力を入れる必要がある。

もしも国家としての日本が戦う方向に歩もうとするなら、(一応現時点での首脳の名前を使いますが、)日本の民衆は「I am not Abe」のプラカードを世界に見せる必要があろう。それこそ中国の民衆は「I am not Shu」と叫び、韓国の民衆は「I am not Pak」と叫ぶ必要がある。国家を越えた民衆の「平和的連帯」への「誘い水」を打つ役目は日本の民衆が担っているに違いない。

「憎しみは憎しみによってではなく、ただ愛によってのみ消える。」を日本の「終戦70周年の合言葉」に掲げよう。理想論に過ぎないと笑う者もいるだろう。理想論とは思わない。しかも理想を語らずして何を語ろうか。

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