京都、祇園祭のきゅうり売り少女

八坂神社の氏子や祇園祭の山鉾町の人びとは祇園祭の期間である七月いっぱいは胡瓜を食べない。しかし…

「祇園さんの御神紋が描かれた提灯。後ろには長刀鉾。筆者撮影(2017年7月16日)」

京都は、どこか日本人の心の基軸でもある。1200年の都、日本人の憧れの地である。京都の7月と言えば祇園祭。7月は、1ヶ月かけてこの街で祇園祭が行われる。中でも15日の宵々山、16日の宵山と17日の山鉾巡行が見所である。

2017年宵山の日の午後、京都は雨である。京都人にとっての祇園祭は、梅雨が終わり、本格的に暑い夏を迎える境目でもある。

6時前に雨が少し落ち着いた隙に街中に出かける。雨が止むのを待っていたかのように人が次から次に湧いてくる。アリの巣を棒でつついた時を浮かべてしまう。祇園祭の宵山は、どこか人が人を見に行っているようなものでもある。その数は京都府警の10時時点の発表で32万人である。冷静に考えられる力があれば、出かけたくはないが、しかし人はそれぞれの思いを胸にこの場に集まる。我が家などにとっては、客観的に見れば明らかに幼い子供を引き連れた親の勝手な思い出づくりである。

駅でいうと四条烏丸が祇園祭の宵山の中心地である。駅を出て地下から地上に上る。この界隈一帯が歩行者天国である。路上でも、通り沿いにも、軒先でも多くの店が出ている。日本の祭ならどこにでも見かけられるような食べ物が売られていて、どこも繁盛している。

「祇園祭の象徴でもある長刀鉾(筆者撮影)」

四条烏丸の交差点を東に入った北側に長刀鉾が立派に陣取って入る。まだ早い時間にも関わらず、歩行者天国の道が中々前に進まない。そして見る見る人が増えてくる。やはり長刀鉾は別格である。祇園祭の33の山鉾のある中でも特別な存在である。17日の山鉾巡行の順位はくじ引きで決まるが、長刀鉾はくじなどを引かず、いつも先頭を走る。鉾や山によっては、女性が登ったりすることが許されているが、長刀鉾は全く違う。登ることはもちろん、巡行の際の使う綱を女性に触らせないように徹底している。神事として祇園祭の伝統文化を守っている象徴の中の象徴でもある。

京都にとっても、祇園祭は偉大すぎるほどの大きな存在であり、年間行事の中でも最大であると言っても過言ではない。祇園祭にかける思いや願いと共に町衆が自ら律することも少なくない。

祇園祭の祭神は言わずして通称祇園さん、つまり八坂神社に祀られている素盞嗚尊(スサノオノミコト)や牛頭天王である(神格は別物ではなく同一との説も)。京都人は、祭神や神の在り処の神社に対して最大限に敬意を払うことは言うまでもない。

京都人の気の配り方は実に細かい。神社の紋にまで思いを馳せる。八坂神社の御神紋は二つ、一つは左三つ巴ともう一つは五瓜に唐花紋である。五瓜に唐花紋は祀神である、素盞嗚尊と牛頭天王を表す紋。家紋の文様が、卵の入った鳥の巣の様子に似ているということから転じて、子孫繁栄を意味する家紋として使われていた側面もある。この御神紋は胡瓜(キュウリ)の断面に似ていることから、八坂神社の氏子や祇園祭の山鉾町の人びとは祇園祭の期間である七月いっぱいは胡瓜を食べない。

私も、30年近く祇園祭に出かけているが、例えば、この時期のどこの祭でも大人気の品である棒に刺された冷やし胡瓜は見当ることはない。そんな中、今日の宵山で驚いたのは「京野菜きゅうり」の看板を見た時であった。浴衣姿の若い女性数名で、「キュウリいかがですか」と叫んでいる。

「祇園祭で胡瓜(筆者撮影)」

場所もまた実に微妙で、祇園祭の象徴たる長刀鉾の直ぐ側で、鉾から僅か2メートルも離れていない。その目と鼻の先で長刀鉾の粽を売っているような場所である。

意外な光景を目にした私は思わず、店員の女性に

「胡瓜、食べたらあかんとちゃうん?」(笑)

「大丈夫です!」

「あかんやろう?」(笑)

「あっ、詳しいですね。なんで知ってるん?」

それ以上は、会話しなかった。それにしても目の前で起きているこのことをどう解釈すれば良いのか。

京都の世代交代なのか?、文化が継承されていないのか?それともよそものか?、誰か教えてやる人はいないのか?...

しかし、知ってか知らずかは知らんが、実際には売れている気配はない。。何より売値の250円の値札にバツが書かれていて、「100円でどうですか?」と呼び込みしている。せめてもの心の救いは、100円まで値下がりしても、手を伸ばす人はいなかったように見えたことである。

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