続「老いる力」 -「あそび」のある多様な価値社会に向けて!

モノの見方を多様にする「老いる力」は、アバウトでいい加減に生きる「あそび」の力でもある。それは今日の日本の社会デザインにも有用ではないだろうか。
Eriko Koga via Getty Images

今年10月、美術家であり作家の赤瀬川原平さんが亡くなった。77歳だった。98年にベストセラーになった『老人力』(筑摩書房、1998年9月)を記憶されている方も多いだろう。

「老人力」とはいかなる「力」なのか。それは「反努力の力」だという。眠ろうと努力すると眠れない、忘れようと努力すると忘れられない、眠ることも忘れることも努力をもってしては到達できないのだ。怠けることではない「努力しない力」が、眠りや忘却を実現する「老人力」ということになるのだろうか。

私は、先日の本欄の『老いる力』(11月4日)に、従来の「成長」という価値観に縛られずに、多様な生き方を発見することが「老いる力」かもしれないと書いた。『老人力』の中にも、「老人力」は老人に残された力という誤解があるがそれは「力の変化」だとある。

柔軟に「力の変化」に対応できれば、「老いること」が自己の衰退ではなく、人生を2倍楽しく生きることにつながるのではないだろうか。

モノの見方を多様にする「老いる力」は、アバウトでいい加減に生きる「あそび」の力でもある。それは今日の日本の社会デザインにも有用ではないだろうか。

日本では、論理的、効率的、合理的なことばかりに目を奪われ、直感や非合理性などの要素を加えた多元的視点が薄らいでいるようにみえる。現代社会は「あそび」を失っているのかもしれない。

「老人力」はいい加減が重要な要素だが、そこから冗談が蒸発したらいわゆる老人パワーにすり代わってしまうと『老人力』にも書かれている。

社会にとって「ゆとり、余裕」という意味の「あそび」は必要不可欠だ。車にはハンドルやブレーキに「あそび」があり、急激にそれらを操作してもいきなり車が方向を変えたり急停止したりしないのだ。そうして、車の安全性を高めているのである。

効率性を最優先してゆとりをまったく排除した「あそび」のない社会は、あたかも自動車の急ブレーキ・急ハンドルのように、とても危険なものになってしまう恐れがあるのである。

「老いる力」とは多様性を発見し、「あそび」を生み出す力だ。組織や社会は人材構成が多様であるほど活性化し、「あそび」が加わることで安全性と安心感が増す。

日本は石油資源である「オイル力」には乏しいが、超高齢社会が有する「老いる力」は豊富だ。老若男女を問わずに賦存している「老いる力」は、とりわけ高齢者に多くが見込まれる。

今後、老いる国・日本が成熟社会として発展してゆくためには、膨大な埋蔵量が期待される「老いる力」を発掘し、有効に活かすことが極めて重要だと思う。

老人よ、既成概念にとらわれず柔軟に思考できる「老いる力」を鍛えようではないか!

関連レポート

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 主任研究員

(2014年11月17日「研究員の眼」より転載)

注目記事