一研究員としての感想~科学における過去の不正事件を振り返り反省する

科学における不正事件といっても様々なものがあって、他の分野に共通するものもあるが、特徴的なものというと、論文の盗用、データ捏造・改ざん、研究費不正、アカハラ、等だろうか。

理化学研究所におけるSTAP細胞の研究をめぐる動きがいまだ続いているところである。外部のわれわれにとっては、報道されるもの以上の情報も知りえないので、ここでそれを論じる資格もない。

とはいえ、筆者も研究所という名のつく機関で研究・調査を行って、こうしてレポート等を出している。また、もともと科学分野に興味があることもあり、この機会に、過去の科学における不正事例について振り返ってみて、今後の教訓になるものがないかと考えてみたしだいである。

科学における不正事件といっても様々なものがあって、他の分野に共通するものもあるが、特徴的なものというと、論文の盗用、データ捏造・改ざん、研究費不正、アカハラ、等だろうか。

また、一口に科学といっても様々な分野があって、事件の起きやすい分野もあるようだ。例えば、数学などは一般には実験もなく、紙と鉛筆だけあれば原理的には検証できるからか、不正な事案といっても、履歴書などでアピールする論文数を間違えた、という程度の事例しか見つけられなかった。

一方、物理学になると理論とともに実験が重要になるので事例も増えてくるが、なんといっても医学・薬学いわゆるバイオ関連分野での事例が突出して多いということのようだ。これは実験の対象になるのが「生き物」なので、再現性をはじめとして実験が大変難しいということもあるし、実用化をめざす医薬品などの産業と強く結びついているので、人間関係やお金の問題に巻き込まれやすいという面があるようだ。

現在進行中の事例は、評価も定まっていないものも多々あるようなので、過去の物理学分野の事件をひとつ例示してみる。

2000年ごろ、米国の、ノーベル賞受賞者も多数輩出しているベル研究所という機関で、ひとりのドイツ人研究者が超伝導という分野で、他の研究者との共著も含め、画期的な論文を立て続けに発表したというところから話は始まる。これが、「ネイチャー」や「サイエンス」といった世界的に権威ある科学雑誌に掲載され、さらには権威ある数々の科学賞も受賞した。ついには、ノーベル物理学賞も確実とまで言われるようになった。そしてドイツで最も有名なマックスプランク固体物理研究所の共同所長という肩書きまで手に入れる。

この間世界中の研究機関が検証実験を試みていたが、どこも成功したことはないまま、彼ひとりの実験手腕だけが神格化されるような状況であった。ところが2002年9月、発表されてきた多くの論文に、意図的な不正行為があるのではないかとの告発がなされた。

ベル研究所では、外部の研究者を主とする調査委員会を設置し、本人はもちろんのこと、関係者への聞き取り調査などを行った。聞き取り調査においては、その研究者は、「論文では見栄えがいいようにグラフをきれいに均した」「そこは実験にはつきものの単純なデータの取り違え」「物理現象は実際に起こった。チャンスがあれば再現できる」という説明を行い、最後まで意図的な不正を認めることはなかったようである。

また、論文の共著者の中には同じ分野で既に高い業績を挙げている大物も名を連ねていたりしたが、実際には自ら実験に立ち会うことなく名前を貸しただけ、あるいは実験の一部を分担していただけで、論文全体のことは知らなかったという研究者もいたようだ。(最近どこかで聞いたような話の展開ではあるが。)

調査の結果、多くの論文に不正が認められ、2002年9月当該学者は研究所を解雇された。

データの捏造というのは、実に古くからあるらしい。19世紀のメンデル(オーストリア)のエンドウマメの実験(遺伝法則の提唱)、20世紀はじめのミリカン(米国)の油滴実験(電気素量の発見)などは、大学の入試問題にも頻出する有名な実験であるが、これらも今日の目でみると「都合のいいデータだけを選びとった、という捏造」という評価もあるようだ。

以前は、「雑多なデータの中から法則性を見抜いたことが優れた業績なのだ」と聞いていた気もするが、あるいは、その時点では実験の詳細が不明だったものか。いずれにしても正しい結果であったので、歴史に名を残す業績となった。現在では評価基準も厳しくなったのであろうか。

こうしたことの起こる背景には、研究者個人として一番乗りでなければ意味がないという競争、研究者の職を得たりまたは地位を維持するためのアピール、研究予算を獲得する必要性、などもある。また、その個人の所属する組織が、名声や予算確保のために多大なプレッシャーをかけていることもあろう。ましてや民間企業の研究所の場合には、収益をあげなければならないという圧力も加わってくるから、なおのことである。

研究者がおかれたこの厳しい状況を示すのに、下記参考文献名にもあるが、

「Publish or Perish(論文を発表するか死か)」

という言葉が1940年代ごろから使われているとのことで、問題は今に始まったことではないようだ。

先にあげたベル研究所の事件の詳細等、過去の事例などは、こうした小文ではとてものせられないが、以下の文献には多く紹介されており、それを参考にさせて頂いた。相当以前からこうした科学分野の不正事件が研究され反省される中で、なお様々な事例が同じような展開をたどって繰り返されていることには少々驚いた。

専門的な内容はもちろん門外漢には理解できないし、筆者の現在の職務にもほぼ無縁だが、こうした個人の「出世欲」や、所属する組織の維持発展のために、研究者への大きなプレッシャーがあるということは共通しているようで、そのあたりは肝に銘じておかねばならないことと感じた。

(主に参考にさせて頂いた文献)

「論文捏造」 村松秀 2006 中公新書ラクレ

「パブリッシュ・オア・ペリッシュ 科学者の発表倫理」 山崎茂明 2007 みすず書房

「科学研究者の事件と倫理」 白楽ロックビル 2011 講談社

「科学の罠 過失と不正の科学史」 アレクサンダー・コーン 原著1986 日本語訳1990工作舎

株式会社ニッセイ基礎研究所

保険研究部 主任研究員

(2014年5月14日「研究員の眼」より転載)

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