自動運転の普及のために大切なこと-完全自動運転が普及した社会とまちづくり。その8:研究員の眼

そもそも完全自動運転の普及になにが重要になるのだろうか?
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そもそも完全自動運転の普及になにが重要になるのだろうか?

そのためには、まず完全自動運転の前に、望ましい移動手段とは何かを考える必要がある。日頃利用している移動手段を振り返ってみて、どの移動手段が自分にとって最もよいと思うだろうか?そして、その移動手段はなぜよいと思うのか?

そのようなことをつらつらと考えたときに思い浮かんだのは、「自由」、「経済性」、「楽しい」という言葉だ。自由は、いつでも、どこでも好きな場所に移動できること。経済性は、移動にお金が掛からないこと。楽しいは、文字どおり移動自体が楽しいとか、移動中楽しく過ごせるといったことである。

この3つを評価軸に、既存の移動手段を評価してみるとどうなるだろうか。自家用車、自転車、タクシー、路線バス、電車それぞれについて、1~3点で評価する。筆者は下表のように評価した。こうした評価は人によって違ってくるだろう。特に楽しさの基準は振れ幅が大きいと思われる。それに比べ経済性や自由度は、それほど違いが出ないのではないかと推察する。

筆者の場合ここでは自転車が最も高得点であったが、実はこれら以外に一つだけ満点があった。それは「徒歩」である。

徒歩は自分の意思でどこにでも行ける。狭い路地でも、山道でもオーケーだ。駐車場はいらない。お金は掛からない。散歩であれば楽しいし、好きな人と一緒だともっと楽しい。

もちろん体力に応じて移動距離の制約はあるし、暑かったり寒かったりすると散歩でもつらいことがあるので、これも人によって評価は異なるだろう。

本当のところこれら既存の移動手段の評価を論じたいと思っているわけではなく、いったいすべてが満点となる移動手段があるかどうかを知りたいのである。なぜなら、完全自動運転もすべてにおいて満点をめざす必要があると考えるからだ。

その点で、完全自動運転の移動サービスは、自由度は満点を期待できる。狭い路地でも、山道でも走行可能な様々なモビリティが提供されると期待できるからだ。

楽しさは満点以上を期待できる。移動中運転手のことを気にすることなく自由に過ごせるし、社内全体がシアターになってサッカー観戦しながら移動するといったこともできるようになるだろう。

問題は経済性である。現在の路線バスやタクシーのように運転手が必要なくなれば、その分料金が低くなることは期待できる。ただし、それで十分だろうか?完全自動運転の移動サービスがめざす社会は、移動に対する制約がなく、誰もが「自由」に出かけることができる社会でありたい。

そうであるならば、移動にエンドユーザーが支払う料金は無料に近くなければならない。その上で、各自が注文した「楽しみ」の部分に対して相応の料金を支払う。このようになれば、完全自動運転は本当に社会に広く普及するだろう。

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(2018年3月30日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

社会研究部 准主任研究員

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