二十四節気と雑節-月と太陽の折り合いだとか:研究員の眼

節分は本来、立春・立夏・立春・立冬それぞれの前日だったのだが、現在は立春だけが生き残っていて...

何も、立冬(11月7日)、小雪(11月22日)を過ぎたからといって、11月に雪が積もられると、日常生活でいろいろ困ることがある。

そういえば毎年、立春(2月4日)を過ぎて「暦の上では春」と言われてもまだ寒く、とてもそういう実感がわかないのが普通だろう。

「暦の上では」という言葉のもとになっているのが、「二十四節気」というものである。

夜空をみれば、恒星が無数に輝いていて、星座をなしている。それらはお互いの位置をほとんど変えないまま、毎日東から上って西に沈んでいく。

そして星座たちを背景として、太陽や月、惑星が動いていくように見える。すると1年で太陽は天球を1周して、同じ背景に来る。(むしろ背景の星座が一周する、というほうが見える実感かもしれない。今太陽のいる星座は、昼間なので見えない、というのがややこしいが。)

古代の人々には、自分を中心にして、そんなふうに見えていただろうが、現代では太陽の周りを地球が回っているとわかっているので、春分日を出発点にして地球が太陽を一周するところを想像するほうが手っ取り早いだろう。

この円周上の位置を表す角度のことを太陽黄経と呼び、春分日を太陽黄経0度として、円周360度を24等分した15度ごとの地点(というか日付)に名前を付けたのが、二十四節気である。

それは一年365日を24分割することとほぼ同じことになるので、およそ15日ごとに名前を付けたものになる。

次の表のとおりである。祝日でない(休日でない)日がほとんどなので、気がついたら過ぎている日も多いなど、認知度にも差があるだろう。

さて、どのようにして、このようなものができてきたのかというと、2つの暦、太陽の動きをもとにした太陽暦と、月の動きをもとにした太陰暦、の調整ということになるようである。

月の動きをもとにした太陰暦では、1ヶ月が29.5日となる。月の満ち欠けが印象的で数えやすいというメリットはあるのだが、12か月たっても354日にしかならない。

ということは、放置すると月日と季節感がずれていくことになり、それだけを使うと、同じような気候(具体的にはこの季節に種を撒くとか、田植えをする、など。生きることに切実に関係する。)の日付が、「去年は5月に田植えだったが、今年は6月だ」などということが起きてしまう。

季節感は太陽の周りをまわる地球の位置によるので、太陽暦のほうがふさわしい。

ということで、太陽の天球上の位置をもとに、なん月というのとは別に、季節をあらわす日を決めたのが、この二十四節気である。そして、「月の12ヶ月」354日と「太陽の1年」365日のズレについては、設定方法の詳細は省くが「うるう月」というものを設けて、規則的に解消していた(太陽太陰暦)。

なお、明治以降の日本では太陽暦を採用しているので、二十四節気は毎年ほとんど同じ日付となっている。(ちなみに、逆にいうと、月のカタチは日付ではわからなくなっている。三日月は毎月3日ではないし、十五夜は15日ではない。それが一致するのが太陰暦である。)

24ある日の中で、春分、秋分、夏至、冬至は「二至二分」といって特に重要な目印となる。日本では春分日、秋分日は祝日である。

上表では、それぞれの意味として、国立天文台による解説を引用させて頂いた。だいたい名が体をあらわすことになっていそうだ。

そのさらにもとの資料となると、江戸時代に太玄斎によって書かれた「こよみ便覧」によるそうだ。この中では例えば、

啓蟄:陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出れば也

などと書かれている。

ただし、そもそもの起源は、古代中国の黄河流域の気候がもとになっているということで、日本にはそのままあわないものもあるようだ。(特に、「立秋」は全然あってないと思うのだが。)

もうひとつ、「土用」とか「節分」とかいう、雑節(ざっせつ)というものがある。これも季節の変化に対する、農業などに関わる生活の知恵に由来して、設けられた日である。

土用というのは年4回ある。これは中国の五行説(ごく簡単にいうと、「万物が木、火、金、水、土の組み合わせ」と考える説)と四季を組み合わせて、春―木、夏―火、秋―金、冬―水と当てはめ、季節の変わり目を少しずつ集めて「土」にあてはめたものとされている。

その日からそれぞれ立春・立夏・立春・立冬の日までの期間を土用と呼ぶ。

土用といえば、「土用の丑の日」であるが、これは土用の期間にくる丑の日(各日に子、丑、寅・・・の十二支を当てはめたもの)のことで、夏のこの日は、うなぎを食べる日として有名だが、これは江戸時代に鰻を売るためのキャッチコピーとして平賀源内が言ったとされ、そんなに古い話ではない。(現代にいたるまで生き残っているのだから大成功であろう。)

節分は本来、立春・立夏・立春・立冬それぞれの前日だったのだが、現在は立春だけが生き残っている。彼岸、は春分・秋分を中日とした7日の期間である。

八十八夜は、立春から88日めで、夏は近づくが晩霜に注意の目安とされた。二百十日は台風に注意、である。

入梅は80度の位置で、梅雨の季節である。半夏生(はんげしょう)は、100度の位置で、さらに季節を細かく72に分けた「七十二候」の一つが生き残ったものである。田植えを終わらせる目安とされた。

さて、冒頭の話しに戻るが、「立春」は「春の気たつをもって也」(こよみ便覧)、「寒さも峠をこえ、春の気配が感じられる」(国立天文台)のであって、今日から急に暖かくなる・・・わけではないのだ。

また、江戸時代に、今でいう天文学者の渋川春海が、八十八夜や二百十日を廃止しようとしたが、訴えをきいて残した、とか、2011年頃日本気象協会が、日本の現代の実態にあわせて二十四節気を改定しようという試みもあったそうだが、うまく行かなかったと聞く。

少々実態にあっていなくても、日常生活に根づいた慣習はなかなか消せないようである。

この原稿が出る翌日は12月7日「大雪」で、これは話題に上りにくい?その次は12月21日(これは2016年と2017年で日付は異なる。)、今年最後の二十四節気「冬至」、これはニュースでもよく取上げられていそうだ。

(*1) 国立天文台ホームページ http://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/faq/24sekki.html

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(2016年12月6日「研究員の眼」より転載)

株式会社ニッセイ基礎研究所

保険研究部 主任研究員

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