中京テレビ問題を通して考える訂正謝罪放送のあり方

中京テレビのニュース・情報番組「キャッチ」で、藤井美濃加茂市長への贈賄供述者に対する判決の報道において重大な誤報があったことを指摘し、放送内容に対しても批判した。
時事通信社

1月21日の当ブログ【美濃加茂市長事件に関する中京テレビの「重大な誤報」】で、中京テレビのニュース・情報番組「キャッチ」で、藤井美濃加茂市長への贈賄供述者に対する判決の報道において重大な誤報があったことを指摘し、放送内容に対しても批判した。このことを受けて、中京テレビは、同日午後4時半過ぎ、同番組の中で、訂正謝罪を行った。

以下が、その訂正謝罪放送での発言内容である。

【ナレーション】

先週の金曜日、岐阜県美濃加茂市の市長への贈賄罪や別の事件での詐欺罪などに問われた会社社長への判決のニュースをお伝えしましたが、その中で一部訂正があります。

起訴状などによりますと、水道機器販売会社社長の中林正善被告は、おととし、美濃加茂市長の藤井浩人被告に対して、市内の中学校に雨水のろ過設備を設置する見返りに現金合わせて30万円の賄賂を渡したとして贈賄の罪などにも問われています。

また、美濃加茂市などから工事を請け負ったとするうその書類を銀行に提出するなどして、融資金合わせて6100万円をだまし取った詐欺罪なども問われています。

これまでの裁判で、中林被告は起訴内容をいずれも認めていて、先週金曜日、名古屋地裁は、社会に大きな影響を及ぼし、刑事責任は重いなどとして、問われた罪をすべて認定。合わせて懲役4年の判決を言い渡しました。

【キャスター】

「この裁判の贈収賄事件についてなんですけれども、この中林被告の有罪判決が、全面的に無罪を主張しています美濃加茂市長の藤井被告の判決に影響するのかどうか、先日のニュースの中で、中林被告と藤井被告の裁判は別々に行われていまして、裁判官も独立しているので、中林被告の有罪判決が藤井被告の判決に影響を及ぼすことはないとお伝えしました。

つまり、証拠も別で、独立した裁判のわけなんですね。

この部分は正しいんですけれども、ただ、その後のコメントで、これまでの贈収賄事件で、送った側が有罪で、受け取った側が無罪という例はない、とお伝えしました。

しかし、これについてはですね、贈賄側が有罪で、収賄側が無罪というふうに異なる判決が出て、確定したケースがあることが分かりました。

この点訂正して、お詫びいたします。

失礼いたしました。

なお、藤井被告の判決は、3月5日に言い渡される予定です。

私が、同放送について指摘した主な問題は、(1)判決は融資詐欺と贈賄に対するものであるのに、融資詐欺をほとんど無視し、30万円の贈賄の事実だけで懲役4年の実刑判決が言い渡されたとしか思えない報道であること、(2)「藤井判決に影響を及ぼすことはないことの理由が、裁判官に独立性が保障されていることが中心で、中林は公判で贈賄事実を全面的に認めており、収賄事実を全面否認する藤井市長の主張を踏まえた審理は行われておらず、藤井公判とは証拠が全く異なることに一切触れていないこと、(3)「贈収賄事件で贈った側が有罪で受け取った側が無罪という例がない」という、事実に反する発言をしたこと、の3つである。

中京テレビの放送では、このうち(3)について訂正と「謝罪」を行ったほか、(1)については、当初の放送では述べていなかった「美濃加茂市などから工事を請け負ったとするうその書類を銀行に提出するなどして、融資金合わせて6100万円をだまし取った詐欺罪にも問われていること」についても述べ、(2)については、「証拠も別で独立した裁判のわけなんですね。」と述べた。

一応、私のブログでの指摘に応える内容になっており、当初から、この内容の放送が行われていたら、私が問題を指摘することはなかった。

しかし、訂正放送は、ゼロからの放送ではない、中林の判決に関して、事前の要請文によって、誤解を与えないように要請されていたにもかかわらず、それをほとんど無視した放送を行い、視聴者に重大な誤解を与えたと指摘されたことを受けての対応である。

そういう意味では「訂正謝罪」が十分なものだったとは到底言えない。

まず、(1)の点については、贈賄だけで懲役4年に処せられたかのような誤解を与えた。

「訂正謝罪放送」では、贈賄だけではなく、融資詐欺も含めて懲役4年の判決だったと述べている。しかし、それは、当初の放送の言葉を訂正するものでもないし、それについて「誤解を招いたこと」を認めるものでもない。当初の放送で、「贈賄で懲役4年になった」というイメージを持った視聴者は、同じ判決のことを再度報じられても、前の放送と何が違うのかがわからないので、当初の印象が変わることは考えにくい。

(2)の点についても、「訂正謝罪放送」では、確かに「証拠も別で独立した裁判」と言っている。しかし、これだけでは、なぜ、中林被告の有罪判決が藤井被告の判決に影響を及ぼすことはないのかを理解できる視聴者は少ないであろう。

そして、何より重要なことは、「贈賄だけで懲役4年の有罪判決が出たように報じることで、視聴者に対して、贈賄者以上に厳しい有罪判決が藤井市長にも出されるような印象を与えることに問題があり、贈賄側有罪・収賄側無罪の判決が今まで例がないという明白な誤りも、単なる過誤ではなく、そういう方向に報じる材料を集めようとした結果としか考えられない」という指摘に対して、何も答えていないことだ。

【美濃加茂市長事件に関する中京テレビの「重大な誤報」】で引用した当初の放送の内容について、報道局長名で「特に問題ないと考えております。」と回答した中京テレビは、その点の問題が全く理解できていなかったとしか思えない。そのような理解のレベルのままで、明白な誤りだとわかった「贈賄側有罪・収賄側無罪が今まで例がない」という点だけを訂正しても、視聴者に与えた誤解や誤った印象を解消することにはならない。

ここに、訂正謝罪放送の在り方に関する根本的な問題がある。

私は、拙著「『法令遵守』が日本を滅ぼす」などで、かねてから、「法令遵守」の考え方から脱却し、コンプライアンスを「法の趣旨・目的と、その背後にある社会的要請に応えること」ととらえるべきとの持論を述べてきたが、その中で、「放送事業者のコンプライアンス」と「放送法の法令遵守」の関係について。以下のように述べてきた。

公共の電波を用いて行われるテレビ放送の内容は社会に大きな影響をもたらす。それが真実に反し、名誉や信用を害するものであれば、被害は甚大である。免許を与えられている放送事業者に高度な真実義務と倫理が要求されることは言うまでもない。影響の大きさからすると、意図的な虚偽・捏造に対して重い罰則や行政処分が用意されていてもおかしくない。

しかし、一方で、放送内容への国家の介入は、憲法が保障する表現の自由、報道の自由を侵害するので、極力慎重でなければならない。そのため、放送法は、真実でない事項の放送による権利侵害について、放送事業者に、被侵害者の請求によって「事実を調査する義務」と、「真実ではないことが判明した場合に訂正放送を行う義務」を定め(同法4条)、義務違反について50万円以下の罰金という極めて軽い罰則を設けている。「請求があったのに調査しないこと」、「真実に反すると判明したのに訂正放送しないこと」は違反になるが、監督官庁には調査権限も与えられていないので、放送事業者が調査を行いさえすれば、放送事業者自ら真実に反することを認めない限り、同法違反に対して電波法が定める電波停止や免許取消しの処分は、発動しようがない。

そのため、放送内容が事実に反すると指摘された際の放送事業者の対応は、「放送法の法令遵守」という観点からは、「請求があったら必ず調査は行い、その上で、真実に反していないと言い続ける」という態度になりやすい。

実際に、放送内容が事実に反することの立証は困難な場合が多いので、放送事業者としては、そのような態度を取り続けることで、「真偽不明」に終わり、訂正放送を行わなくても済むことが多いのである。

2007年1月に表面化した、不二家の消費期限切れ原料使用問題で、TBSの番組「みのもんたの朝ズバッ」で、半月以上もの間、一日平均15分以上も「不二家バッシング」の放送を垂れ流していたが、その中には、事実に反するもの、事実を歪曲するものが多数あった。

連日のバッシング放送によって、不二家は全製品の製造・販売停止に追い込まれ、フランチャイズチェーンの20%が倒産・廃業に追い込まれた。

当時、不二家信頼回復対策会議の議長を務めていた私は、その中の一つの「消費期限切れチョコレート再利用スクープ」がインタビュー映像の「すり替え」によるねつ造である疑いを掘り起し、発足したばかりだったBPO放送倫理検証委員会にも審理要請を行うなどして、朝ズバッの不二家バッシングの放送倫理上の問題を追及し、事実に反する放送、ねつ造疑惑についての調査に終始消極的だったTBSを徹底的に批判した。

そして、この問題に関連して、その頃、国会で審議されていた放送法改正案に関して、衆議院総務委員会で参考人として意見陳述を行い、「放送の自由の尊重と真実性の確保という二つの社会の要請を両立させるため自律を重視するのが放送法の趣旨・目的であり、そこで放送事業者に求められるのは、自主的に真実を明らかにして放送内容を検証するための調査体制の整備である。監督官庁が果たすべき役割は、体制整備を指導支援することであり、放送内容への直接的な調査や介入ではない。」との意見を述べた。

放送内容に対する国家の介入を排除し「放送の自由」を守るためには、放送事業者が、放送法の「法令遵守」を超えて、事実に反する報道について自主的に調査し、社会の要請に応える姿勢を持たなければならない。このことは、新聞にも寄稿し(【法令順守をはき違えるな】朝日「私の視点」)2007年5月17日)、著書でも、再三にわたって取り上げてきた(【思考停止社会】(講談社現代新書)179頁以下)。

「事実に反する放送」について指摘を受けた際に放送事業者がとるべき対応は、決して放送法の「法令遵守」だけにとどまるものではない。それと同様のことが、「事実に反する放送」であることが判明した場合の訂正放送の在り方の問題についても指摘できる。

事実に反する放送を行ったことが否定できなくなった場合、その「事実に反していた部分」を訂正する放送を行いさえすれば、放送法上は問題ない。

しかし、そのような「法令遵守」の観点からの「局所的な訂正」で、本当の意味で、放送事業者として社会的要請に応えたと言えるだろうか。誤った放送が行われる背景には、多くの場合、番組の編成、編集上の問題、取材の方向性、姿勢の問題などがある。そのような点も含めて、視聴者に誤解を与えたり、誤った印象を与えたりしたことの原因を明らかにし、それらを全体として解消し、是正していくことが、放送事業者の真のコンプライアンスである。

中京テレビの今回の「訂正放送」は、「放送法の形式的な法令遵守」という面からは、事実に反する部分が訂正されている。しかし、当初の放送で視聴者に与えた誤った印象や誤解を解消しないままであることは、「公正かつ客観的な報道を行うことで、世の中の事象を視聴者に正しく伝える」という放送事業者のコンプライアンスの側面からは、いまだに重大な問題が残っていると言わざるを得ない。

昨年6月24日に藤井美濃加茂市長が逮捕されてから半年余にわたり、弁護人の立場から、公正かつ客観的な報道・対等報道の要請を続けてきた。

市民の代表者として同市の行政を担う現職市長が、容疑事実を全面的に否定し潔白を訴える事件であるだけに、「推定無罪の原則」の下での報道の在り方が大きく問われる事件であったが、全体として、旧来の「犯人視・有罪視報道」の悪弊を改めたとは到底言えない報道が多く、この種事件の報道の在り方に大きな課題を残したと言って良いであろう。

3月5日午後に言い渡される予定の藤井市長に対する判決を踏まえて、これまでの報道についても検証してみる必要がある。

(2015年1月26日「郷原信郎が斬る」より転載)

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