「白紙領収書」問題の根本は、議員間の現金授受という「不透明な慣行」

政治資金パーティーにおける国会議員間の現金授受という「不透明なやり方」を改めることが、今回の「白紙領収書」問題の根本的な解決方法である。

10月6日の参議院予算委員会での答弁で、菅義偉官房長官と稲田朋美防衛大臣が、政治資金パーティーの会費を払った際、白紙の領収書を受け取り、自身の事務所関係者が金額などを記入していたことを認め、「多くの出席者がいるパーティーで主催者側が短時間に領収書を作ることは難しい。互いに面識のある主催者と参加者との間においては、主催者側の了解の下、いわば委託を受けて参加者側が記載することがしばしば行われている。」などとして、事務処理上の対応だと説明した。

そして、政治資金規正法を所管する高市早苗総務大臣は、「領収書の作成方法を定めた規定はなく、主催者から了解を得ていれば法律上の問題は生じない」と答弁した。

これに対して、毎日【白紙の領収書 政治家の非常識に驚く】読売【政治資金領収書 法の適正運用へ手間惜しむな】に加え、一般的には「自民党寄り」の記事・論説が多い産経新聞までもが、社説で【白紙の領収書 非常識がまかり通るのか】などと厳しく批判している。

自民党は、当初は「問題ない」とし、「細かいことばかり取り上げないでほしい」(二階幹事長)としていたが、11日になって、安倍首相が、国会で「国民に疑惑をもたれないようにしなければならない」と答弁し、幹事長名で、会場の受付で金額など必要事項を記入した領収書を交付するよう求め、混雑して交付が難しい場合は、事後に金額などを記載した領収書を届けるよう要請する通達を出した。

そもそも、「領収書」というのは、金銭を受領した側が、その受領の事実を証明するために金銭を支払った側に交付する書面である。最も重要な要素である「金額」を記入せずに渡して、支払った側に記入してもらうのでは、「領収書」をやり取りする意味がない。政治資金規正法が認めている国会議員の政治資金パーティーで、「白紙領収書」のやり取りという「非常識なやり方」が横行していること自体が、厳しい社会的批判を受けるのは当然と言えよう。

しかし、この問題に関して、“「白紙領収書」は、政治資金規正法上の領収書とは認められないので、違法だ”、“支払者が金額を書くのは私文書偽造の犯罪に当たる”などと言われていることや、富山市議会の政務調査費の不正請求で「白紙領収書」が使われていたことが引き合いに出されたりするのは、明らかに誤りだ。そのような的外れの批判は、かえって、この問題の根本を見過ごすことにつながる。

白紙領収書の違法性

まず、政治資金パーティーでの「白紙領収書」のやり取りが「違法」なのかどうかという点だが、領収書というのは、金銭の授受を証明するための手段であり、「文書」である以上、その記入を作成者が他人に代行させることは可能だ。

支払者自身が正確に金額を確認して記入するよう委任することも、「領収書」の本来の趣旨には反するものではあるが、金銭授受の客観的事実に誤りがないのであれば、それ自体が法律上の問題になるわけではない。

政治資金規正法に、「領収書の作成方法」に関する規定があり、支払者側が記入することが禁止されているのであれば、政治資金の処理に関して白紙で交付された領収書を用いることは違法となるが、そのような規定がない以上、政治資金規正法違反の問題は生じない。また、作成者の承諾を得て、他人が文書を作成した場合に、「偽造」の問題が生じないのは当然である。

地方議会での政務調査費の不正請求に関して「白紙領収書」が使われていた問題は、金銭授受の事実がないのに、それがあるかのような「虚偽の領収書」を作成していた問題であり、稲田・菅両氏が認めている「白紙領収書」の問題とは異なる。

白紙領収書の客観面での「不適切さ」

しかし、法律上問題ないからと言って、すべてが是認されるわけではない。政治資金問題等で都知事辞任に追い込まれた舛添氏の「政治資金による中国服購入」と同様に、「違法ではないが不適切」なものもあるのであり、その「不適切さ」のレベルは、事案によって異なる。政治資金パーティーにおける「白紙領収書」のやり取りの「不適切さ」のレベルがどの程度のものなのかを、まず考えてみる必要がある。

「白紙領収書」の「不適切さ」には、客観面の問題と主観面の問題とが考えられる。

客観面の問題というのは、事実とは異なる金銭授受が作り上げられ、それが、脱税・詐欺・不正請求等の手段に使われる恐れがあることである。

金銭の授受の客観的な事実を領収書以外の方法で証明できるが、何らかの理由で形式上「領収書」が必要な場合などは、白紙のままやり取りされたとしても、客観面での「不適切さ」のレベルは低い。例えば、銀行振込による支払いをした場合について、形式上「領収書」の提出が必要な場合、予め「白紙領収書」を渡しておいて、支払者の方で送金手続を完了した段階で、自ら金額を記入するというやり方をとったとしても、客観的事実と齟齬が生じる可能性はほとんどない。

また、“現金受領時に金額を確かめずに白紙領収書を渡し、その後に、受領者の方で金額を確認した上で、その金額を支払者に連絡して、金額の記入を代行してもらう”というやり方をとった場合には、受領者側で、確認した金額を記載した領収書の「控え」を作成するはずだ。支払者が「白紙領収書」に記入した金額が、その「控え」の記載と一致しているのであれば実質的な問題はない。

要するに、領収書の記載と「支払の客観的事実」との一致が担保されているのであれば、客観面での「不適切さ」のレベルは低いのである。

そこで問題となるのが、政治資金パーティーでの国会議員間の「白紙領収書」のやり取りに関して、「支払の客観的事実との一致」が担保されていると言えるかどうか、逆に言えば、「白紙領収書」のやり取りが、事実とは異なる金銭の授受があったかのような政治資金の処理、すなわち「不正の手段」に使われる可能性がないかどうかである。

この点に関しては、「政治資金パーティー」という政治資金集めの手段が、政治資金規正法が認める方法の中で、年間5万円以上の場合が全て収支報告書で公開される寄附(いわゆる「政治献金」)と比較して「不透明な手法」であることとの関係が問題となる。

政治資金パーティーの収入に関しては、一件20万円までの対価(会費)の支払は、政治資金収支報告書には、個別に記載する必要はなく、パーティー収入の総額のみ記載されれば良いことになっている。

個別に支払われた会費の金額が、収支報告書に記載されて公開されないという匿名性・不透明性が、企業・団体献金に対する制限強化の中で「隠れ蓑」となり、過去には、政治資金をめぐる「不正の温床」にもなってきた。

私も、検事時代に、地方地検の検察独自捜査で、政党の地方組織主催の政治資金パーティーで、数千万円の収入がパーティー収入から除外されて裏金となり、不正な使い道に回されていた事件や、県議会議員主催のパーティー券を県幹部が地位を利用してゼネコンにあっせんしていた事件など、政治資金パーティーをめぐる犯罪を摘発し、起訴したことがある。

そういう経験を有する私にとって、今回、政治資金パーティーに関して「白紙領収書」の問題が取り上げられ、真っ先に考えたのは、「不正の手段」として使われたのではないかということであった。この点については、私なりに十分に検討したが、政治資金規正法の規定等との関係から言えば、「白紙領収書」が「不正の手段」として使われた可能性は極めて低いと考えられる。

10月6日の参議院予算委員会で、高市総務大臣は、以下のように答弁している。

主催者も、来賓として出席した者も国会議員である場合、双方の事務所においてパーティーの日付、名称、出金額または入金額が記録されていますから、事実と異なる必要事項の領収書への記入というものはまず発生しないと考えられることから、出席国会議員側による記入を了解する関係というものが成立すると考えられます。

ちなみに、特定パーティーの報告書ですけれども、対価にかかる収入の金額の横に対価の支払いをした者の数も記入しなければなりません。ともに政治家の国会議員の事務所ですから、ここのところは出金も、それから入金もお互いに記録をしている。パーティー券も、これは政治資金法に基づくパーティーであることをちゃんと記した書面を交付しなければいけないわけですから、それによって互いに保管していると。こういったことから出席者側による記入を了解される関係が成立すると考えております。

高市大臣は、当事者の国会議員が、双方の事務所で、パーティーの日付・名称とそのパーティーで支払った金額・受け取った金額を記録していて、事実と異なる金額が記載されることは考えられないので、主催者側の了解を得て出席者側が金額を記入しても問題はないと言うのである。

そこで問題となるのが、20万円以下の対価の支払が政治資金収支報告書で公開されない政治資金パーティーについて、「入出金が正しく記録されている」と言えるか否かである。

この点に関して重要なことは、パーティーに関する「入出金の記録」は、収支報告書による公開の対象にはなっていないが、政治資金規正法により、法律上、作成・備付けが義務づけている会計帳簿の記載事項とされているので、「白紙領収書」を交付した場合でも、その収入を会計帳簿に記載しなければならず、事実と異なる記載をすれば、会計帳簿虚偽記入罪が成立するということである。

もちろん、会計帳簿は公開されるものではなく、会計帳簿虚偽記入罪で摘発された話は聞いたことがないので、パーティー券収入が、実際にどれだけ正確に記載されているかはわからない。しかし、パーティーに参加した国会議員の側では、相手方の会計帳簿への記載が杜撰であるか否かはわからない以上、それを見越して、白紙の領収書に事実に反する記載を行うということは考えにくい。

このようなことから、政治資金パーティーにおける「白紙領収書」については、「支払の客観的事実との一致」の担保という面ではあまり問題はなく、不正の手段にされる可能性も低い。つまり、客観面での「不適切さ」のレベルは低いと言えるのである。

白紙領収書の主観面での「不適切さ」

しかし、「白紙領収書」が領収書の本来の作成方法ではなく、そのようなやり方が横行することが、適正な会計処理や税務申告を阻害することに変わりはない。国会議員の政治資金パーティーにおいて、そのようなやり方が、当たり前のようにまかり通っていると国民に認識されることは、大きな社会的弊害をもたらす。それが、主観面での「不適切さ」の問題である。

これまで「政治とカネ」の問題が表面化する度に、政治資金規正法のルールが強化され、とりわけ、以前は、政治資金の「収入」面の問題が中心で、あまり問題にされることがなかった政治資金の「支出」の問題が、事務所費の問題等として、しばしば問題化し、すべての支出に領収書添付が義務付けられるに至って、国民には、「領収書」が、政治資金の適正処理において極めて重要なものと認識されるようになった。

その「領収書」に関して、国会議員間においては、白紙のまま授受されるという「世の中では凡そ通用しないやり方」が用いられていること自体が、政治に対する更なる不信を生じさせることになる。

そもそも、多数の参加者が集まる政治資金パーティーに国会議員が参加する際に、“「水引き」に入れた現金を持参する”という慣行が、「事務手続上の必要」から「白紙領収書」を交付することにつながった根本的な原因なのである。政治資金パーティーは、政党や政治家が、広く浅く政治資金の提供を受けるための手段であり、それは、本来、国会議員間の資金のやり取りに使うためのものではない。

もし、他の政治家の政治活動を資金的に支援したいのであれば、その金額を、振込送金等の方法で、資金管理団体等に寄附すれば良いのである。

政治資金パーティーに、有力国会議員が来賓として招かれたのであれば、参加して、挨拶・スピーチを行うこと、少なくとも、パーティーに顔を見せることだけでも、パーティー主催者の議員にとって有難いことであろう。その際に、“「ご祝儀」として、「水引き」に入れた現金を手渡す”という「旧態依然としたやり方」を続けることは、透明性が強く求められている現在の政治の世界にそぐわないように思われる。

自民党二階幹事長の通達も、短期的には守られるであろうが、「水引き」に入れた現金授受の慣行が変わらなければ、いずれ、パーティー後に、金額を確認して領収書を送るという煩雑な方法はとられなくなっていく可能性が高い。

政治資金パーティーにおける国会議員間の現金授受という「不透明なやり方」を改めることが、今回の「白紙領収書」問題の根本的な解決方法である。

(2016年10月12日「郷原信郎が斬る」より転載)

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