現職市長に「逃亡のおそれあり」として勾留決定をした任官後半年の新米裁判官

藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取った収賄の容疑で逮捕・勾留されている事件について、昨日午前、名古屋地裁で勾留理由開示公判が行われた。裁判官から、勾留理由を開示し、被疑者、弁護人が意見陳述を行う手続きだ。この事件での警察、検察、裁判所の判断は、多くの面で疑問だらけだが、まさに、その「極め付け」と言うべきなのが、勾留決定をした裁判官が、勾留理由として「逃亡のおそれ」を認めていることだ。

藤井浩人美濃加茂市長が、市議時代に業者から30万円を受け取った収賄の容疑で逮捕・勾留されている事件について、昨日午前、名古屋地裁で勾留理由開示公判が行われた。裁判官から、勾留理由を開示し、被疑者、弁護人が意見陳述を行う手続きだ。

この事件での警察、検察、裁判所の判断は、多くの面で疑問だらけだが、まさに、その「極め付け」と言うべきなのが、勾留決定をした裁判官が、勾留理由として「逃亡のおそれ」を認めていることだ。

選挙で美濃加茂市民の支持を得て市長に就任し、一貫して潔白を訴えている現職の市長が、市民を見捨てて逃亡すると言うのか?あまりに非常識な、美濃加茂市民に対しても非礼極まりない判断をした裁判官はどういう人物なのか。

法服をまとい、六法全書を手に現れた裁判官は、度の強い眼鏡をかけ、見るからに「ひ弱な秀才タイプ」。それが、今年1月に任官したばかりの森判事補だった。

森裁判官は、被疑者の人定質問の後、勾留理由の説明に入る。

「逃亡のおそれ」については、「被疑者の身上関係に加え、本件の性質等も考慮に加えますと、本件強制捜査を受けて一時その所在を隠すなどして逃亡すると疑うに足りる相当な理由があると認められました。」と述べた。

しかし、その発言は、いかにも自信なさそうで、小声で早口だったので、聞き取りにくく(私は裁判官席に最も近い弁護人席だったので、何とか聞き取れた)、傍聴していた記者の中には、所在を隠す「可能性」ではなく、「藤井市長が本件強制捜査を受けて一時所在を隠していたこと」を、逃亡のおそれがあることの理由として挙げたように誤解した者もいたようだ。実際にそのように報じた地元のテレビ局もある。

藤井市長が、逮捕前に、一時的にせよ所在を隠していたことなどあろうはずがない。それどころか、藤井市長は、逮捕の前日の朝、おびただしい数のマスコミ関係者が自宅周辺を取り巻き、多数の車が違法駐車して近隣住民に迷惑をかけているのを見かねて、自ら美濃加茂警察署に乗り込み、違法駐車の取締りを要請している。やましいことがあって、逃げ隠れをしようと思う人間であれば、警察署に自ら乗り込んでいったりするわけがない。

現職市長に「逃亡のおそれがある」とした、この森裁判官の判断は、明らかに常識外れである。

しかし、まともな法曹関係者にとって理解し難いこのような森裁判官の判断も、任官して僅か半年の新米裁判官であることを考えれば、一概に個人だけを責められないような気もする。

法科大学院や司法研修所で法律や司法実務を学んでいるのだから、地方自治についての憲法の規定などは、十分に理解しているだろう。しかし、それは、首長は住民の直接選挙で選ばれることや、自治体が国から独立して行政を行うことなどを観念的に理解しているに過ぎない。市長が市民から選ばれて市政を担っているというのが、実際どういうことなのか。その市長を勾留し、長期間身柄拘束をすることが、市民や市政にどのような影響を及ぼすのか、というようなことについての現実感がないのだろう。

市長が市民を見捨てて逃亡することなどあり得ないという、あまりに当然のことも理解できず、「独身、29才の被疑者であれば、逃亡のおそれがある」という刑事司法の世界の一般論だけで、勾留の必要性を判断したのではないか。

もちろん、任官して半年と言っても、一人前の裁判官としての職責を与えられ、勾留の決定を行ったのであるから、その責任がある。新聞記事にも実名が掲載され、弁護人の私から「常識外れの勾留理由」と批判されるのも、その職責上は当然である。

しかし、それにしても、昨日の法廷で、現職市長に「逃亡のおそれ」があることの理由に関して、弁護人の私から厳しく問い質され、どうしていいのかわからないという感じだった森裁判官の表情を思い出すと、若く未熟な裁判官を、あのような場に立たせること自体が気の毒な感じがする。そこには、裁判官の業務に関わる制度の問題があるのではないか。

刑事裁判官の判断のうち、証拠による事実認定や法律判断という判決を下すことについては、裁判官としての一定の経験年数が必要とされ、判事補は、5年以上の経験を有する「特例判事補」でなければ、単独で裁判を行うことができないことになっている。また、重罪の裁判については、十分な経験を有する裁判長を含む3人の合議体で裁判が行われる。

その一方で、逮捕状の発布、勾留の決定などには、裁判官としての経験年数は必要とされない。つまり、現在の裁判所では、事実認定、法律適用などの「実体判断」が重視され、逮捕、勾留などの身柄拘束に関する「手続判断」は、著しく軽視されているのである。

しかし、事件によっては、最終的な事実認定や法律判断ばかりでなく、逮捕・勾留という身柄拘束についての判断が、被疑者自身やその家族に重大な影響を与える場合もある。また、今回の事件のように、被疑者の身柄拘束が地方自治体の住民や行政に重大な影響を与える場合もある。

そういう「実体判断」重視、「手続判断」軽視の裁判所のシステムが、今回の事件での現職市長に対して、「逃亡のおそれがある」などという非常識な勾留理由の判断が行われた根本的な原因であるように思える。

(2014年7月5日「郷原信郎が斬る」より転載)

注目記事