「広告を出すな」「沖縄メディアをつぶせ」自民党勉強会が教えてくれたこと

「沈黙は容認と同義」です。今回の勉強会発言をめぐる報道記事を見直してみましたが、胸がむかつくような感覚になります。
時事通信社

国会の会期が9月27日までの95日間も大幅に延長されました。難航する「安保法制関連法案」の成立をにらんで、「60日ルールによる再議決」も可能となる日程を意識して、ぎりぎり目一杯の延長幅としました。 この「60日ルールによる再議決」とは、衆議院が法案を可決し参議院に送付してから、60日間経過しても議決が行なわれない時には「みなし否決」として、ふたたび衆議院の3分の2以上の賛成で再議決できること(憲法59条)を指しています。7月の半ばまでに衆議院で議決してしまえば、参議院で時間切れになることなく、60日後に衆議院の3分の2で決められるようにしたということです。

5月に安保関連法制が審議入りした当初は、衆議院で6月下旬の議決をめざし、参議院で7月中の成立をめざしていた政府・与党ですが、その予定は大幅に遅れました。委員会における安倍晋三首相自身による「早く質問しろよ」とのヤジや、中谷元防衛大臣の「憲法をいかにこの法案に適用するか」という逆立ち発言、そして衆議院憲法審査会における「憲法学者3人の安保法制への違憲見解」等が続いて混迷が深まります。

6月11日には、それでも「強行採決」を視野に入れている安倍政権に対して、かつての自民党重鎮も強く反対の意志を表示しました。(法制審議、「あまりに軽い言葉」と「重みのある警句」(「太陽のまちから」2015年6月15日) 歴代の内閣法制局長官もまた、特別委員会に参考人として出席して「従来の政府見解から逸脱」「安保関連法案は違憲」との見解を示しました。(日本経済新聞6月22日)

そして会期延長後の6月25日に、 安倍首相に近い自民党議員による勉強会(文化芸術懇話会)の場で語られた発言の数々が大きく波紋を広げます。何があったのか、6月27日の毎日新聞の社説「自民勉強会 言論統制の危険な風潮」から一部を引用してみたいと思います。

問題の発言は自民党議員による勉強会「文化芸術懇話会」で、NHK経営委員も務めた作家の百田尚樹氏との質疑の際に出た。安保法制の国民理解が広がらないことと報道の関連をめぐり、出席議員の一人は「マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい」と発言したという。報道機関を恫喝し、政権批判を封じようというのでは言論統制に等しい発想である。

さらに耳を疑うのは百田氏の発言だ。沖縄の主要紙である琉球新報、沖縄タイムス2紙が政権に批判的だとの意見に対し、「つぶさないといけない」と応じた。「あってはいけないが、沖縄のどこかの島が中国に取られれば(県民も)目を覚ますはずだ」と語ったという。基地負担に苦しむ県民の感情を踏みにじるような暴言である。

安保法制に国民の理解が広がらないのは政府の説明が矛盾を来し、「違憲法案」との疑念が拡大しているためだ。メディアのせいだとばかりに批判するのは責任の転嫁である。

勉強会は首相と関わりが深い。会合には加藤勝信官房副長官、萩生田光一党総裁特別補佐も出席し、総裁選を控えた首相の応援団とみられている。百田氏も首相との親しい関係が知られている。

http://mainichi.jp/opinion/news/20150627k0000m070125000c.html

問題は議員個人や作家の「失言」に止まりません。上記の社説にもあるように、安倍首相を至近距離で支える若手議員の勉強会は、「安倍首相の応援団」に他なりません。 安保関連法制の国会審議で「憲法違反」を指摘され、国民の支持が広がらないのは政権に批判的なメディアのせいだという苛立ちがあるのか、経済界が「広告出稿」を取りやめて、テレビ局や新聞社を干し上げて従属させよという声が飛び出しています。異論や批判を許さず、広告という兵糧を断ち切って降参させよという発想です。

はたして、これらはこの日の勉強会に限って議員たちから出てきた発言なのでしょうか。私には、そう見えません。日常的にそのように考え、会話している内容が表沙汰になったにすぎないのではないかと疑います。しかも、この勉強会には政権中枢からも出席者がいます。居酒屋談義とは決定的に違うのは、政治権力に直結している位置にいながら、複数の議員からこうした発言が続いていたことです。「広告出稿停止要請」をして強引にメディアを支配下に置くことを肯定する感覚が、一時的かつ部分的なものではなく、日常的に集団的価値観として成立しているという怖さを感じます。

ここから始まった「自民党勉強会」問題は、安保法制特別委員会でさっそく議論になり、自民党の谷垣禎一幹事長が6月27日の土曜日に記者会見して「若手勉強会の代表を務める木原稔青年局長(衆院熊本1区、当選3回)を更迭し、1年間の役職停止処分とすると発表」し、「谷垣氏は『報道や言論の自由を軽視し、沖縄県民の思いを受け止めるわが党の努力を無にする発言だ。国民の信頼を損なうもので看過できない』と述べた」(毎日新聞6月27日)といいます。ただ、こうした発言は、自民党の安倍首相に近い若手議員特有の感覚とは思えません。

昨年の総選挙にあたり報道機関に「選挙時期における報道の公平中立・公正の確保のお願い」との文書を送りつけた結果、テレビの選挙報道は激減しました。4月には自民党情報通信戦略調査会が「やらせ問題」でNHKや、「報道ステーション」でゲストが「官邸からの圧力」を語った問題でテレビ朝日を党本部に呼びつけてヒアリングしています。報道機関にとって、十分な圧力です。こうした素地があったからこそ、今回の発言が出てきたのではないでしょうか。若手議員が突然に「言論統制」を思いついたわけではないのです。

この勉強会で沖縄での基地問題で事実をはき違え、「沖縄の2つの新聞」とメディアを特定して攻撃する発言もありました。6月26日の沖縄タイムスは次のように伝えています。

作家の百田尚樹氏は25日、市街地に囲まれ世界一危険とされる米軍普天間飛行場の成り立ちを「もともと田んぼの中にあり、周りは何もなかった。基地の周りに行けば商売になると、みんな何十年もかかって基地の周りに住みだした」と述べ、基地の近隣住民がカネ目当てで移り住んできたとの認識を示した。安倍晋三首相に近い自民党の若手国会議員ら約40人が、党本部で開いた憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」で発言した。

実際には現在の普天間飛行場内に戦前、役場や小学校のほか、五つの集落が存在していた。沖縄戦で住民は土地を強制的に接収され、人口増加に伴い、基地の周辺に住まざるを得なくなった経緯がある。

https://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=121492&f=cr

また「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」との発言に対して、「琉球新報」「沖縄タイムス」の2紙は6月26日に「共同抗議声明」を発表しています。

百田尚樹氏の「沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない」という発言は、政権の意に沿わない報道は許さないという"言論弾圧"の発想そのものであり、民主主義の根幹である表現の自由、報道の自由を否定する暴論にほかならない。

百田氏の発言は自由だが、政権与党である自民党の国会議員が党本部で開いた会合の席上であり、むしろ出席した議員側が沖縄の地元紙への批判を展開し、百田氏の発言を引き出している。その経緯も含め、看過できるものではない。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-244851-storytopic-1.html

2紙の抗議声明が語るように、今回のことは「表現の自由、報道の自由」を踏みにじり、意に沿わない報道、言論は弾圧するという発想に通じていくものではないでしょうか。戦前の社会では検閲が当然のようにあり、「報道の自由」「言論の自由」もなく、「大本営発表の戦果」だけが無批判に伝えられ、多くの人の生活と健康、生命を危機に陥れました。まさに、約20万人もが犠牲になった沖縄戦の過酷な経験を経たからこそ、沖縄の2紙は政治権力にひざまずくことがないのです。

かつて自民党沖縄県連の幹事長であった翁長雄志沖縄県知事は、「自民の若手の皆さんが報道通りの議論をしたのであれば、永遠に自民党が政権を握るという錯誤を持っているのではないか。一政党が考えが違うものをつぶすような仕組みをつくってしまえば、日本の将来に禍根を残す」(沖縄タイムス6月30日)と憂慮しています。

「言葉が軽い」と嘆いているわけにもいかなくなってきました。民主主義のイロハである「思想・信条・表現の自由」がどれだけ大切かさえ理解せず、政権批判メディアは兵糧攻めで広告を止めろという暴言が次々と繰り出してくる勉強会の開催の影で、その日に中止に追い込まれた勉強会もありました。こちらの勉強会は安倍首相に距離を置く自民党若手の会でした。

25日の「過去を学び『分厚い保守政治』を目指す若手議員の会」で講演予定だった小林よしのり氏が、朝日新聞の取材に語った内容は以下の通り。

勉強会の中止については「国会が空転しているから」という説明があっただけだ。その理由ならば、なぜ安倍首相シンパの会合は(同じ日に)できて、リベラル派の会合は開けないのか。「ああ、負けたんだな」と思う。小選挙区制によって、執行部の抵抗勢力になるのが怖くなったのでしょう。自民は全体主義になっている。(朝日新聞6月26日)

安保関連法制の審議が続いています。小林よしのり氏の指摘する「もの言えば、唇寒し」の「全体主義」の風潮が社会全体に蔓延することのないよう、私たちひとりひとりが発言をし続けることが大切です。ここまで書いてきて、あまりに低劣で、批評に値しないので沈黙するという人もあるいはいるかもしれません。しかし、「沈黙は容認と同義」です。今回の勉強会発言をめぐる報道記事を見直してみましたが、胸がむかつくような感覚になります。それでも、発言をやめると胸がしめつけられるような事態に転じないとも限りません。言い続ける責務が、メディアにも私たちにはあると思います。

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