児童養護施設を出る「18歳の春」を孤立させない住宅支援を開始

世田谷区における児童養護施設を退所した若者たちの支援を軌道に乗せていくためには、地域や民間の多くの人々の力が必要です。事業
A young man standing behind a fence.
A young man standing behind a fence.
Electra K. Vasileiadou via Getty Images

世田谷区内で、児童養護施設を退所した若者たちに向けて、高齢者用区営住宅の空室(旧管理人室)を5ヶ所、月額1万円程度の低廉な家賃で提供する住宅支援を開始することを決めました。また、若者たちが過ごしてきた児童養護施設とも連携して、地域に居場所をつくり、きめ細かな自立支援を行なうように準備を始めています。

児童虐待等で親の養護を受けることができない子どもたちは、児童養護施設等で社会的養護を受けることが保障されていますが、高校卒業時の18歳になると施設を退所しなければなりません。大学・専門学校への進学を志す若者も多いのですが、アルバイトをしながら学費・生活費を稼いで就労と勉学を両立させるために、心身ともに張りつめた生活をしなければならず、区内の養護施設出身者の進路でも、大学・専門学校を選んだものの中退してしまう率は約8割と大変に高くなっています。

そこで、そうした現状をふまえて、生活費の多くを占めている住居費負担を軽くすることで、児童養護施設を退所した若者たちが成長し社会人として巣立っていけるように支援することが、「子ども・若者」の貧困対策として重要だと判断しました。さらに、心の支えとなる居場所や自立支援を組み合わせていく政策を来春からスタートさせます。ふりかえると、この若者支援策にいたる格別の思いがあります。

世田谷区長になる前のことですが、東日本大震災の激しい揺れの瞬間、私は東京・文京区のマンションの一室にあった『NPO法人ひなたぼっこ』にいました。児童養護施設や里親のもとを巣立った若者たちが、相互にささえあうグループとして活動する拠点です。何度かここを訪れ、若者たちから幼少時からの虐待や施設での体験を聞いていました。インタビューを終えた直後にガタガタガタと揺れがやってきました。

数分間の地震の間、私は今にも倒れそうになるテレビをおさえていました。ベランダ越しに見る隣家の屋根瓦がパチンパチンと跳ね飛んでいました。この「3・11」の前年から、新聞やテレビは匿名で児童養護施設の前に「伊達直人」と書いてランドセルを置いて去っていく「タイガーマスク現象」を取り上げていました。当時の私は、ほとんど話題になったことがない児童養護施設に世間の関心が向いているうちに、児童養護施設を退所した後の若者たちの支援について、社会的なキャンペーンをやろうと考えていました。

ジャーナリストとして週刊誌で連載記事を準備している最中だったのです。私が国会議員時代に取り組んだ大きな仕事の一つが「児童虐待防止法」の制定でした。超党派の議員連盟で勉強会を積み上げて、私が事務局長として各党の調整にあたりました。そして、2000年に「児童虐待防止法」が議員立法として成立します。さらに、その後2回の改正作業にも関与してきました。

児童虐待防止法制定の効果は大きく、それまで水面下にあった児童虐待がいっせいに表面化するようになりました。児童虐待の通報件数は年々増加して、児童相談所によって親子分離され、保護される児童も増えていきます。全国の児童養護施設は、ほとんどのケースが被虐待児童になってきているとも聞きました。そうした状況をうけて、自分たちは政治家として必要な仕事をしたと思っていました。

ところが、地方の児童養護施設に出向いた時に、18歳の春に高校卒業と共に退所していく若者たちの「進路」について、大学進学するケースはきわめてまれであるという厳しい現実をうかがいました。学費も生活費もアルバイトで稼ぎながら過ごすことには、かなり無理があると聞いて、自らの不明を恥じました。

私は、児童虐待から子どもたちを救出することに目を奪われて、児童養護施設を出た子どもたちにどんな進路の選択可能性があるのかを考えてこなかったことに強いショックを受けました。

親が養育できない時に「大丈夫、社会が君を育てるから」と引き受けるのが、社会的養護の仕組みだったはずなのに、施設によっては大学進学という選択肢ははじめからない、というのです。 →「タイガーマスクが照らした『出口』」(「太陽のまちから」2015年9月24日)

東日本大震災と福島第一原発事故の直後から、世田谷区長として仕事を始めていた私は、「3・11」直前まで取り組んでいた「社会的養護」「児童養護施設を退所した若者の支援」に関する分厚いファイルを区長室に持ち込んでいました。このファイルをふたたび開くことになったのは、世田谷のJC(東京青年会議所世田谷区委員会)の役員の皆さんが「児童養護施設の支援」をテーマに行動すると聞いてのことでした。

JCのメンバーは、世田谷区内にある児童養護施設「福音寮」の子どもたちに関わり、何度となく交流を深めて、手作りの「いかだ」でレースに参加したり、区民祭りを子どもたちにも手伝ってもらう等の活動を積み上げてきました。2014年9月20日、福音寮で行なわれたイベント「第2回 夢をかなえる力」では、JCの皆さんから、児童養護施設の子どもたちに関わった経験に基づいた次のような提言をもらいました。

1. 地域の方々は、子どもたちと継続的に関わる。

2. 企業の方々は、職業体験や就業機会の創出など、子どもたちが夢を具現化する機会をつくる。

3. 行政の方々は、シェアハウスなど住環境のサポートや雇用促進といった包括的な自立支援システムを充実させる。

去る9月13日には「第3回 夢をかなえる力」も開催されました。JCの皆さんによる福音寮での子どもたちとの交流も続いており、3年目に入っています。そして私から、昨年いただいた提言にあった「住環境のサポート」を実施するプランを報告し、さらに「地域と若者たちが交流のできる場の確保」も開始することを報告させていただきました。

行政の力には、限界があります。世田谷区における児童養護施設を退所した若者たちの支援を軌道に乗せていくためには、地域や民間の多くの人々の力が必要です。事業開始によって、難しい点が生じてくるかもしれません。しかし、困難があったとしても、知恵を出し合いながらサポートを継続する「世田谷モデル」に育てていきたいと考えています。

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