ポートランド再訪、環境都市は挑戦と進化を続ける

「暮らしやすさ」の価値は、「住み心地」につながります。

ティリカム・クロッシング橋

アメリカのオレゴン州ポートランド市に、この夏再訪することができました。「8月のポートランドは、すがすがしく晴れて、1年でいちばん気持ちがいい時期」と聞いて、プライベートで滞在しながら、おだやかでゆっくりした時間を過ごしました。しかも、滞在中にサンダース支持者やポートランド市長に話を聞くこともできました。

昨年(2015年)11月には、3泊4日の滞在で、「環境都市」「スローライフ」「リノベーション」をテーマに、ハードスケジュールを組んで駆け足で見ました。およそ20カ所を集中してまわる貪欲な視察でしたが、日本でも人気が高まっている「ポートランドの魅力」が、20年、30年単位で結実していった「都市戦略」を基本にしてきたことを実感しました。その際に撮影してきた写真を多く入れながら、年末にレポートをまとめました。

この記事は備忘録もかねて詳細に書いたものですが、予想を超えて多くの方に読んでいただきました。反響が大きかったので、建築家や都市デザインの専門家をまじえたシンポジウムや勉強会を企画しました。

ネット上でイベント案内をしたところ、たちまち会場の定員に近づいてしまい、参加者募集を中断するほどの人気で、シンポジウムの会場には、建築や都市デザインはもとより、交通、不動産、商業、ファッション等の幅広い業種から、またライフスタイルから関心を持っている個人の方が多く集まりました。

成田からポートランドに向かう直行便は1日1便、デルタ航空が運行しています。今回、お盆前の混雑した時期だったこともあって飛行機は満席で、しかも何日か前のシステムダウンが影響したのか、搭乗時間が迫ってもオーバーブッキングがなかなか解消しないでひやひやしましたが、9時間あまりのフライトで到着しました。

昨年11月の訪問に続いて、今回も空港に迎えてくれたのは、ポートランド在住30年の黒崎美生(くろさき・よしお)さんでした。オレゴン日米協会の会長をつとめる黒崎さんは、4月27日に「これからの都市づくりを考える」(世田谷区北沢タウンホール) というシンポジウムにも参加していただき、ポートランドの魅力を語ってもらうことができました。さっそく、街を歩いてみることにします。

オレンジ色のシェアサイクルのステーション

オレンジ色のシェアサイクルが並んでいるステーションが目につきました。

「このオレンジ色のシェアサイクルは、昨年11月には見なかったような気がするんだけど」と言うと、「まだ始まったばかりのシステムなんですけど、使い方が簡単で評判がいいようですよ」と黒崎さん。

BIKETOWN』と呼ばれるもので、ポートランド市で、1000台の自転車を100カ所のステーションで貸し出しています。市のシェアサイクル計画にNIKEが出資して、同社のブランドカラーのオレンジ色の自転車が並ぶことになったようです。今年の7月19日からスタートしたばかりのオレンジ色のシェアサイクルシステムですが、街中で何台も見かけました。

『BIKETOWN』の使い方はいたって簡単で、スマホのアプリをダウンロードして会員登録した上で予約すると、ステーションでロックされている自転車の鍵の番号が表示されます。1回 2.5ドル、1日12ドルですが、年会員になれば1カ月12ドルで乗り放題というシステムで、「自分で自転車を持つより簡単」という宣伝にもうなずけます。

ポートランドは、ウィラメット川の両側に市街地が広がっていて、ひとつひとつの橋に表情があり、「橋の街」とも呼ばれています。もっとも最近、そのポートランドにおいて画期的な橋が出来たと黒崎さんが案内してくれました。「Tilikum Crossing」(ティリカム・クロッシング)というこの橋は、MAXオレンジラインのライトレールと、TriMetバス、そして、自転車と歩行者のための橋です。どこが特色なのか、想像してみて下さい、自家用車等、バス以外の車が通行出来ない橋なのです。

ティリカム・クロッシング橋

ポートランドに詳しい建築家の小林正美明治大学副学長は次のように語ります。

「この橋は、米国内の主要な橋としては初めて公共交通・自転車・歩行者のために建設された橋で、ポートランド市の「人中心の町」という思想を最もよく発信していると思います。2015年9月に完成しています。

市の南方地域が最近住居+商業地域として開発されて人口も増えてきたため、東岸と西岸をつなぐ交通需要が大きくなってきました。しかし、既存の自動車用ブリッジでは路面電車の軌道を併設できず、自転車や歩行者が安心して渡れないため、軽快な斜張橋が新たにデザインされました。川を見ながら、ゆっくりと人々が渡れるだけでなく、路面電車が円環状に市内を回れるようになったことが、市民生活の利便性を画期的に向上させ 、橋の完成を市民は大変歓迎しているようです」

ブリッジ・ペダルに参加するサイクリストたち

自転車の街、ポートランドを象徴するイベントがあります。小林副学長も過去に参加した年に1回だけ普段は自動車専用の道路や高速道路、ポートランド市内にある11の橋を自転車で走破する「Bridge Pedal」(ブリッジ・ペダル)です。私の滞在中にも、高速道路の入口へと色とりどりのヘルメットをかぶって軽快に自転車をこいでくるライダーが集まってきて、まるで「自転車の祭典」でした。

ポートランド日本庭園

今回、ポートランドにある日本庭園も訪れました。 手入れの行き届いた日本庭園は大規模なもので、6600坪の敷地に5つの庭園を配置してつくられています。第二次世界大戦終結から18年後の1963年に東京農業大学の戸野琢磨教授によって設計が始まり、1967年に開園しています。

ポートランドの日本庭園は大改修工事の最中で、今もグランドオープンに向けて工事が続いています。昨年は一時閉鎖していましたが、工事中のところを除いて公開されています。すでに、完成した大規模な石垣が目を奪います。

石垣:穴太衆の技、米の庭園に 本格的な石垣、海外で初 安土城や熊本城−石工集団の15代目・粟田さん /滋賀 - 毎日新聞

安土城や熊本城など日本各地の城郭の石垣建設に数多く携わった石工集団「穴太(あのう)衆」の技術を継承する「粟田建設」(大津市坂本3)の社長、粟田純徳さん(47)が、米オレゴン州の日本庭園「ポートランド・ジャパニーズ・ガーデン」の一角に、約400平方メートルの石垣を完成させた。

ポートランド日本庭園は人気スポットとなっていて、年間30万人が訪れる施設です。今回はちょうど来日中でお会いできませんでしたが、大改修を手がける庭園文化技術主監の内山貞文さんは、庭園の維持・運営以外にも日本の歳時、文化イベント、ワークショップ等、日本庭園の文化を理解してもらう活動にも力を入れていると、案内をしていただいた高橋奈津子さんから説明を受けました。

東日本大震災で被災して津波でさらわれた神社の鳥居の笠木(鳥居上部の横木)が、オレゴン州の海岸に漂着したのが2年後の2013年3月でした。内山さんが、持ち主を探しまわったそうです。

震災で流失した鳥居、4年半ぶり帰郷 米オレゴン州から(2016年10月4日・朝日新聞デジタル)

2011年の東日本大震災で流失し、米国オレゴン州に流れ着いた2基の鳥居の一部が2日、約7千キロの旅を経て、奉納されていた青森県八戸市鮫町に「帰郷」した。地元の関係者は「返ってくるとは思ってもいなかった」と約4年7カ月ぶりの再会を喜んだ。(中略)

2基の鳥居は震災による流失から2年後の13年3月と4月に同州の海岸に相次いで漂着した。同州ポートランド市在住でポートランド日本庭園文化・技術主監の内山貞文さん(60)が鳥居に刻まれた名前などを手がかりに、日米の橋渡し役となって2人を探し当てた。運搬には現地の木材業者が協力を買って出るなど支援の輪も広がった。

7000キロの太平洋を横断してオレゴン州に漂着した鳥居は、2016年5月2日に関係者が見守る中で再建されています。(「河北新報」2016年10月16日) 大改修の進むポートランド日本庭園でこの話を聞いて、多くの人々がサポートを惜しまなかったことで、「帰還」が出来たことに感謝の気持ちがつのります。

オレゴン州立大学で毎週土曜日に開催されているファーマーズマーケットにも、路面電車に乗って出かけてきました。ここで着想を得て企画・開催されて、すっかり定着している東京・青山の国連大学でのファーマーズマーケットに比べると敷地が広く芝生の空間がある分、ゆったりとしていて、数カ所で生演奏もあって、食事をしながら聞いたバイオリンの音色も心地よく流れていました。私は、昨年11月に訪れたポートランドの住宅地の中で開催されている

Hillsdale Farmers' Market(ヒルスデール・ファーマーズ・マーケット)にも再度、出かけてみました。住宅地に顔の見える農家が、もぎたての野菜や果物、花、家で焼いたパン、自家製初蜜等を並べてくつろいでいる姿に、ホッとしてしました。

オレゴン州立大学でのファーマーズマーケット

ポートランド郊外の住宅地でのファーマーズマーケット

ポートランドの郊外となるコロンビア峡谷にも出かけました。 ポートランド市内からコロンビア川の上流に向けて、ハイウェイを45分ほどのパーキングエリアから歩いて行ける観光スポットとなっている「マルトノマ滝」や、1937年に完成した巨大ダム「ボナビル・ロックダム」と、鮭が俎上するフィシュラダーや、人工の孵化・養殖場も足を伸ばし、さらにポートランドから約100キロ川沿いに進んだこじんまりしたフットリバーの街、さらに川を渡ってワシントン州に入り隆起した巨大な岩石を見ながらさらに東に進みました。緑の山々はやがて土茶色の荒野に変わり、雄大な自然の入口にふれた気分です。

ボナビル・ロックダム

そそり立つ岩壁

黒崎さんの紹介でバーニー・サンダース氏の支持者にも、お話を聞きました。若者が中心と聞いていましたが、ポートランド市内に喫茶店に現れたのは、75歳のジュディース・マークさんと、80歳のメアリー・アン・ブキャナンさんでした。ふたりとも、ベトナム反戦運動を通して、イラク戦争にも抗議して活動したアクティビストでした。

ジュディース・マークさん

メアリー・アン・ブキャナンさん

「2015年9月に28,000人を集めたバーニー・サンダースの集会があって、1時間半の間、すっかりインスパイアされたわ。若い人たちもいたけど、私たちのように年をとった人もいて、世代を超えて手と手をつなぐことができたのよ。感動したのは、この国の『貧富の差』があまりにも大きいことをバーニーは分かっているという点です。若い人の陥っている格差は何とかしないとだめ。そこをヒラリーは分かっていないのよ」

(メアリー・アン・ブキャナンさん)

「私はヘルスケア・健康保健の充実が重要だという意見で、オバマ・ケアには大賛成。アメリカは経済的に大きいけれど軍事予算に金をつぎこんでいて、医療や教育に必要な財政を使っていないでしょ。私も州立大学を出たけど、授業料は当時は半年で10000円、1年で20000円ほどでした。今は、信じられないほどに、はねあがっているわ」(ジュディース・マークさん)

それでも、バーニー・サンダースは敗れて、ヒラリー・クリントンが民主党の大統領候補となりました。お二人は、「トランプに勝たせるわけにはいかない。ヒラリーを応援している。バーニーが民主党予備選挙を降りる時に、ヒラリーと会って約束した政策を彼女が実現するよう監視しながら」というスタンスのようで、8年前はバラク・オバマの選挙のために個別訪問を熱心にやったとのことです。「バーニーの影響力は次世代の政治家や議員に引き継がれていきますよ」と希望をもっていました。

最終日には、Charlie Hales(チャーリー・ヘルズ) ポートランド市長を市役所に訪ねました。市長は柔和な表情で、開口一番「ポートランド市を参考にしていただいてありがとう」と挨拶してくれました。都市交通の専門家である市長自身も、アムステルダムやコペンハーゲーン、オスロ等の都市を見て、とても発見が多いそうです。ポートランドの魅力は何ですか? とストレートな質問をしてみました。

「そうですね。まずは住み心地の良さです。市の周辺に自然が残り、緑が多いことが特徴です。市民に多様な人々を受け入れる文化があります。カルフォルニアのエンジニアも、ミャンマーからの移民も同じようにです。クオリティ・オブ・リビング(生活の質)を重視しています」

昨年、ポートランドに行って書いたレポートに「暮らしやすさの都市戦略」という言葉を使いました。「暮らしやすさ」の価値は、「住み心地」につながります。

「市長でも街を歩いていて、市民とフラットな関係だと感じます。上下関係がなく、権威的でない...今朝、重要なビジネスオーナーと話していたら、ウェイトレスが何気なく話題に加わっていました。ブリッジペダルという年に一度の自転車イベントも、まず市民活動の高まりがあって市がこれを受けとめて支援するという具合です。

市民の問題提起をビジョンある政治リーダーが、よく声を聞いた上で決断していくことで、街づくりが続いています。歴代市長のビジョンとリーダーシップが優れていて、必要な時に、大きな改革を時代を先取りするような形で行なってこれたのが、現在の隆盛に直接つながっている」と強調していました。

ポートランド市庁舎

チャリー・ヘルズ市長

ポートランドには「都市成長限界線」という、都市計画の厳格なルールがあります。だからこそ、公共交通中心のネットワークと自転車を推奨する都市文化を進化させて、ついに40年ぶりに架橋したウィラメット川を横断する橋は、「自家用車通行不可」としたのです。

そのポートランドにも、挑戦と進化をめざす以上は多くの課題があります。 2度の訪問をへて、「持続的な相互交流による価値創出の協同作業をしたい」とオレゴン日米協会の開催してくれたレセプションの席で語り合いました。

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