2016年が始まりました。「争いのない平穏な1年であってほしい」という願いとはうらはらに、年明け早々にサウジアラビアとイランの「断交」が発表されました。イスラム教の異なる宗派であるスンニ派とシーア派がそれぞれの国の政府中枢と支配層を占める大国同士の対立の激化は周辺諸国もまきこみ、シリア・イラクにまたがるIS(イスラム国)をめぐる情勢にも複雑な影響が懸念される事態が進んでいます。
対立の発端は2日、テロ活動に従事した罪で14年に死刑判決を受けたシーア派指導者ニムル師を処刑したと、サウジが発表したことだ。同じシーア派の指導者が国を治め、同師を処刑しないよう要請してきたイランは猛反発。最高指導者ハメネイ師が「サウジアラビアは神の報復に直面するだろう」との声明を出した。イランにあるサウジ大使館や領事館は、暴徒化した群衆に襲われ、放火された。(朝日新聞 2016年1月5日)
一方で2015年末には、シリアなどからの難民の危機的状況も伝わってきています。
欧州への難民100万人超す 3600人以上死亡・不明
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国際移住機関(IOM)はこのほど、シリアなどから欧州に入った難民らが今年だけで100万人を超えた、と共同発表した。海上で3600人以上が死亡・行方不明になったとみられている。
発表によると、海を渡った難民らが約97万人、トルコから陸路で入ったのが約3万4千人だった。海を渡った人のうち、80万人以上がトルコからエーゲ海を渡ってギリシャに入った。約15万人は北アフリカからイタリアなどに入った。(朝日新聞12月30日)
「海上で3600人以上が死亡・不明」というニュースに胸をえぐられます。そのひとりの亡骸が、昨年9月にトルコの海岸に打ち上げられた子どもだったのでしょう。昨年11月のパリでの無差別テロ事件は、ロックコンサートやレストラン、カフェ等で銃撃による殺害が続いた点で衝撃的でしたが、事件の後遺症も大きなものとなりました。ヨーロッパ各国が次のテロ事件への警戒を強め、移民の受け入れに反発する動きも活発化しています。フランスの地方選挙では移民やイスラム教徒の排斥を主張する「国民戦線」(FN)が大きく票を伸ばし、アメリカでは「トランプ旋風」が止まりません。
トランプ氏はこれまでも放言、暴言を繰り返してきた。メキシコ移民に対して犯罪を持ち込む「レイプ犯」と侮辱したほか、共和党重鎮のマケイン上院議員がベトナム戦争中に捕虜になった経験を揶揄(やゆ)し、女性候補者らには女性蔑視と取られる言葉を投げかけて問題化。それでも撤回や謝罪はせず、逆に自らを批判する人やメディアを徹底的に非難する強硬姿勢で支持を拡大してきた。
特にパリ同時多発テロ以降、イスラム教徒を敵視する発言を繰り返し、熱狂的な支持者から拍手喝采を浴びてきた。(「毎日新聞」2015年12月11日)
トランプ氏による「イスラム教徒の入国禁止」という発言は波紋を広げ、世界各国の首脳から批判を浴びながらも、彼はそれを撤回することもなく、支持率を大きく上昇させて共和党候補では独走状態となっています。トランプ氏は、この問題について声明で次のように述べています。
ドナルド・トランプは、米国当局が何が起こっているのかを把握できるまで、全面的かつ完全に、イスラム教徒の米国入国を禁止するよう求める。
イスラム教徒の憎悪が理解を超えていることは誰の目にも明らかだ。憎悪がどこから来ているのか、我々はなぜ決断しなければならないのか。我々が決断し、この問題とその危険な脅威を理解できるまで、ジハード(聖戦)だけを信じ、理性を失い、人命を尊重しないような人々の恐ろしい攻撃で、米国を犠牲にすることはできない。 (毎日新聞・同上)
「トランプ旋風」が吹き荒れる背景には、アメリカ社会の中間層の崩壊と不安の増幅があるといいます。今年の11月、アメリカ大統領選挙の結果、何が起きるのかは予断を許しません。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件後にブッシュ政権が掲げた「テロとの戦い」は、アフガニスタン戦争に始まり、イラク戦争へと急傾斜しました。ところが、戦争は終わりませんでした。圧倒的な軍事力で空爆を加え、地上軍が制圧した後が問題です。戦争という力の行使により、無辜の民も犠牲になる惨劇が続き、人々の中に「憎悪」「復讐心」が育まれます。アフガニスタンでもイラクでも、戦争後の新政権による統治力は弱く、これまで共存してきたイスラム教のシーア派とスンニ派の対立も抜き差しならないものとなっています。
こうした悪循環が続いたことで、「国家」を標榜するISが生まれ、シリアの戦乱は泥沼化し同国の人口の過半数という大量の難民を生み出しています。しかも、シリアのアサド政権にはロシアが後ろ楯となり、反政府軍を支援するアメリカと間接的に対峙しています。トランプ氏は「IS」や「イスラム過激派」を排除対象とするのではなく、「イスラム教徒」自体を敵視しています。今後、混沌・錯綜する中東で、さらなる大規模な軍事力の行使が行なわれるとしたら、シリアの悲劇は世界に大きく拡大する危険があります。
かつてなく戦乱の拡大や大規模化が危惧される中で、紛争や戦闘の抑止のために何をすべきでしょうか。2016年1月1日の東京新聞1面には、どきりとするような記事が載りました。
防衛装備庁、中古武器輸出を検討 「無償・低価格」特例法で
国産の中古武器を無償や低価格で輸出できるようにするため、防衛装備庁が法整備を検討していることが分かった。武器輸出を原則認めた2014年春の政策転換を受けて進む輸出の仕組みづくりの一つ。同庁装備政策課は新興国を念頭に「関係を強化して安全保障環境を安定させる上でも、新たな法整備は必要だ」とするが、「日本周辺国の軍備増強を助長する」と懸念する声もある。
こうした自衛隊の中古武器の提供については、「東南アジア諸国連合(ASEAN)の加盟国や南アフリカ、ブラジルなどが含まれている」 (同紙) とされています。2015年9月、多くの国民の反対の声を踏みにじって安保関連法を強行採決した後に、安倍政権は「国会を開かない」という奇策に出ました。憲法53条に明記されている4分の1以上の議員の開催要求があったにもかかわらず、です。
日本国憲法53条「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いづれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S21/S21KE000.html)
野党議員が憲法に基づいて要求したにもかかわらず、臨時国会を開くことを蹴飛ばした安倍首相は、例年にない1月4日から通常国会を開会しました。巷間、言われているように「衆参ダブル選挙」の実施が可能な日程であることもあって、永田町ではすでに参議院選挙を強く意識した与野党攻防が始まっています。記者会見で安倍首相は、その参議院選挙で「改憲」を争点にすることを打ち上げました。
首相「改憲を参院選争点に」 民・共が阻止へ共闘模索 公明「議論まず国会で」
通常国会が4日、召集された。安倍晋三首相は年頭の記者会見に臨み、今夏の参院選で改憲を争点にする考えを表明した。対する民主党や共産党は、改憲勢力が衆院に加え参院で三分の二を占め、改憲発議が可能になることを阻止するため、野党統一候補の擁立を進める方針だ。(東京新聞 1月5日)
安倍首相は、また新年の「年頭所感」で、昨年秋の内閣改造時に打ち出した「一億総活躍社会」を強調しています。
半世紀前、初めて、日本の人口が一億人を超えました。高度成長の真っただ中で、頑張った人が報われる、今日よりも明日はもっと豊かになる。その実感があった時代です。
半世紀後の未来でも、人口一億人を維持する。お年寄りも若者も、女性も男性も、一度失敗を経験した人も、難病や障害のある方も、誰もが、もう一歩前に踏み出すことができる。「一億総活躍」 の社会を創り上げることは、今を生きる私たちの、次世代に対する責任です。
「戦後最大のGDP600兆円」、「希望出生率1.8」、「介護離職ゼロ」という3つの明確な「的」を掲げ、新しい「三本の矢」を放ちます。いよいよ「一億総活躍・元年」の幕開けです。(中略)
本日から、日本は、国連安全保障理事会の非常任理事国に就任し、世界の平和と安定に大きな責任を担うこととなります。さらに本年、伊勢志摩に、世界の主要なリーダーたちを招き、サミットを開催します。日本とアフリカの首脳たちが一堂に会するTICADも行います。日中韓サミットも日本が議長国です。
日本が、まさに世界の中心で輝く一年であります。
「日本が、まさに世界の中心で輝く一年であります」(前出「年頭所感」)という言葉に、危うさを感じます。なぜ世界の一員でなく中心なのか、そもそも世界に中心はあるのだろうかと考えてしまいます。日本が経済大国として「世界の中心で輝いていた」時代は過去のものとなり、現在は小規模の軍事紛争が大きな戦争に転化しかねない危機の時代であり、「世界の一員として、知恵をもって平和を分かち合う」ための謙虚な努力を続けることが、日本に求められているのではないでしょうか。
『新たな時代の「追いつき、追い越せ」へ』(日本経済新聞2016年1月1日社説)
まず大事なのは、おのれの姿を正確に知ることだ。というのは、思い描いている日本の自画像がズレているのではないかと考えられるからだ。こびりついている世界第2の経済大国の残像の修正からはじめる必要がある。
国際通貨基金(IMF)がまとめている国別の1人当たり名目国内総生産(GDP)の統計がある。それをみると、がくぜんとする。14年、日本は世界で27位に沈んでいるのだ。東アジアでは香港に抜かれ、4位になってしまった。その上にはシンガポール、ブルネイがランクしており、韓国がすぐ後の30位に迫ってきている。
1990年代半ばには3位を維持、90年代を通じてずっと10位以内だった。アジアではもちろんトップ。00年代に入ってから10番台になり、あっという間に20番台に転落した。もちろんGDPがすべてではないが、もはや日本は世界の中位国でしかない。
「中位国」という聞き慣れない言葉に戸惑わずに、事実として認識する必要があります。「世界第2の経済大国の残像」にとらわれている限り、現実は変わりません。ところが、現実を突きつけられると不機嫌になり、「こんなはずではない」「一時的な経済の後退にすぎない」と物事を見るフレームを変えようとしません。これは政官財の指導層に多く残存してきた傾向です。
成長神話は過去のものであり、新しい時代のキーワードは「多様性を包摂する持続可能な社会」だと思います。私たちの求める「暮らしやすさ」は、大量生産・大量消費というあわただしい世界ではなく、人と人がていねいに出会い、喜怒哀楽をわかちあい、サポートしあう社会です。 競争よりも連帯が前に出て、人を出し抜くよりもそっと支えることに心地よさを感じるライフスタイルを築いていくことで、幸福度を積み上げていきます。今年は、 そんなビジョンを組み立てていく年にしたいと思います。