「DOHaD」という概念

父親加齢によりDNAに変異が生じることや、DNAのメチル化というエピジェネティックな変化が生じることについて、ここ数年で多数の論文が出ています。

先日、第4回DOHaD研究会という学術集会にお招きを受けて講演をしてきました。

「DOHaD」というのは「Developmental Origin of Health & Disease」という言葉の頭文字を合わせたもので、「健康や病気の起源が発生過程にある」という概念を表す良い日本語が見つからないので、とりあえず「ドーハッド」と発音しています。幕末から明治の頃、「細胞」やら「神経」やら「皮質」やら、漢字を上手く使って西洋から輸入した専門用語の訳語を作っていった頃に比べて、今の研究業界が忙しすぎるのでしょう。

「mitochondoria」の「糸粒体」という訳語は廃れて「ミトコンドリア」という片仮名になったり、同様に「astroglia」が「星状膠細胞」よりも「アストロサイト」と呼ばれるように、漢字の訳語を作っても定着しなかったものもありますが。ともあれ、「細胞」は中国で発明された用語ではないことは、日本人として覚えておこう、と学生に伝えています。

話がズレました……。

DOHaDの概念は、例えば第二次世界大戦中にオランダが大飢饉に陥り、その頃に胎児期を過ごした方に、各種の代謝病などが多いということが、フォローアップでわかったことなどが元になっています。私自身は、このときに統合失調症の発症も増加したという論文に出会ったのがDOHaD説を知るようになったきっかけですが、研究の最初に触れたのが発生生物学であり、奇形学にも近かったため、DOHaDはある意味当然すぎる概念にも思えました。

現在、DOHaDは「種々の病気の罹りやすさに胎児期の影響がある」という見解であり、母体を取り巻く環境、つまり、栄養や感染や薬物暴露に注意しましょう、というキャンペーンに繋がるのですが、私はこれは狭すぎる考え方だと思います。英語の「Development」は日本語の「発生」と「発達」の両方を含むものであり、胎児のみの影響ではなく、幼児期の発達も重要だと思われます。2013年に発表した論文では、そのような観点で思春期前の神経新生に、その後の不安やびっくり度に影響する「臨界期」があるのではないかということを示しました。

プレスリリース:精神疾患発症脆弱性の臨界期を示唆(PDF)

今回のDOHaD研究会の講演では、さらにその概念をもっと広げることができるのではないか、という主張を行いました。それは、「生殖細胞形成」の過程での微妙な不具合が、受精後の個体の発生〜成長、最終的に行動に影響を与えうるということです。具体的な事例として、父親が加齢すると自閉症の発症率が上昇します(例えばReichengerg et al., 2006)。我々は、父親マウスが加齢すると、その仔マウスが生後初期に示すコミュニケーション行動や、さらに成体になってからの社会性や常同行動にも影響することを見出しています。これらは、我々の論文としては未発表ですが、例えば以下のような論文が出ています(多数ありますが、1つだけ挙げておきます)。

Eur J Neurosci. 2010 Feb;31(3):556-64. doi: 10.1111/j.1460-9568.2010.07074.x. Epub 2010 Jan 25.

父親加齢によりDNAに変異が生じることや、DNAのメチル化というエピジェネティックな変化が生じることについて、ここ数年で多数の論文が出ています。精子形成は1個の幹細胞が多数分裂し、数千個の精子を作る過程なので、種々の変化が生じやすいともいえます。子どもの発生というと、つい母親側の影響を重視しがちですが、実は父から受け継ぐ影響も無視できないのです。このような「次世代継承エピゲノム変化」は、今後、もっと追求されていくべきと思っています。

(2015年8月13日「大隅典子の仙台通信」より転載)

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