研究業界を取り巻く過当競争の行方

浅島先生が「競争が厳しくなり、研究者にとって十分なポストが無い」ことを論文不正が生まれる背景として述べられていました。

本日のクローズアップ現代「論文不正は止められるのか〜始まった防止への取り組み〜」では、浅島誠先生がコメンテーターでした。ちょうど理事を務められる日本学術振興会の『科学の健全な発展のために』編集委員会の委員長をされ、昨年11月28日に暫定版が公表され、4月から文科省の新しいガイドラインの運用が開始するということを受けてのことと思います。

番組の中で浅島先生が「競争が厳しくなり、研究者にとって十分なポストが無い」ことを論文不正が生まれる背景として述べられていました。

種々の異論はあるかもしれませんが、競争が激しくなってきたことには実感があります。例えば、過日、研究科の外部評価の会が開かれたのですが、そのときに準備された資料の中に「ハイ・インパクト論文リスト」がありました。2年前の外部評価の際には、「インパクト・ファクター(IF)5以上」で100本くらいの論文を挙げていたものが、今回はIF=10で切ってリストを作った、という説明が為されていました。つまり、この2年の間でも、「よりハイ・インパクトな雑誌に論文を出そう」という機運が高まっているのだと思います。

繰り返し指摘されていることですが、本来、IFは「雑誌」の評価であって「論文」そのものの評価とは異なります。しかしながら、IFに代わる「簡単で研究に携わらない方でも調べられる客観的な指標」が出されないので(H指数や、ResearchGateのHGスコアなどもありますが)、高IF雑誌を目指す傾向には歯止めがかかりません......。

一方、世界の研究者人口は中国等の台頭もあり、急激に増加しているため、新たに刊行される雑誌の数も非常に増えています。もう、毎週、複数の新しい雑誌から、論文投稿しませんか、とか、Editorial Boardに入りませんか、というようなメールが(タダなので無差別に)わんさか届くのです......。そういう新しい低IF雑誌に掲載される多数の論文で高IF雑誌の論文が引用されることは間違いないので、ますます勝ち組の雑誌のIFは高くなり、そうでない雑誌はlong tailになっていく訳です。

今週号の週刊ダイヤモンド連載コラムで取り上げた「ES細胞」を作ったという報告は、1981年にNature誌に発表されましたが、たった3ページの論文でした。もちろん、紙媒体しか無い時代ですから、Extended Dataもありません。そこから30年の間に、Nature誌はLetterでもメインの図(1つが昔の4〜6個分!)が4つ、Extended Dataが10を超えることも珍しくありません(データが増えたことの背景には、図の作成がIT化して、簡単に図を組み合わせることができるようになったこともあります)。

生命科学の実験の多くは、手間暇かかるので、この分野はどうしても労働集約型になる傾向があります。世界中だれでも一日は24時間しかありませんから、一人の研究者が一定期間の間に得られるデータには限りがあり、競争に打ち勝ちながらハイインパクトの雑誌に論文を出そうとすると、人数が必要になります。また、解析手法にも多角的なものが求められますから、複数の研究室が協力しあう共同研究の必然性が生まれます。著者が2名の論文でも20名の論文でも、筆頭著者は原則1名なので、残りの研究者は(equally contributedという扱いもありますが)筆頭ではないことになります。

こういう環境になったことの影響は様々なところに表れていますが、ここではあまり多くの方が触れていないこととして、研究のビギナーが「論文を書く経験が圧倒的に足りなくなる」ことを指摘しておきたいと思います。論文はデータを紙芝居のように見せれば良いのではなく、「ストーリー」なので、やっぱり誰かが最初から最後まで書き通すことが一貫性を保つという意味で理想です。ビギナーが筆頭著者になる場合には(そうでなくても?)責任著者もストーリーを作ることに大きな貢献をします。メインデータ以外に貢献した研究者は、ライティングの際にどうしても補助的な役回りになることが多いのが実情でしょう。となると、1本の論文の著者が多くなるということは、本当の意味で研究者になる訓練を受けられる人が減ることを意味するのです。

研究所ならそれも致し方ないかもしれませんが、大学は人を育てる機関です。私自身は小さくてもしっかりとした論文をきちんと書き上げてもらうことが、研究キャリアの第一歩だと思っています。最初の1本の論文を出して学位を取るときに、ちゃんと論文を書いた経験の無い方が指導する側に回るということは、我々のコミュニティーの足元を危うくする可能性があるのではないでしょうか(もちろん、最初の論文は指導教授がほとんど書いても、それを横目で見ながら習得できる方も少数ながらおられるとは思います)。

この過当競争の行方はどうなるのか、根本的なところを変えないと、マニュアルを作って、処罰を作って、論文不正対策は、はい、おしまい、にはならないと危惧します。

(2015年3月10日「大隅典子の仙台通信」より転載)

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