アメリカで起きた黒人少年射殺事件に、「人種問題」はどれくらいかかわっているのか?

おそらく、日本人にとっては不思議で仕方のない現象でしょうが、これらの恐ろしい事件の数々が次々と記憶の中で色あせていくとしても、これからも起こりうるこういった類の事件に対して、アメリカは人種問題という視点から捉え続けることでしょう。

17歳の黒人少年トレイボン・マーティンが、自分の家の近所で、地元自警団員であるヒスパニック系白人男性ジョージ ・ジマーマンに射殺され、その後ジマーマンに無罪評決が下された件について、日本でもその概要が報道されました。この事件は、日々めまぐるしく変わるニュースサイクルの中で、次第に話題にのぼることがなくなってきていますが、この事件にひそむ人種に関わる犯罪については、アメリカ人の会話の中で不朽のテーマであります。この事件が象徴する、アメリカ人に深く根付いている問題は、日本人にも関係する可能性があります。

アメリカ人にとって強い関心となる人種問題は、日本ではあまり重要なことではないかもしれません。しかしながら、今回のような銃による暴力がもたらす悲劇は、アメリカに住んでいる日本人、もしくはアメリカに住んでいる身内がいる日本人には関係してくるでしょう。

1992年に起きた、服部剛丈さんが射殺された事件について、ある年代以上の人で知らない人はいないでしょう。生前彼は「服部君」と呼ばれており、亡くなった今でもその名で多くの日本人から覚えられています。彼は、ルイジアナ州で、パーティが開催されていると思い違いをした家に近づき、侵入者だと思われたその家の主人によって、銃殺されました。

銃の保持に反対するアメリカ人は、日本で起こった銃に関わる事件の件数を引き合いに出すこともあります。例えば、「昨年、日本で起こった銃による殺人は11件だったのに対し、アメリカではこんなにも多くの銃による殺人が起こった」といった具合です。

ここで、今回の問題に関わる人種的要素について説明したいと思います。

ジョージ・ジマーマンは、白人、ラテン人、そして黒人の祖父を持つといったように、実際には多くの人種の血を引き継いでいます。しかし、肌の色が薄く、髪の毛がストレートであることから、白人とみなされています。一方で、トレイボン・マーティンは、見た目が明らかに黒人であり、単に黒人であるだけでなく、彼の装い(パーカー姿)は、多くの若い黒人男性に見られる装いであり、都会的でかっこいいとみなされることも、危険な反逆者とみなされることもあります。

ジマーマンは、マーティンが実際には近所に住んでいるにも関わらず、この近辺の者ではないと勝手に考えました。また彼は、マーティンが何かしら悪さをしようとする直前だと考え、「罪を犯そうとしているのかもしれない、もしくは強盗の機会を伺っているのかもしれない」と推測しました。実際、その時マーティンは、近くのコンビニエンスストアでキャンディーを買って帰ってくるところでした。

ジマーマンは警察に電話し、 警察にそこを動かないようにアドバイスされたにもかかわらず、マーティンを後ろからつけました。次に何が起こったかは明らかではありません。もしかしたら、マーティンはピストルを持ったジマーマンに気づいたのかもしれません。マーティンは、「おかしな白人野郎(creepy ass cracker)」に後をつけられていると電話で友達に言っていたそうです。マーティンは隠れて、ジマーマンを待ち、最初に攻撃したのかもしれません。ジマーマンはそのように主張していますが、彼らが取っ組み合いになっていたという証言がいくつかあるのは確かです。

今、アメリカ人たちが知りたいことは、この常識では考えられないような致死にまで至った事件に、どの程度人種問題が関わってくるのかということです。ジョージ・ジマーマンは、トレイボン・マーティンがただ若い黒人だからという理由だけで犯罪者だと思ったのでしょうか?一部の人達は、多くの黒人は黒人によって殺されている(また、白人は白人によって殺されている)、つまり同じ人種間で殺人は行われているという統計結果を持ち出しています。その一方で、ある人達は、黒人はアメリカ人口の12%であるにもかかわらず、黒人が白人に対して罪を犯す比率が、白人が黒人に対して罪を犯す比率よりも高いことを指摘しています。

ジマーマン側の弁護人は、表向きには法廷で引き合いに出しませんでしたが、「銃殺しても正当防衛の場合は無罪」という法律が、フロリダや、ルイジアナのような銃がはびこっている南部の州には存在します。ジマーマンは、マーティンが自分の上に乗り、脅威を感じ、自分の命の危機を感じたために銃をうったと主張しています。

私にとって驚きなのは、多くのジマーマン支持者や、法的に有罪ではないにしても彼は苦しんでいると考えている人々は、マーティンや彼の権利を同じくらいに尊ぼうとしないところです。つまり、ジマーマンが後ろからつけてきた時に、マーティンがどれほど脅威を感じ、自己防衛しようとしたのかということについては考えようとしていません。

トレイボン・マーティンの支持者には、なぜ「(黒人は、白人より黒人の犠牲になることが多いのに)黒人による黒人への犯罪」を軽視して、「(白人が、黒人の犠牲になることのほうが多いのに)白人による黒人への犯罪」に焦点ばかり当てるのかという疑問が投げかけられています。

最近、アメリカのオクラホマで、オーストラリア出身の白人野球選手、クリストファー・レーンが、帰宅するところを3人の10代の黒人に後をつけられ、銃殺される事件がありました。彼らは、退屈しのぎにこの事件を犯したと警察に話しています。オーストラリアは、日本と同じく、厳しい銃規制を掲げる国であり、服部君が殺された時に日本中が大きなショックを受けたのと同様、オーストラリア国中がこのアメリカの野蛮さに大きなショックを受けていることは必至です。

トレイボン・マーティンの件の正当性を唱えている有名なアフリカ系アメリカ人の活動家ジェシー・ジャクソンは、クリストファー・レーンが殺害された事件に関しては発言を弱めていることに対して、厳しく非難されています。ジャクソンはツイッターで、クリストファー・レーンの殺害について「眉をひそめるべき事件」と言いました。この表現は、行儀の悪い子どもたちがイタズラをしたときに使われる表現であり、殺人に対して使われる言葉ではありません。ジャクソンはそのツイートを後に削除しましたが、その代わりに「クリストファー・リー(本来はLaneであるところをLeeと表記)」が殺害されたことに対する激しい非難の言葉に差し替えられました。彼のこの、被害者の名前のスペルを誤って書くという恥ずかしい行為は多くの人に非難されました。なぜなら、ジャクソンにとっては、若い黒人が殺害された事件はアメリカが抱えている悪の表れであると主張している一方で、黒人によって殺された白人の被害者には全く関心がないようにみえるからです。

おそらく、日本人にとっては不思議で仕方のない現象でしょうが、これらの恐ろしい事件の数々が次々と記憶の中で色あせていくとしても、これからも起こりうるこういった類の事件に対して、アメリカは人種問題という視点から捉え続けることでしょう。

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