プログラミングは、伝えたい情熱を増幅する。〜ジャーナリズムイノベーションアワードが文化祭みたいで面白かった件〜

催しをひと通り見て、模造紙や熱く話す展示形式、シールによる投票など、なんだか既視感を覚えたのだけど、最後のほうで気づいた。これは、文化祭、だ。

1月24日(土)にジャーナリズムイノベーションアワードが開催された。この催しが何かについては前に書いたし、イベントのサイトを見ればわかると思う。

ぼくは主催者ではないが、途中で行われるパネルディスカッションのモデレーターを頼まれたので、早めに会場に行ってみた。

このイベントの大きな特徴は、"ジャーナリズムのイノベーション"というもやもやしたテーマで出展を募集したことだ。そして、ネットを中心にした活動を、イベント会場で"展示"する点だと思う。

どんな催しになるのかイメージがつかめてないままだったのだが、会場に行ってよくわかった。開催されたのは法政大学のホールで、小中学校の"講堂"のような空間。そこに展示会のように机が並べられ、それぞれボードに模造紙などを貼って自分たちの活動を説明している。

来場者はそれぞれの展示に近寄っていく。出展者は展示会の説明員よろしく、「ご説明しましょうか?」と話しかけ、はいともいいえとも答えないうちにぐいぐいプレゼンテーションをはじめる。「ぼくたちの展示は○○○をテーマに取材した内容を・・・」と熱く熱く語ってくれる。

基本的にはどれもWEB上で展開している企画なので、ノートPCや大型モニターを持ち込んで、実際にそのサイトを見せている。かなり大きなモニターを持ち込んでいるチームもあり、大画面の迫力で説明してくれる。

WEBサイトでの活動をこうして展示会形式で説明するってなかなかないことではないだろうか。それがかえって面白く、WEBからは伝わりにくい個人の情熱がそのまんま押し寄せてくる。いや、ほんとにみんな熱いなあ。

ヨッピー氏と有限会社ノオトによる「悪質バイラルメディアにはどう対処すべき? BUZZNEWSをフルボッコにしてみた」も出展されていて、ひそかに注目していたのだけど、彼らなんかはWEBで見せるのをあきらめ、そのページを出力した紙を並べていた。あとは本人たちが"話す"という展示。ヨッピー氏は日頃も自分で実際にやってみたことを記事にしているけど、その手法で展示もやっている感じだった。

出展者は、朝日新聞や毎日新聞、NHKといった大きなジャーナリズム組織もあれば、Yahoo!やJ-Castなどネット上の大きなメディアもいる。でも多数を占めるのは、もっと小さなメディアやNPO法人、まったくの個人などだ。何度か見たことあるサイトもあれば、この場で初めて見たものもある。その幅の広さに驚いた。募集を始めた12月中は、応募が数点しかないと主催側は不安だったそうだが、最終的には38点も集まった。"新しいジャーナリズム、求む"と言われてこんなに集まるなんて素晴らしいことだ。しかも、クオリティもかなり高い。ひとつひとつ、へえー!と感心してしまった。

個人的にいちばんそそられたのが、「ドラッグストアとジャーナリズム」というブログサイトの展示だ。

薬剤師であり編集者でもあるKuriさんが、ドラッグストアで働いた経験から、「薬の売られ方」にある知見と問題意識を啓蒙する活動で、去年の12月に起ち上げた。表立って言いにくいことも書いているので本名は出していない。白衣を着てマスクをかぶっていたのだけど、それは顔を出すとまずいからだということで、腕だけ写真に登場してくれた。

薬の売られ方なんて考えたこともなかったし、個人でやっている点にはシンパシーを感じた。どこかにじむユーモラスな感覚はご本人が愉快な方だからではないかな。

この催しはアワードだ。来場者は展示を見て回り、どれかに投票する。ここがまた面白いなあと思ったのだけど、投票はアプリをダウンロードしてスマホで・・・なんてことではなく、ボードにシールを貼るのだ。

この丸いシールが多かった5チームが、ステージであらためてプレゼンテーションを行い、もう一度最終投票を行って最優秀賞を決める、というやり方。

一次投票ではヨッピー氏が最多得票で、このまま彼がグランプリをとってしまうのか、でもかなり変化球の企画なのでそれはそれで第一回として大丈夫だろうか、などと心配していたら、最終投票では"首都大学東京 渡邉英徳研究室"による「台風リアルタイム・ウォッチャー」が最優秀賞を受賞。一方、得票数2位の"沖縄タイムス戦後70年取材班"による「地図が語る戦没者の足跡」にはデータジャーナリズム特別賞が贈られ、第一回にふさわしい受賞作となった。

催しをひと通り見て、模造紙や熱く話す展示形式、シールによる投票など、なんだか既視感を覚えたのだけど、最後のほうで気づいた。

これは、文化祭、だ。

ジャーナリズムに携わる人たち、あるいはジャーナリズム的な試みに挑む人たち、多くは若い人だがベテランもいる、そんな人たちが、自分たちの活動を来場者に向けて熱くぶつける。ネットでの淡々としたクールな活動なのだけど、実際に会うとほとばしるほどの情熱を湧かせている人たちが、ここぞとばかりに言いたいこと、表現したかったことをプレゼンテーションしている。その手法が意外にもアナログであること、手づくりの文化祭のような雰囲気が、かえってみんなの情熱を引きだし、際立たせていたと思う。

だってジャーナリズムなんて、伝えたい!という情熱がないとできないだろうから。携わろうと思わないだろうから。

少し前に「ジャーナリズムに、正義はいらない」というちょっと冷めたことをブログに書いたのだけど、ほんとうは熱い思いはジャーナリズムに必要だ。正義はいらない。でも情熱は欠かせない。どうしても伝えたいことがある、なんとしても言いたいことがある。それでいいのか、このままではいけない!だからジャーナリズムに人は向かう。

ジャーナリズムはいま、デジタルという武器を得た。次世代のジャーナリズムとは、デジタルを武器に胸に潜む情熱を世の中に解き放つことかもしれない。プログラミングによって、伝えたい情熱は増幅できる。このアワードがぼくたちに教えてくれたのは、そういうことだと思う。

文化祭だと評したことの価値はもう一つあり、ネット上で新しいジャーナリズム的な活動をしている人びとが部分かもしれないがリアルな場で集まった、その価値は素晴らしく大きい。新聞社の中でも新しい活動をしている人、個人ブログで新たなメッセージを発信する人、それぞれなんとなく名前を記憶していた人たちと、顔を合わせて言葉を交わした。ぼくのブログも意外に読んでもらえているようだった。ぼくの前に突如、新たなコミュニティが出現し、大事にしていきたい仲間と出会えたことには、大きな大きな価値を感じた。

さてぼくが進行役を担当したパネルディスカッションにふれてないが、こちらに素晴らしいまとめ記事があるのでぜひ読んでください。

スマートニュースの藤村厚夫さん毎日新聞の小川一さんフジテレビの福原伸治さんにお集まりいただき、ぼくのつたない司会を大いに盛り上がるディスカッションにしてくださった。あらためて、ありがとうございました。

それぞれ貴重なパネラーの皆さんの発言の中でひとつ、ここでピックアップしたいのが、藤村さんの発言。「1920年代のアメリカでも"ニュースかビューか"という議論が起こった。これは普遍的なテーマだし、いま問われているのもそこかもしれない。いまあまりに、"ニュース"をないがしろにしたジャーナリズムが多いのではないか」だいたいそんな趣旨だった。

"ニュースとビュー"。つまり、ニュース(=取材した事実、情報)とビュー(あるテーマに対する意見、見解)とがジャーナリズムの要素としてあり、報道とはニュース、すなはち事実を伝え、時としてそれにビュー、見解を発信するものだ。本来はニュースがベースで、その上にビューが成り立つものだろう。

ところがいま、ニュースをなおざりにしているジャーナリストが多いのではないか。ビューを言うためにニュースを集めたり、中途半端なニュースをもとにビューを発信したりしている。

朝日新聞が謝罪した件も、ビューのためにニュースを作ったと言えるかもしれない。ネット上に氾濫する記事も、驚くような見出しでよくよく読むとニュースにあたる部分がいい加減な情報だったりする。

ニュースがあって、ビューが書ける。ビューのためにニュースを勝手に作ってはいけない。そんな意味だとぼくは受け止めた。

そんな風に、さまざまな知見に満ちたこの催しに関われたことはとてもうれしく感じた。主催した日本ジャーナリスト教育センターの皆さん、お疲れさまでした。次回があるか未定だと思うけど、ぜひ、今後も続けてくださいね。そしてこの"文化祭感覚"を大事にしてください!

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

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