メディアはコミュニティを形成する。この当たり前のことをメディアはどれだけ自覚しているか

メディアがいま、面白い。のだそうだ。旧来のメディアのとらえ方、考え方が変更を迫られており、そこには新たな荒野が広がっている。

メディアがいま、面白い。のだそうだ。旧来のメディアのとらえ方、考え方が変更を迫られており、そこには新たな荒野が広がっている。日本の良識を自負していた大新聞が肝心の良識を問われる一方、スマートフォンを介して新しい情報流通がはじまろうとしている。メディアはいま、才覚や野心が生かせる大いなる可能性の分野だということだ。

そんな中、週刊東洋経済が先週号(10月6日発売)で「新聞テレビ動乱」という大胆な特集を組んだ。この雑誌は年に一回程度、マスメディアの危機を訴える特集を組んだものだが、久々だと思う。中身は大新聞の話から、テレビの視聴率競争の話、そしてネット上での新しいメディアの話題まで盛りだくさん。読み甲斐がある内容だった。置いてある書店にはまだ置いてあるので、読みたかったら急ぐべし!

この特集に合わせて、セミナーイベントも開催されたので行ってみた。

「大変革期に未来を語る!いま、メディアが面白い」というタイトルで、ホットな面々が勢ぞろいした。詳細は下のページをご覧いただこう。

ざっと並べると、スマートニュースの藤村厚夫氏、Gunosyの福島良典氏、ハフィントンポストジャパンの新編集長・高橋 浩祐氏、などなどなど。確かに、いまメディアの変化を語ってもらうならこの人、という名前が並んでいる。

ワクワクしながら聞いていたのだが、正直言ってディスカッションとしては大いに物足りないものだった。東洋経済には知った方もいるのであんまり言いたくないが、打合せ不足だったのではないだろうか。話題があちこち飛びすぎて何についての議論なのかわからなくなってしまった。2つ目のディスカッションに至っては、動画革命がテーマとあったのに、動画についてはほとんど話題に出なかった。

ぼくも自分がセミナーイベントを主催したり、ディスカッションの企画やモデレーターを依頼されることもあるので、こういう催しの主催側としては設計図の詰めが甘かったことを指摘しておきたい。

あ、でもこの文章はそこを批判するのが本意ではないのですね。

そんな不完全燃焼な気持ちの中、締めのスピーチとして角川歴彦氏がひとりでしゃべった。そこがこのイベントでいちばん面白かったのだ。ここではその話を書きたい。

皆さんご存知の通り、角川歴彦氏が率いるメディア企業KADOKAWAはニコニコ動画を擁するドワンゴと経営統合を発表している。どうやら、その経営統合に対する世間の評価がさほどでもないので、メディア界の人びとが集まる場でプレゼンテーションしたかったようだ。2社の経営統合の考え方の背景を熱く語っていた。

写真撮影は避けてくれというのでお行儀よく撮らなかったのだが、経営統合の解説として映し出されたスライドが興味深かった。その場で書き取ったものをお見せしよう。

スライドにあったのは右側のチャートで、実際には円の形の図がスライドには2つ並んでいた。つまり、KADOKAWAもドワンゴも舞台は違うがプラットフォームという意味では同じなのだと言いたいのだ。

曰く、KADOKAWAもドワンゴも、ただメディアだけで存在しているのではない。メディアという場があり、そこにコンテンツを載せる。それを通じてコミュニケーションが生まれ、そこはコミュニティになる。そんな説明。KADOKAWAは出版という分野で、ドワンゴはネットという分野で同様にメディア・コンテンツ・コミュニケーション・コミュニティを展開している。だから統合で相乗効果が得られる。そう言いたいようだ。

なるほどなあ、とぼくは思った。対比として左側の図、メディアの上にコンテンツがあるだけのものをぼくの方で書き足したのだが、普通はこうとらえるのではないか。そして左側のとらえ方は右側のものに比べると、視野が狭い、ということになる。ユーザー側の視点が欠けているからだ。

メディアを運営する人の中で、もっと言うとメディア企業の経営者の中で、右側のような視野を持てている人は、どれくらいいるだろう。とくにオールドメディアの紙と電波の人びとにはほとんどいないのではないだろうか。

それはもちろん、紙や電波ではコミュニケーションがとれなかったというのはある。あるいは、日本人全員を相手にしてたのだからコミュニティもへったくれもないだろう、とも言える。

だが本来、メディアとはコミュニティのために存在するはずなのだ。テレビで言えば、"日本"というコミュニティを形成し、全国津々浦々に共通の話題を提供した。あるいは、よくよく見ると番組ごとにそれぞれのコミュニティを形成していた。「半沢直樹」が大ヒットしたとは言え、4割の世帯が見ただけで他の人はそれぞれの好きな番組を見ていた。視聴率10%でホッとするいまの時代に、日本中に共通の話題を提供できているはずがない。日本中に共通の話題を提供できてないとシュンとするし事業としても危ういのなら、その構造が奇妙なのだ。

よく言われる通り、大新聞として何百万部も発行されるなんて状況は日本だけだ。それに地方に行くとローカル紙が強い地域はたくさんあり、朝日や讀売の部数減がそのまま新聞全体の危機ととらえるのは早計かもしれない。(もちろん地方紙も部数は減っているだろうけど)

BLOGOSやハフィントンポストはコミュニケーションの場を用意し、コミュニティとなりえている。両方に記事を転載してもらって感じるのは、それぞれ読者のカラーがまったく違うのだ。同じ記事があっちではたくさん読まれそっちではさほどでもない、ということは多い。

ネットメディアだからみんな右側のようにとらえられているかといえば、そうでもない気がする。ただPV数だけ追ってパクりも平気でやるメディアにはコミュニティなどできようもないだろう。話題の記事を読んだメディアがどこだったか、ちっとも憶えていない人は多いはずだ。そんなあぶくのようなメディアは風が吹けばふっと消えてしまうに違いない。

角川氏のスライドのポイントは、右のような図の下に「人・モノ・金・情報」と書かれていることだ。経営者としてちゃっかりしているということではなく、「金」も含めてメディアの要素は多様だということだ。だから、ビジネスになるわけだし、そこで可能なビジネスは広告をコンテンツの間に挟んでなんぼ、だけではないはずだ。人が集まってコミュニケーションが行われているのなら、そのホスト役としてのメディア企業には多様なビジネスの可能性がある。

左側のとらえ方には、広告ビジネス以外見つけにくい。コンテンツを送り届ける際、そのスキマに広告を入れ込むことで収入を得る。それはメディア企業のビジネスモデルの"ひとつのパターンに過ぎない"のだ。でも、「メディア企業はメディアでどう儲けたらいいのか」と考えていても他の答えは見いだせないだろう。ただ、20世紀のメディア企業とは、そうやって肥大化していったので答えは簡単ではない。

"コミュニティ"を形成することに何があるのか。そこで「人・モノ・金・情報」はどう動くのかを考えること。それこそが、課題であり、そこに「いま、メディアが面白い」ことの中心がある。その答えはけっこう、今後数年間で少しずつ見えてくるのではないだろうか。あまたの試行錯誤の末に。

角川氏の話は最初の方はそんな風にぼくの脳みそを触発してくれたのだが、途中から話があっちへ跳びこっちへ外れ、結局なんだかよくわからなくなった。その上、長かったので参った。でもまあ、こうしてブログのネタにはなったから、いいけどね。

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コピーライター/メディアコンサルタント

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

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