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2015年03月28日 16時57分 JST | 更新 2015年05月27日 18時12分 JST

「言わないとわからないの?」「言ってくれなきゃわかんないよ」

先週の話になるけど、NHK「あさイチ」で"ガキ夫"というテーマでタレントたちが議論していた。言葉通り、ガキみたいな夫たちのことだ。

先週の話になるけど、NHK「あさイチ」で"ガキ夫"というテーマでタレントたちが議論していた。言葉通り、ガキみたいな夫たちのことだ。

ガキ夫とは具体的にはどんな夫かというと、NHKの番組ホームページにはこうあった。

「パジャマは脱ぎっぱなし、家事をお願いしても、やりたくないことはしない、ちょっと指摘するとスネる・・・。アンケートをしたところ、8割近い女性たちが"夫の行動や言動"を"ガキっぽい"と感じ、困っていると回答しました。」

NHKあさイチ「男リアル ガキ夫のなぜ?」より

しかも"ガキ夫"で何が悪い、と男性陣は開き直る。VTRに出てきた一般人の"ガキ夫"座談会でも、自分はガキ夫ではないと主張するより、別にいいじゃないかー、と言っていて、それがまさしくガキ夫だった。

かく言うぼくも、十分に身に覚えがある。その場に妻がいなかったのは幸いだった。

一方、今週最終回を迎えたフジテレビのドラマ「残念な夫」は妻が毎週欠かさず見ていた。コメディだから笑いながら見てもよさそうだが、じーっと笑うでも怒るでもなく、ただ熱心に見ている。子どもたちが赤ん坊だったのはもう十年じゃきかない昔なのだけど、いろいろ思い出しているのだと思う。

時折、ぼくも一緒に見るのだが、これがなかなかいたたまれない気分になってしまう。身に覚えだらけだからだ。黙って見ていることに耐えられず「あはは、いやー男は父親になるのに時間がかかるからねー」と言ったら、「あら、母親だって同じよ」とそっけなく返された。やぶへび。もう黙って見るしかないね・・・。

『赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない』なんてタイトルの本を出したので「このおじさんはおじさんのわりにイクメンらしい」と言われることがあるのだけど、妻からすると「あなたってこういう本を出す人だった?」と思っている様子だ。実際ぼくは、イクメンとは到底言えなかったと思う。

5才上の姉に「男と女は平等なんよ」と言って聞かされて育った。学生時代は、「では男と女は何が同じでちがうのか」とよく考えていた。できるだけフラットな視点で男女を見つめたいと思った。男は働き女は家事だ、という固定観念は持ってなかった。固定観念から自由であろうと思った。

フリーになるのと同時に結婚した。しばらくは自宅で仕事した。妻は勤めていたのでぼくが夕食を作って待つこともあった。料理は好きだったので当初から時折やっていたのだ。あくまで時折。

妻が子どもを身ごもった。出産には、立ち会うことにした。イメージとしては、いきんで苦しむ妻の手を握り、励ましながら一緒に出産する様を想像していた。妻が分娩室に入り「いよいよです」と言われて入ったら、そこは修羅場だった。手を握るどころか、居場所などなく邪魔なだけだった。ぼう然と立ち尽くす間に、妻は一人で苦しんで一人でいきんで一人で出産した。立ち会ったというより、立ちすくんでいただけだった。

赤ん坊との生活が始まり、ミルクを温めたりオムツを替えたりはぼくもやった。それは楽しいものだった。仕事部屋で書いたり考えたりし、行き詰まったら妻と赤ん坊のところに行く。幸福な日々だった。

ある朝、目が覚めると妻が疲れた顔で赤ん坊を抱えていた。何かに怒っている風だった。「どうしたの?」と聞くと、「どうして起きないかなあ、あれだけ泣いてるのに!」と不満げ。夜泣きして大変だった様子。「えー、起こしてくれればいいのに」「起こすのは悪いでしょ!」と怒りながら言う。ええー?!なんだそれ。どうしろと言うのだ。

どうしろと言うのではないわけだ。ただ、自分と一緒に起きてくれればいいのに、なぜぐっすり眠っているのだ、と言いたいのだろう。だからといって、起こすのは忍びない。起こしても、何をしてくれということでもないのだから。むなしい・・・不公平だ・・・そんな気持ちなのだと思う。思うのは、いまこうして思い返すからで、当時は、何がなんだかわからなかった。

赤ん坊を抱いている妻。その脇で、何をしたらいいのかわからず見守る夫。これが「基本構図」だと思う。

妻が買い物に出かけるというのでぼくが赤ん坊をひとりで見ることがあった。妻は心配したが、ミルクもおむつも大丈夫だとうながした。赤ん坊は泣きだした。あやしたり、なだめたりするが泣きやまない。ミルクをあげても飲まない。おむつも湿っていない。だったらなんだ?とにかく懸命にあやす。そこにある、ありとあらゆるおもちゃや道具を使ってあやそうとするのだけど、まったく泣きやまないどころか激しさを増していく。どうして泣きやまないのか。こんなに愛してこんなにあやしているのに、泣きやまない。意地悪か?何かの罰か?悪いことでもしたか?もうイヤだ。もう耐えられない。お前なんか知らない。お前なんかおれの気持ちをわかろうともしない。ひどい奴め!こんな赤ん坊なんか!・・・壁にぶつけたくなって、いかんいかんいかんと思いとどまる。ああ、おれときたら何をいま考えていたのか。こんなにかわいいのに。こんなに愛おしいのに。ごめんな、ごめんな。などとひとりで葛藤していたら、妻が帰ってきた。

この話は前にも書いたことがあるが、ちゃんと書かなかった点がある。帰宅した妻は、よーしよしよしと赤ん坊を抱っこし、ぺろりとおっぱいを出して赤ん坊にくわえさせた。なんと!あっさり泣きやんだ赤ん坊はちゅぱちゅぱ乳を飲みはじめた。ぼう然。なんだよ、それ・・・なんだよ、それ!おっぱいかよ!ミルクじゃダメでおっぱいだったのかよ!悪かったな、パパで!おっぱいついてなくて、悪かったな!

衝撃を受けた。そこに真実を見た気がした。そうか、おっぱいなんだな。おっぱいは母親の象徴であり、父親は絶対に持てないものだ。何か打ちひしがれた気分だった。どうやっても、天地がひっくり返っても、おっぱいにはかなわない。

育児について、女だけのものではない、男も主体的であるべきだ、という声を聞く。「育児を手伝ってます」という夫に「"手伝う"という言葉は、主体性のなさの表れよね!」と責める妻もいるようだ。そんなの理屈で言葉にすぎないと思う。ぼくの実感は、育児とは"手伝う"ものだ。それはそれでいいんじゃないか。だってぼくらには、おっぱいがないんだよ・・・。おっぱいがないのに、育児に主体的になどなれないよ。その哀しさ切なさは、わかんないと思う。

それでももちろん、父親も育児に関与せねばならないし、日本の父親は明らかに育児に関与できていない。働きすぎだからだし、会社に問題があるからだが、それにしても関わろうとしなさすぎだ。ガキ夫と言われて開き直ってる場合ではないだろう。

パパからすると、育児はよくわからないしママのほうが赤ちゃんのことわかってるし。でも意外にママも困ったり途方に暮れたりしているので、そこを"察して"、これはやろうかとか、こうしてみようかとか言ってあげたり、したほうがいいみたいだ。

ママのほうも、かわいい奥さんでいたいとか良妻賢母になりたいとか、思ってもいいけどそのために無理するくらいならやめたほうがいい。やってほしいこと、してもらいたいことがあったら、はっきり口に出して言ったほうがいい。ガマンしてストレスを抱えるより、言いたいことはズバズバ言ったほうがいい。男は鈍感だから、言葉にしないとわからないのですよ。

そうやってお互いをわかろうとしたり、わかってもらおうとしたり、していかないと乗り越えられないことがある。それに、そうやったって、どうやったって、すれ違うし食い違う。こういうところはすれ違うのだなと諦めたり、でも諦めずに言ったりしながら、たがいに父になり母になり、もっと夫になりさらに妻になるのだと思う。

そんなことしてるうちに、ぼくはいつの間にか父親になっていた気がする。自分のために働いていたつもりが、家族のためにがんばらなきゃと思うようになっていた。家族のためにがんばろうと思うと、何だって乗り越えられた。『そして、父になる』という映画があったけど、父親とはまさに、「そして、なる」ものだと思う。あ、しまった、はい、もちろん、母親もそうですよね。

産後の夫婦は戸惑い、すれ違い、食い違うことは多いだろう。なんでわかってくれないの?なにをどうわかれというんだ?ふたりの愛の結実が赤ちゃんなのに、せっかく授かった赤ちゃんがもとですれ違ったままでは意味がない。でもそのすれ違いを乗り越えたら、何だってふたりで乗り越えられるはずだ。どんな苦難も乗り越えられちゃうパートナーこそが、夫婦なのだから。そんなことを妻が寝た後、『残念な夫』最終回をひとりでこっそり録画で見ながら思う50代の残念な夫であった。よかったな、陽一!これからまだまだいろいろあるぞ、がんばれよ!

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境 治

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