「笑っていいとも」の終わりは、新しいテレビのはじまりになるのだろうか

テレビがおしまいだ、オワコンだと言っているのではない。これまでのテレビが終わり、新しいテレビがはじまるんじゃないかと言いたいのだ。ではその新しいテレビとはどんなテレビなのか。それはまだいろんな人の頭の中にそれぞれ、もやもやと存在しているのだろう。

NHKの「NEWS WEB24」はソーシャルメディアを活用したニュース番組で、後半に"つぶやきビッグデータ"というコーナーがある。その日、Twitterでとくにつぶやかれた言葉をピックアップする。昨日(10月22日)夜の放送では「いいとも」「終了」などが多くつぶやかれたそうだ。もちろんその日の昼間に駆け巡った「笑っていいとも、3月で終了」のニュースが爆発的に拡散されたからだ。ぼく自身もびっくりしたが、ソーシャルメディア上でこれほど驚きが飛び回ったことにさらに驚いた。

1982年のスタート時、大学生だったぼくにとって、「笑っていいとも」はともに歩んできた番組だ。そしてまた80年代に起こったテレビの流れの変化を象徴する番組だと言えるだろう。

平日お昼のフジテレビは、80年に「笑ってる場合ですよ」というB&B司会の番組によって「お昼なのにお笑い番組」の路線がすでにはじまっていた。いま思えば「笑ってる場合ですよ」というのもすごいタイトルだった。B&Bも若い人は「島田洋七=がばいばあちゃん」としか思わないだろうけど、あの頃はビートたけしや明石家さんまと並ぶ存在だった。

フジテレビは80年代に入って漫才ブームを巻き起こすなど「楽しくなければテレビじゃない」のスローガンで走りはじめた。「笑ってる場合ですよ」はその姿勢をリードする番組だったがなぜか2年で終了し、その後継番組としてはじまったのが「笑っていいとも」だった。

当時のタモリは、いまのような「お茶の間の人気者」ではまったくなかった。お笑い番組には出ていたが、他のコメディアンとはまったくちがう、知的でブラックな雰囲気をぷんぷんさせていた。四カ国語マージャンやイグアナなどのネタも面白かったが、架空の言語ハナモゲラ語を駆使して山下洋輔とジャズ共演をしたり、とにかくカッコよかった。健全の正反対に位置して、なんというか、カウンターカルチャーのヒーローだったのだ。

そのタモリがなんと、昼の番組で司会をはじめた。「テレビ的なお笑い」とは一線を画していたのに。青臭い学生たちの間ではそれが議論になった。「タモリはメジャーに日和ったのだ。タモリはもうおしまいだ」「いや、あれはとりこまれたふりをしているのだ。あとでひっくり返すつもりにちがいない」いま思うと笑ってしまうが、本気でそんな議論をしたものだ。いまネット上でテレビのことをマスゴミ呼ばわりするのと同じように、当時のぼくたちもテレビはエスタブリッシュメントの側にある反発すべき存在で、タモリがそっちの側に行くのはそのままでは受け入れられなかったのだ。いやホントにいま思うと笑っちゃう。

スタートした「笑っていいとも」は「○○○○な人募集」などと、一般人を舞台に上げる参加型の番組だった。それはいまもそうなのだけど、はじまった頃の「いいとも」は、登場する素人がなんというか、むちゃくちゃだった。どこかいびつな人びとが次から次に登場し、テレビ画面を危ないムードに覆っていった。いまだったら放送できなかったのではないか。やばーい!そんな番組だった。そのラジカルさに興奮したり、辟易したりしながら見ていた。

「笑っていいとも」が典型だが、80年代のフジテレビは、いまと比べようもないほど猥雑だった。やばかった。うわー、こんなことテレビでやっちゃっていいの?その連続だった。

バラエティもだけど、ドラマだって80年代前半まではひどかった。安っぽく、うさんくさく、ダメダメだった。

当時のフジテレビはとにかく何かにつけムチャクチャで、すぐに何かを踏み外したり平気で常軌を逸したりしていた。

局をあげて「テレビを逸脱してやる!」とでも言うべき意気込みで満ちあふれていた。ぼくは大げさでなく、80年代のフジテレビの変化がなかったら、日本のテレビ文化はいまほどの深みや奥行きは勝ち得てないと思う。

70年代にTBSがある高みまで持っていったテレビという文化を、一度地に下ろし徹底的に破壊し、台無しにした。それが80年代のフジテレビだったと思う。TBSはすべてのメインストリームにある文化をとりこんで料理しテレビ化していった。フジテレビはそれに加えて、アンダーグラウンドなものまで含めて何もかもどん欲に取り込んでいったのだと言えるだろう。タモリの司会起用はその象徴なのだ。

そのどん欲さはやがて洗練に昇華されていく。90年代に入ると、ただ壊していただけだったのが、ひとまわり高いレベルで完成度を高めていく。ぼくはいまでも、90年代前半のフジテレビの一連の深夜番組への興奮が忘れられない。毎晩、夜が更けるのが楽しみだった。「カノッサの屈辱」が有名だがそれだけではない。「アインシュタイン」「カルトQ」「19XX」「TVブックメーカー」「NIGHT HEAD」「征服王」....挙げはじめるとキリがないほどだ。ひとつひとつが、「テレビってこんなこともできるんじゃないか」という探求心の結晶だった。へー!こういうのもありなんだ、とびっくりしながら見ていた。

深夜だけでなく、ゴールデンタイムでもフジテレビはテレビの面白さを開拓していった。ドラマももはや安っぽくなんかなく、どんどんクオリティが上がっていた。そんなフジテレビに負けまいと、他の局も面白い番組を開拓していく。テレビがもっとも充実して花を開かせ続けたのが90年代で、それを引っ張ったのがフジテレビだったと思う。大げさに言うと、90年代にテレビは完成されたのだと思っている。

だからいまのテレビがつまらなくなったとか、レベルが下がったとか、言うつもりはない。むしろいまもレベルは高まっていると思う。90年代のドラマよりいまのドラマの方がいろんな意味でクオリティが高いと感じている。ただ、90年代にできあがったことの延長線にあると思う。そういう意味では、テレビはやはり90年代に進化しつくしたと思う。やれることは全部あの頃にやっちゃったんじゃないか。

そんな風にテレビを見てきたもので、ぼくにとって「笑っていいとも」終了は勝手にいろんな意味を込めてしまう。終わるんだなあと。テレビというシステムが、そしてそのシステムに添って発展してきた創造活動の流れが、一度これでおしまいになる。そんな風に受けとめてしまっている。

だからテレビがおしまいだ、オワコンだと言っているのではない。これまでのテレビが終わり、新しいテレビがはじまるんじゃないかと言いたいのだ。ではその新しいテレビとはどんなテレビなのか。それはまだいろんな人の頭の中にそれぞれ、もやもやと存在しているのだろう。

ただ、それはいままで通り番組を作ることに血道を上げる世界ではないのだと思う。作り手たちが個人の創造性を追求することではない気がする。

意外にそのヒントはまた「笑っていいとも」にあるのかもしれない。"いびつな人びと"が画面を跋扈し、観ている側さえヒヤヒヤしたあのドタバタに、これからのテレビが潜んでいたりして。

そんなことを夢想しつつ、人生の蜜月をともに歩み、ぼくのテレビ観に大きな変化を及ぼしたひとつの番組の終了を、感慨深く受けとめたい。「笑っていいとも」お疲れさん。タモリさん、ありがとうございました!

コミュニケーションディレクター/コピーライター/メディア戦略家

境 治

sakaiosamu62@gmail.com

注目記事